クリスマス 11
しばらくの後、駆け寄った理子からハンカチとティッシュを貸してもらい、ようやく桃は少し落ち着く。
男なんてこういうことは本当に気が利かないんだからとプリプリと怒る理子をなだめたり、その理子に感極まって抱きつかれたりしていると、改めて利長から声がかかった。
「冬休みに俺の家に来ないか?」
件の同級生に会わせたいと利長は言った。
「あ・・・いいの?」
「もちろんだ。」
会って実際話せば、桃も利長の同級生も自分たちが本当の親子だったかどうかわかるだろうと利長は言う。例えそうでなかったとしても同じような体験を前世でした者同士、心は晴れるのではないかとも言った。
「それは、そうできれば嬉しいけれど。」
迷惑じゃないのかと心配する桃に、利長は迷惑なんて絶対ないと断言する。
「利長・・・」
「桃。」
見つめ合う2人の間に・・・
「俺も!俺も行く!」
飛び込んだのは、やっぱり翼だった。
「俺も行く!絶対行く!イイよな、兄哥!」
利長は・・・頭を抱えた。
「・・・わかった。」
大きく息を吐く。
しぶしぶと利長はそう答えた。
翼を・・・張飛を退けることなど関羽にはとてもできなかったのである。
しかし・・・
「では、私・・・」
私もと、言おうとしただろう明哉を利長はキッと睨み付ける。
「お前は、ダメだ。」
きっぱりと断った。
明哉は黙り込む。
「お前が桃の事情を知ったのは“いつ”だ?」
反対に利長は明哉を問い詰めた。
桃と明哉の様子から、明哉が自分たちより早く桃の事情を知っていたのだろうと利長は察しをつけたのである。
「・・・クリスマスイブの夜です。」
誤魔化すこともできぬかと明哉は正直に答える。
「なんで、すぐに俺たちに言わなかった?」
利長の声は低い。
「桃の秘密を、桃に断りもなく明かすわけにはいきません。」
明哉の返事は、至極もっともな理由である。
それを責めることなどできるはずもない。
しかし・・・
「俺とお前の立場が入れ替わっていたのなら、お前はどう思う?」
利長の問いに、明哉はため息をこぼした。
「私に黙っていたあなたを“責める”でしょうね。」
・・・そうなのだった。
明哉は自分の行動が間違っていたとは思わない。桃の秘密を聞いて、しかし当の桃が今は他の者には言いたくないというのであれば、明哉がそのことを他言する事は決してありえない。
しかし、一方その自分の立場に立っていたのが利長だとすれば、桃の秘密を自分に黙っていた利長を責めずにはおられないだろうこともまた真実だった。
相手が利長ではなく翼や智也だとしても同じことである。(いや、もしも相手が智也だとしたら、腸が煮えくり返ってここまで冷静でいられる自信はなかった。・・・実際智也も、今にも明哉を殺しそうな目で睨んできている。)
「違うの!明哉は、このことをみんなに言って欲しいって私に頼んできたの。明哉はみんなを信じて打ち明けろって言ったのよ。・・・それを私が!私が話すのは怖いって言ったの。」
慌てて桃が明哉を庇う。
桃の気持ちはわかるが・・・この場合は逆効果だろう。
明哉の前に立って必死に明哉を庇う桃の姿は、かえって皆の明哉への反感を煽る。
利長は・・・大きく息を吐き出した。
「わかっている。もしもそうじゃなかったら、俺は今この場でそいつを半殺しにしているだろう。そしてそいつは俺にそんな真似をさせない奴だ。」
それが“孔明”という漢だと利長は嫌そうに言う。
「俺は明哉をどうこうしようなんて思っていない。」
利長の言葉に桃はホッとする。
「だが、俺の家に招くつもりはない。」
「利長!」
しかし続く利長のきっぱりとした拒絶に桃は焦った声を上げた。
そんな桃の頬に利長はもう一度手をやる。
そのまま顔を上げさせると、目を合わせジッと覗きこんだ。
桃の頬は涙の痕で、まだ赤く腫れている。
「桃。・・・こんなに泣いて。明哉に話をした時も、泣いたんだろう?」
泣いたのは明哉で自分は泣かなかったような気がするが、泣きそうになったのは事実なので、桃は恥ずかしそうに視線を落とす。高校1年生にもなって泣き虫だと呆れられてしまうのかと方向違いの心配までしてしまう。
「・・・泣いたお前を明哉はどうやって慰めた?」
なので、利長の想定外の質問に、桃は言われるままに素直に“あの時”のことを脳裏に思い浮かべてしまった。
途端にボンッ!と赤くなる。
そう、好きだと言われて、3回もキスされたことをまざまざと思い出してしまったのである。
不審な様子で狼狽える桃の姿に、「やっぱりな。」と利長は低く唸った。
明哉が額に手を当てて、天井を仰ぐ。
何が“やっぱり”なのか?桃は聞いてみたい。
(ううん。やっぱり、聞かなくていい。)
自問自答した桃は、心の中で首を左右に振った。(現実の首は利長にがっちり固定されているためにビクとも動かせない。)
桃にしては実に正しい判断だった。
「俺の家に来るのは、桃と翼だけだ。」
いいな?と利長は低く宣言する。
今度は俺の番だろう?という声なき声が聞こえたような気がするのは・・・気のせいではないだろう。
関羽の本気の威嚇に、異を唱えられる者は、誰もいなかった。
「じゃあ、俺の番はいつかな?」
なんだか楽しそうな牧田の声は幻聴だと思いたい。
俺も、俺もという大騒ぎを桃は見ないようにする。
世紀の告白から一転、いつもどおりの仲間たちの姿に・・・桃はいつしか笑い出す。
それは、いつもどおりの桃の姿だった。
・・・・・・・・・
楽しそうなその様子を見ながら、仲西は深いため息をつく。
「困ったな。」
「全く。」
相槌を打つのは、剛だ。
「・・・凄く、可愛い。」
「今、桃に近づくのは自殺行為ですぞ。」
「わかっている。」
桃の話しの内容には驚いたが、ポロポロと泣く姿も、心を救われて花のように笑う姿も、桃は文句なしに可愛かった。
できることならば桃の周囲の男たちの全てを蹴散らして、桃を抱き締め心から慰めたいと仲西は思う。
しかしもちろんそれは、剛に言われるまでもなく1年全員からの制裁必至の行いだった。
流石にそんな自ら窮地に飛び込むような真似はしたくない。
「それにしても・・・勝てないはずだ。」
仲西は指の先までも美しい手で、秀麗な額を抱える。
「全く。」
難しい顔で剛も頷いた。
仲西の複雑な視線は、桃に向かう。
入学式から2学期の終わるこの時点まで、仲西たち2年は・・・いや、吉田率いる3年も、公式の場では1度も1年に勝てなかった。
1年の中に張昭や華キンといった呉や魏の重臣クラスが転生していることや、荀イクという三国志最高の王佐の才を持った人物が早々に1年に異動したことなど理由はいろいろ考えられたが、それでもここまで勝てないことは異常なことだった。
おかしいとは思っていたのだが・・・
「あんな、生死の狭間を何度も潜り抜けてきたような“人物”・・・反則だろう?」
仲西は疲れたように呟いた。
先ほどの桃の話を思い出す。
リアルで何度も命の危機に瀕し、その都度それを脱するなんて誰にでもできることではない。
桃は自分がその度に生きようと足掻き無様に生き延びたことを嫌悪しているようだが・・・言い換えればそれは、どんな形にしろ桃はその危機を乗り越えて生還したのだということを表している。
「・・・どんな、経験値だ。」
仲西は呆れた。
最初の転生である来珠とて、最終的には我が子を失った自責の念で処刑を受け入れたものの、その前に氾濫した川に落ちて“助かって”いるのである。
「普通、助からないよな?」
仲西の呟きに剛はコクリと頷く。
女性が濁流にのまれて生還する確率は、きっととんでもなく低いだろう。
孫権や張昭とて、戦乱の三国時代を生き抜いた武将である。
しかし、その2人の目から見ても転生を繰り返し、その都度ギリギリの命の危機を切り抜けたという桃は・・・とんでもない人間に見えた。
「オリエンテーション合宿でポールに接着剤を使った時点で、何か違うとは思ったんだが・・・」
あの程度の反則技、存在そのものが反則のような桃にとっては何でも無いことだったのだと改めて認識する。
「しかも、その上、あんなに可愛いなんて・・・」
勝てる気がしないと仲西は頭を抱える。
桃の悲惨な告白の中に隠れている桃という存在の“とんでもなさ”に、一体どれだけの者が気づいているのだろうか?と仲西は考える。
諸葛亮や法正といった名士たちはもちろん、劉表も気づいていそうだし、関羽、趙雲といった頭の良い武将たちもわかっているのだろうなとなんとなく思う。
そしておそらく、どこからか聞きつけて、ほどなくこの話を知るのであろう曹操の反応など見るまでもないだろう。
「桃の“争奪戦”は、ますます激しくなりそうだな。」
呟く仲西の碧の瞳は・・・楽しそうに輝いていた。
剛はため息をつく。
「協力はしませんぞ。」
「薄情だな。孤と公の仲であろう?」
「わしとて命は惜しいのです。」
第一孫権と張昭の仲は犬猿の仲である。
桃を挟んで睨みあう明哉と利長。そして同じように互いにけん制しながらも少しでも桃に近づこうとしている仲間たちを、剛は疲れたように見た。
隣で虎視眈々と桃を見つめている前世の君主も気になる。
巻き込まれたくはないが、そんな訳にもいかないだろうなと思う。
困ったなと思いながらも今後の自分たちの未来がとても楽しみな剛だった。




