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セカンド・アース  作者: 九重


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クリスマス 9

いまだかつてない勢いで降り始めた雨は、勢いを衰えさせることなく延々と降り続けた。


普段は大地に恵みを運ぶ川がみるみる増水をはじめ、唸りを立てて流れていく様を人々は恐れを込めて見つめる。


そして・・・村で相談の結果、来珠の夫を含めた数人の男たちが自分たちの村を守るために対岸の堤を切りに行くことが決まったのだった。


「来珠の()が?」


自分の読んだ(でん)とは違う内容に仲西が声を上げる。

伝の中では、堤を切り、村を全滅させたのは来珠だということになっていた。


桃は疲れたように笑う。


「女の私1人で堤など切れないわ。」


洪水に際して対岸の土手を崩すことは、自分の村が助かる唯一の道として大罪ではありながら古来より繰り返されてきた方法であった。

言われてみれば確かに女が1人で堤防を崩すなどということができるはずもない。

それはどう見ても男手が複数いるような仕事で・・・


愚鈍な大男であったがために、来珠の夫は、村のまとめ役であった自分の父や兄から命じられるままに“大罪”を犯す役を押し付けられたのであった。


それを知り黙って見過ごすことが来珠にはできなかった。


劉備(統治者)としての広い視点からすれば、自分の村が洪水に遭うのも対岸の村が被害を受けるのも同じことである。どちらかが助かれば必ず別の誰かが同じ苦しみを受けることになる。そしてその被害による影響は重税や賦役といった形で全員に降りかかるのだ。

事ここに至っては、全てを天の配剤に任せることしか人の身にできることはない。

あとは被害を最小限にくい止めることへの努力と災害後の復興に全力を傾けるのが唯一にして正しい行いなのだ。


しかし、その来珠の目には当たり前とも思える事が当事者である農民には理解できなかった。


その事に歯噛みしながらも、絶対止めなければという確たる信念を持って、雨の中、来珠は夫の後を追った。



・・・そして悲劇は起こる。



一足遅く現場に着いた来珠は、既に堤を切られた川が氾濫をはじめてしまったことを知る。


そしてその場に、いつの間にか自分たちの後を追って来ていた幼い息子の姿を見つけたのだ。


我が目を疑う来珠の前で、幼い息子は雨に足を滑らせ氾濫した川に落ちる。


来珠は、後先考えず、自分も川に飛び込んだ。


濁流の中、必死で片方の手で我が子の手を掴んだ来珠は、もう片方の手で土手の木の枝に掴まる。


しかし、水の勢いは想像以上に激しく、女の細腕1つではとても耐えられそうになかった。


その土手のはるか上では、妻と我が子に気づいた夫が慌てて助けようとしている。


だが、その動きは絶望的に遅かった。


腕も体も限界になって、これ以上はダメだと思った時・・・




「・・・私は、このまま“自分”がここで死んで良いのかと思ったの。」




桃の頬をポロポロと涙がこぼれる。


“劉備”であった自分が、こんな(・・・)所で誰にも知られずに命を落とす。


来珠は、それを耐えがたい程に間違った(・・・・)ことだと思ったのだと桃は告白した。




「ただの“農民の妻”だったのに・・・子供の“母”だったのに・・・私はそれを超えて“劉備(自分)”がその場で死ぬ(・・)ことを惜しんだのよ。」




・・・それは、皇帝であれば当然の“考え”であった。


例えば、かつて曹操が(えん)城に張シュウを攻めた戦いで、敵に騙され大敗し逃げる際、自分の馬が矢を受けたため息子の馬に乗って逃げ、結果息子が死んでしまったという出来事があった。

もちろんその実情がどうであったのかはわからぬが、その時の曹操の行いは曹操自身の引け目にはなっても、間違った行動とは決して言われなかったのである。


魏にとってあの場で助かるべきなのは他の誰でもなく“曹操”であり、例え長子といえども何人もいる曹操の息子の1人などでは絶対になかった。


それが天下を目指す男たちの真理(・・)なのだ。




「私が、今ここで息子の手を離せば自分だけは助かるかもしれないと・・・そう(・・)思った次の瞬間、私の手から息子の手は離れていったの。」


来珠が意識して手を離したわけではなかったが、その絶妙なタイミングは誰より来珠自身に自分への疑いを呼び起こした。


そんなことを一瞬でも考えたがために息子は命を落としたのだと、そう思えた。


その後なんとか助かりながらも自分で自分を責める来珠の上に、更に夫の罵声が浴びせられる。



「何故息子でなくお前なんか(・・・)が助かったんだ?!」

「母でありながら何故自分の命に代えても息子を助けなかった!?」

「やはりお前は、“気狂い季芳”だ!」

「この“子殺し”!俺の息子を返せ!」



・・・今思えば、夫も自分が堤を切ったせいで我が子が死んでしまい、助けられなかった罪に怯えていたのかもしれないと思う。

愚鈍で体は大きくとも、気は小さく常に父や兄の命じるままにしか動けなかったのが来珠の夫だった。

そんな男には、この大事件の中で妻を労わるような“大きさ”などなかったのである。




呪詛(じゅそ)のようなその言葉は、来珠に染み込み、ただでさえ自責の念にかられていた来珠を(さいな)み、生きる気力の全てを奪った。


「自分が助かるために子を見捨てた私は、“子殺し”と呼ばれ、いつの間にか堤を切った罪も全て背負わされていたの。・・・処刑されたのも驚くほど早かった。」


村人も役人も、うやむやの内に来珠1人に罪を着せ、この事件に早く幕をひきたかったのである。


そして、我が身を責めていた来珠は、それに一切抵抗をしなかった。


絶望の果てに殺され、処刑されることに救いさえ感じていたのかもしれない。






そして、ようやくこれで全てが終わると思っていた来珠・・・いや劉備の魂は、また直ぐに転生したのである。


今度も最下層の住人の娘に生まれた劉備は、貧しい生活を余儀なくされて再び命を脅かされる危機に陥った。



「・・・そして、私はまた何よりも“自分”の生に執着したの。」



追い詰められた最後の最後で劉備はやはり“自分”の命を惜しむ。

泥をすすり、這いつくばり、他の何を犠牲にしても“自分”が生きようと足掻く。


それは醜悪(しゅうあく)とも言えるほどの姿で・・・



「私は(けが)れているの。転生を繰り返し“自分”が生き延びるために私がしてきた行いはあさましいほどだわ。・・・私はもうとうの昔に“劉備”ではなくなっているのよ。」



かつて劉備であり、その記憶を深く刻まれているがゆえに誰より生に執着し、転生を繰り返した魂は、既に“聖人君子の蜀の皇帝”とはかけ離れた存在になってしまったのだと桃は言う。




「あなたたちの知っている”劉備“は、もうどこにもいないわ。」




桃は、そう言って顔を伏せた。


自分でも呆れる程に情けない“話”だと思う。


世の中には、どれほど転生を重ねても光を失わない魂とてきっと存在する。

どれほど劣悪な環境の中でも清らかな魂もある。


自分の話は自分自身を正当化するための“言い訳”にもならない泣き言なのだと桃は承知していた。



それ故に誰にも言えず、桃は自分の弱さを1人隠して生きてきたのだ。






その時・・・



「人が生き延びようとあがくのなんか当たり前でしょう!」



ひどくきっぱりとした叫び声がその場に響いた。

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