クリスマス 8
暗いお話を早く終わらせたいのでちょっと頑張って書いています。
次話もできるだけ早く投稿したいと思っています。
「私は・・・季芳は、間違いなく自分の息子を殺したの。」
そう言って桃は、ポロリと涙をこぼす。
桃が倒れた騒ぎから1時間後。
仲西邸の大きな広間の一角で、桃はそれでもしっかりとした声で話していた。
聞いているのはパーティーに参加していた1年の仲間たちと仲西だ。全員心配そうに桃を見ている。
・・・桃は、もう黙っていることはできないと判断したのだった。
意識を取り戻し、哀しい程に澄んだ瞳で明哉を見た桃の判断に、明哉も賛成した。
ただし、自分は桃の側を離れないと主張した明哉は、今は桃の後ろに黙って立っている。
その様子に集まった仲間は軽く眉を顰めたが、ただならぬ雰囲気に文句を言う者は誰もいなかった。
仲西は桃が呼んだ。
騒ぎを起こして迷惑をかけたのだから理由を聞かせぬわけにはいかないだろうと思ったのだった。
当然、覇月や荒岡をはじめとした他の2年生たちも桃の倒れた理由を聞きたがったが、桃はそれを断る。流石にそんな誰にでも話せるような勇気はなかった。
悔しそうに唇を噛む年相応の少年のような覇月の姿に、桃はほんの少し笑う。後で仲西や剛からどんな風に伝えてもらっても良いからと言って・・・そして、桃の話は、はじまった。
聞いている者たちの顔は徐々に色を失っていく。
・・・桃は、まず自分が劉備として生きて死んだ後に、何度も転生を繰り返した事を打ち明けた。
信じられぬように桃を凝視する仲間たちに、次いで劉備の直ぐ後の転生だった漢安の農民の妻、来珠の話をする。
「来珠として私が生まれたのは、多分240年代の前半だと思うわ。」
貧しい農家に生まれた来珠には自分の生まれた年を正確に知る術などなかった。ただ来珠が10歳になる前くらいに呉の大帝が死んだという話が風の便りで流れてきたのを覚えている。孫権が亡くなったのが252年だから、その当時8〜9歳だったのならば、確かに来珠は240年代前半の生まれと考えていいだろう。
「・・・私がまだ生きていた時に、既に生まれ変わっていたのか。」
戸惑いながら仲西が呟く。
死んだはずの劉備が、自分の存命中にまるっきりの別人となって存在していたという事実は、なんだか仲西を混乱させた。
「会いに来てくれれば良かったのに・・・」
衝動的に呟いて、すぐに仲西は後悔する。
桃は哀しく笑った。
「呉に行こうという考えはなかったわ。私は物心がつくと同時に当然のように成都に行こうとしたから。それが叶わぬなら蒋エンを呼べと命じ、蒋エンが死んだと聞いた後は費イに会わせろと叫んだわ。・・・来珠のあだ名は”気狂い季芳”よ。」
無理もないだろう。
幼い子供・・・しかも女児が、自分は蜀の皇帝劉備の生まれ変わりであると主張し、諸葛亮亡き後の大将軍たちに会わせろと叫ぶのだ。誰だってその子は気が狂っていると思うに決まっている。
「それでも来珠が殺されなかったのは、その容姿がとても美しかったためなの。」
幼いながら来珠は、透きとおるような白い肌と整った顔立ち、引き込まれるような黒い瞳に小さな赤い唇、すんなりとした手足を持った、このまま育てばさぞやと思わせるような美少女だった。
貧しい農家にとって見目良い女児は将来の金づるだ。多少言動がおかしくとも殺さず生かしておく理由としては十分だった。
桃の話を聞いていた仲間たちが、来珠の行く末を想像して全員眉間にしわを寄せる。
悪い予想通り・・・来珠は15の歳に生まれ育った農家より多少裕福な、村長といったような立場にある大きな農家の次男に嫁がされた。
相手は最初の妻を病で失った30歳の男で、来珠はその男の後添えとなったのだった。
”気狂い季芳”には過ぎた相手と言われたその婚姻は当然金で売られたものであり来珠に選択権はなかった。
「もっともこの頃には私は、全てに絶望していて”おかしな”言動はなくなっていたのだけれど。」
当時蜀は、諸葛亮の軍事的後継者であった姜維の度重なる北伐で国力が疲弊してきており、その滅亡への傾きは、漢安の農村部で暮らす来珠のような者たちでさえも感じ取れるほどのものとなっていた。
それに焦った来珠が、居ても立ってもおれずに度々脱走を企てれば、そのたびに捕えられて手ひどい折檻を受けるという事が繰り返されており、来珠の気概は徹底的に圧し折られていたのだ。
来珠の唯一の価値と見なされていた顔や体に後々まで残るような傷こそつけられないまでも、拘束されて監禁され、数日経てば治るような傷が絶えることのない日常に、幼い来珠の体は耐えることができなかったのだ。
聞いていた翼が、突然自分の拳を仲西邸の大理石の床に叩き付ける。
ゴッ!!という痛そうな音が響いたが、翼はもちろん周囲の誰もその事を気にもしなかった。
誰もが唇を噛みしめ怒りをこらえる。
桃は目を見開き、翼を心配し声をかけようとしたが、明哉に止められ話を続けるようにと促される。
少しためらってから・・・桃はまた口を開いた。
「その頃には私は、どれほど努力しても今の自分の立場ではどうにもならない事を悟り、周囲に逆らわないようになっていたの。」
・・・女であること。
・・・農民であること。
・・・虐げられる立場であること。
来珠は、何も出来ない自分自身に絶望していたのであった。
幸いにして来珠の夫となった男は、愚鈍ではあるが優しく朴訥な大男であった。
来珠のような見目麗しい女子が自分の伴侶となったことを大層喜び、来珠を大切にしてくれた。
来珠が直ぐに懐妊し翌年、玉のような男の子を産んでからは、なお甲斐甲斐しく来珠と我が子に惜しみない愛情を注ぐ良い夫となった。男の前妻は体が弱く来珠との子が男にとってもはじめての子であったのも大きかったのだろう。
来珠は、農民の妻として傍目には幸せな生活を送っていたのであった。
その生活の裏で、来珠が我が身を内側からゆっくり炙られるようなジリジリとした痛みと、どうにもならないことへの絶望にどれほど苛まされていたとしても、時は過ぎる。
ついには、子供が4歳になった時、魏のトウ艾が蜀に侵攻し、姜維らが命を賭けて抗戦している最中に、宦官の言いなりになっていた劉禅があっさりと魏に降伏してしまい、呆気なく蜀は滅亡してしまった。
それでも農民の妻でしかない来珠には何もできず・・・そしてまた、そんな農民の暮らしは蜀が滅亡しても何一つ変わらなかったのだ。
どれほど絶望しても本当に何も変わらない。
いつしか、来珠は、このまま一生を過ごし朽ちていくのが自分の運命なのだと受け入れていた。
そしてその翌年、子供が5歳になった時・・・漢安一帯に、大雨が降ったのだった。




