学年末決戦 2
「一番避けるべき事態は、魏との戦闘中に呉に攻められ挟撃されることです。」
戦いの中で想定以外の敵と戦うことは、リスクを増し最悪敗北につながる。それだけは避けなければならないことだった。
「対策は?」
聞かれた明哉は簡潔に答える。
「魏と呉の結束を断つことです。」
確かにそれは有効な対策だった。
魏と呉にそもそも結束があるかどうかはわからないが、今一番全校制覇に近い位置に居る蜀を倒すために、一時的に共闘を結ぶことくらいはするかもしれない。
・・・というか、自分たちがその立場なら、そうする可能性は大きいと明哉をはじめとした軍師たちは考える。
「今のところそういった情報は入っていませんが、水面下で密約が結ばれていたとしても不思議ではありません。そんな事態を防ぐためにも魏と呉が互いに助け合わないように連携を断つことが必要です。」
「連携を断つ?」
「そうです。できれば心理的に反目させられればと思います。援軍を出すという実戦的なものだけでなく、情報の共有などもさせたくありませんから。」
明哉の言うことはもっともだった。
では具体的にどうするかという事になるのだが・・・
「一体、何の嫌がらせだ?」
うんざりとしたように吉田が頬杖をつく。
「嫌がらせなどと、とんでもない。私とあなたの仲ではないですか。」
いつも通りの憂い顔で淡々とそう言った内山は、吉田の向いの席で英字新聞を広げている。
ここは南斗高校3年生特別クラスの寮の談話室。
夕食後のコーヒーを1人飲んでいた吉田の元に内山が近づき目の前の席に座ったのだった。
3学期となって、いよいよ受験本番シーズン到来となったのだが、南斗高校3年生は推薦入試が多く、寮の雰囲気はさほどピリピリとはしていない。
夕食後の談話室も、友人との会話を楽しんだり、1人でゆっくりくつろいだりする者たちが集い、のんびりとした空気が流れていた。
・・・そう、つい今し方までは、である。
内山が談話室に入り吉田の向いの席に座った途端、談話室の中は一触即発の緊張感に包まれた。
別に談話室に吉田と内山がいることがこの緊張感の理由ではない。
吉田も内山も共に談話室はよく利用しており、2人同時にいることもままあることだった。
なのに全員が固唾をのんだその理由は、ただ単に内山が吉田と“同席”したというその事実のみにあった。
確かに談話室はそこそこ多くの人で賑わってはいたが、広い部屋の中、空席は他にもあってわざわざ内山が吉田と同席する必要はどこにもない。
にもかかわらず、内山は当然のようにそこを選んだのである。
内山が吉田の前に座った途端、吉田の近くにいた者はさりげなく立って距離を置く。普通の会話が耳に入らない程度に離れ・・・しかし誰1人談話室を出る者はいなかった。それどころか、入口近くに居た者が外を通りかかる者を目線で呼び寄せて、談話室の人数は徐々に増えていく。
結果、部屋の中や付近に居た者全員の注目を浴びながら吉田は内山と向い合うことになった。
これが嫌がらせでなくてなんなのだ?と吉田は思う。
「どんな“仲”だ?」
吉田の問いに、内山は新聞から目を上げる。
「クラスメート?」
「なんで疑問形だ!」
思わず吉田は怒鳴った。
他の者が全員ビク!と震える。
「半疑問形での話し方は、最近の若者の特徴ともいうべき社会現象です。」
ビクともせずに真面目に答える内山に、吉田が脱力したのは仕方ないことだろう。
「・・・何が目的だ。」
こめかみを揉みながら吉田は聞いた。
「私があなたと接触する事によって、1年と3年の間に何か密約ができたのかという疑心暗鬼を呼び起こすことが主目的です。」
飄々とした正直すぎる答えに、思わず吉田の手が頬からカクンと外れた。
「・・・お前、それを“俺”に言っていいのか?」
「どうせあなたや仲西といった魏や呉の中心メンバーは、こんな作戦に引っ掛かってくれませんから。」
引っ掛かったりしたら軽蔑しますよと内山は冷たい視線を吉田に向ける。
そうなのだ。
明哉から、魏と呉に連携をとらせないために、それぞれの代表者に蜀側から誰かを接触させ疑惑を呼ぶ作戦を提案された時、全員が懸念したのがこの点だった。
十中八九、吉田も仲西もこの策に気づくだろうと。
その間の経緯まで内山は吉田に語って聞かせる。
吉田は・・・ものすごく疲れた。
「じゃあ、いったい何のためにこんな事をしているんだ?」
内山は、またしても懇切丁寧に説明してくれた。
「首脳陣はダメでも一般生徒を疑心暗鬼に陥れることはできますから。戦を実際に動かすのは、一握りの英雄や名将ではありません。勝利の大勢を決めるのは手となり足となるただの兵士です。彼らの心にトップや内部への不信や密約が交わされているのだという安心感・・・つまりは緩みを持たせられればそれだけでも今回の策は成功といえます。」
「上下不相收・・・上と下の信頼を切り離し統率を乱すのが目的か。」
「そう思わせておいて、裏で呉と本物の密約を交わしていると疑ってくださっても結構ですよ。」
吉田は思いっきり嫌そうに顔をしかめた。
相変わらず内山は似ても焼いても食えない性格をしている。
それだけでも気に喰わないのに・・・
「ああ。ダメですよ、そんな顔をしては。ただでさえあなたの細い目は、目つきが悪いのですから。」
なんと!しわが寄っていますよと言って、内山の長い指が吉田の眉間をそっと撫でたのだ。
吉田の背に悪寒が走り、同時に談話室の中に、ブワッ!と声にならない興奮が走る。
(あの、吉田さんが!)
(内山さんに撫でられて・・・)
(お2人は、親密な間柄なのか?!)
あまりの事態に固まって動けなかった吉田が慌てて内山の手を払うが・・・それはなんだか照れ隠しのように周囲には映った。
(・・・・・・・・・)
内山が滅多に見せない機嫌の良い笑みを浮かべる。
それもまた、憶測に憶測を呼んだ。
「・・・何が目的だ!?」
「お話ししましたが?」
「主目的以外の目的だ!」
確かに内山は先刻“主目的”と言っていた。という事は別の目的もあるという事だ。
まさかとは思うが、自分を善からぬ噂に巻き込んで桃から距離をとらせようなどというものではないだろうな?と吉田は勘操る。
「桃が・・・」
「桃が?!」
やはり!と吉田は思う。
・・・しかし、いつもの憂い顔に戻った次の内山の言葉で、その邪推はどこかに吹き飛んでしまった。
「桃は、“私”と“あなた”を仲直りさせたいと思っているんです。」
「は?」
ポカンと口を開けてしまう。
「仲直り?」
「はい。」
内山は耐えられないといったように視線を逸らす。
「・・・“俺”と“お前”は、仲が良かったのか?」
「そんな記憶はありません。」
そうだろうそうだろうと吉田は大きく頷く。
南斗高校に入学し、今世で再会してから3年、この間吉田と内山は“くされ縁”で共に過ごしてきたが、互いに仲良くした覚えなど欠片もない間柄だった。
「桃は自分がこの高校に入学したことにより、私とあなたの“仲”を裂いてしまったと思い込んでいるようなのです。」
吉田の細い目が点になった。
どこをどうしたらそんな誤解ができるのだろうか?
「私がどんなに否定しても、自分に気を使ってくれているのだと思ってしまうようで・・・これ以上の否定は無駄どころか、かえって桃の確信を深めるものだと判断して諦めました。」
いや、そこは断固として諦めて欲しくないと吉田は思う。
頭を抱えた。
「・・・“変”な誤解ではないんだな?」
ただの友人ならともかく(いや、それもかなりイヤだが)自分と内山がおかしな関係だと誤解されるのは絶対我慢ならなかった。
「それは大丈夫・・・だと思います。」
そうだと信じたい内山だ。
「桃は今回のことで、策略とはいえ私があなたに近づくことで、私たちの仲が修復されることを願っています。」
・・・修復も何も、それ以前からそんな“仲”は存在していない。
吉田は・・・大きなため息をついた。
「それで、お前は俺と“仲良くなる”ことを了承して来たのか?」
「それが桃の望みであるのならば。」
桃のためならば、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍びますと内山は大真面目に言う。
(・・・こいつは、バカか?)
吉田は思いっきり呆れた。
あの荀イクが・・・三国志最高の王佐の才の持ち主と評される男が、君主とはいえ今世では普通の女子高生でしかない者のために、嫌っているはずの自分と“仲良く”なろうと真剣に思っている。
(バカだな。やっぱり。)
なんとかと天才は紙一重というやつだと吉田は深く納得する。
(バカだが・・・)
自分はそんなバカな内山がそれほど嫌いじゃないと、吉田は思った。
(変に、くそ真面目だよな。こいつは。)
そうあえて言うなら、内山のそのバカなところは、吉田が内山に好意を持てる唯一の点かもしれない。
「してやってもいいぞ・・・”仲直り“」
長い間を置いて、吉田が言ったその言葉に、内山は・・・ものすごくイヤそうな顔をした。
吉田は、自分がこの内山のイヤそうな顔も結構気に入っているのだと発見する。
なんだか笑いが込み上げて来た。
あらためて思い返せば、吉田は案外内山のことが気に入っていて、そういう意味では仲が良かったのかもしれないと思う。
(してみると、桃が俺と内山を“仲直り”させたいと望むことも、さほど的外れでもないのかもしれないな。)
やはりあいつは侮れないなと吉田は目を細める。
「とりあえず一緒に風呂にでも行くか?」
南斗高校特別クラスの寮には、個人個人にバストイレ付の部屋があるが、大浴場だってあるのである。
吉田に誘われた内山は、憂い顔をかつてない程に憂わせて、渋々と頷いた。
全員が興味津々に見守る中で、ひどく上機嫌な吉田と機嫌が悪そうながらもそれが平常通りの内山が連れだって立ち上がる。
一緒に風呂に入ったとのうわさが全校に知れ渡るのはあっという間であった。
「良かった。」と桃は純粋に喜ぶ。
その桃と同じ1年特別クラスの寮の一室で、日記に向かいながら「ダメだ、俺にはとても書けない!」と悩む拓斗がいるだなんて、桃には知る由もなかったのだった。




