オリエンテーション合宿 1
「“軍学”と一言に言っても、それは幅広く奥深い学問だ。単純な用兵・戦術といったものから始まって戦史や政治、地理、気象、工学に広がり、哲学や心理学にまで行き着く。お前達はこれから1年の間に広義的な基礎を学ぶ。その後2年に進級する際には進路選択をしてもらう。戦争哲学や軍事気象学、軍事史を学ぶ“人文科学系”、軍事工学や医学、作戦演習を学ぶ“自然科学系”、戦争法や軍事行政、戦略学を学ぶ“社会科学系”の3つだ。ここでは中国戦法だけでなく西洋戦法、近代戦法も自由に学べる。資料も設備も講師も世界有数のものが用意されている。しっかり学べよ。」
体格の良い大柄な教師が大声で説明する内容に、桃はがっくりと項垂れる。
オリエンテーション合宿初日。
各教科の勉強方法や今後の授業内容の説明の中の“軍学”の説明である。
(疲れた・・・)
当然だろう。オリエンテーション合宿の行われる施設は・・・なんと北海道にあった。
飛行機だけで1時間30分。総距離ほぼ1千キロの大移動である。
しかも移動の全ては、チャーター便や貸切バスだ。
どこの豪華ホテルかと思うような研修施設と広大な敷地の研修場で、これから1週間、桃達1年生特別クラスは合宿を行う。
つくづく規格外の高校だった。
ちなみに普通クラスの合宿場は都内にある。できればそちらに参加したかった桃である。
疲れ切った頭に“軍学”の説明は・・・許容オーバー気味だ。
幸いな事に、それは桃だけではなかったようで、周囲の生徒達も一様に不安そうな顔をしている。
それもそうだろう。彼らのほとんどは実戦で戦ってきた兵士達である。孔明や華歆、張昭といったような文官ならまだしも、剣術等の腕だけで戦乱を切り抜けてきた武将達に、戦争哲学や戦争工学、軍事行政などと、いきなり言われても戸惑うだけなはずだ。
大柄な教師は、そんな彼らに安心させるように笑いかける。
もっとも、強面な顔の笑みは、凄みが増して恐ろしいだけではあるが・・・
「安心しろ、お前達の全てが小難しい理論を理解する必要はない。“軍学”の評価は実戦が9割だ。理論などわからなくとも、わかる者の指示に従って体が動けばそれで良い。お前達の多くがしなければならないことは体を鍛えることと・・・自分達が信じてついて行くことのできる“主君”を選ぶ事だけだ。」
(主君・・・)
桃は、苦々しく思う。
転生して、実態はどうであれ表向きには身分差など存在しない世界に生きることになった者達が、自ら膝を折る“主君”を求める。
もちろん、この学校の“軍学”の授業でいう“主君”は、三国志時代のような、世界にたった1人の、天命を受けた唯一至尊の“皇帝”ではない。あくまで“軍学”の課程を履修する上での便宜上の自分達を纏める指揮官だ。
そう固く考える必要性などないのかもしれないが・・・
「この合宿の間にクラス対抗の競技会を行う。」
ニヤリと笑った教師の宣告にざわめきが広がる。
「明日から日を追って、剣術、弓術、体術、馬術の競技を行う。各競技参加人員は、各クラスから10人。競技をダブって参加することはできない。・・・つまり誰もが必ず何らかの競技に参加しなければならないということだ。」
1クラス40人で4種の競技を行うのだから計算は合う。
「一日間を空けて最終日に総合的な模擬戦闘を行う。・・・各競技は個人戦で優勝者は50点。徐々に少なくなってビリは1点の点数を貰う。模擬戦は当然団体戦だ。優勝クラスに50点最下位は10点だ。点数のトータルでトップに立ったクラスが6月の体育祭までの間、1年の仮代表になる。本代表は体育祭の成績で決める。」
聞いている生徒達の目の輝きが変わってくる。
各人、各クラスとも目指すは全校制覇だ。
これはそのための前哨戦となる位置づけだろう。
「わかったら解散だ。各クラスで早急に話し合って誰がどの競技に出るか決めろ。決めて、夕食後20時にクラス委員は参加名簿を持って第一会議室に集合。競技の説明や注意事項の伝達を兼ねた学年委員会を開く。・・・さあ、急げ!参加競技が早く決まれば、それだけ早く練習できるぞ。“兵は神速を尊ぶ”のだろう?」
言い回しが少々違うのではないかと思ったが、急がなければならないのは確かなので、生徒達は各クラスに割り当てられた教室に移動を始める。
桃もまた疲れた体で立ち上がった。
翼と理子が両脇に付いて来る。
多川と利長、何故か渡辺も一緒に出口で桃を待っていた。
合流し桃を囲むようにして6人は進む。
翼と理子が、何だかんだと賑やかに話しかけてくるので、桃は気づかなかった。
ごく自然に周囲の生徒達が下がり、彼らの前に道を開けてくれることに・・・
そして、それに対して自分が何の違和感も抱かず、当たり前の事として受け入れてしまっている事に・・・
桃は気づけなかったのだ。
「話し合いを始める前に、ひとつ提案があります。」
1年1組が全員揃った、割り当てられた教室で多川が真面目な顔で話始める。
「意島先生は私達に前世に引き摺られるなと注意されました。当然の事ですが、しかし此処に集った私たちには少々難しい事でもあるでしょう。」
確かに多川の言うとおりである。
前世に何かしらの思いがあるからこそ皆この高校に入学してきたはずだ・・・もちろん、桃以外はという事だが。
「ですから、私達が今“此処”に生きているのだということを忘れないために・・・お互い“名前”で呼び合う事にしませんか?」
(?・・・はっ?)
桃の目は点になった。
・・・何だ、それ?
「前世では、名を呼ぶことはタブーでした。字で呼ぶのもごく親しい者達の間だけです。しかし、ここは現代の日本です。お互い名前で呼び合いましょう。そのことによって、私達は自分達が三国志時代にいるのではないことを実感できるはずです。」
ごく真面目に言われれば、それもそうかと納得しそうになる理由だが・・・
「え〜っ!・・・何だよその建前論!・・・本音は俺達と同じように“桃ちゃん”を名前で呼びたいだけだろう!?格好つけやがってムカツク!!」
翼が憮然とした声を上げ、理子が「そうよ!そうよ!」と大声で賛同する。
「・・・建前は大切ですよ。何より此処は日本です。」
ニッコリと笑って多川は翼達に言い返す。
確かに建前論は日本人の価値観かもしれないが・・・
(・・・建前なのは、否定しないのね。)
桃は・・・呆れ果てて声も出ない。
翼の言うのが本当だとは思わないが、名前で呼び合いたいという願望が多川にはあるのかも知れないと、桃は思う。
(あんまり友達が、いなさそうだものね・・・)
美形だから女子にはモテるだろうが、昨日から窺い見る性格では同性のうけは良くなさそうである。
何気に失礼な感想を抱いて見れば、何故か桃を見ていた多川と目が合う。
笑いかけられて・・・背筋に悪寒が走った。
「という事で・・・“桃”・・・私を“明哉”と呼んでくれませんか?」
物凄い艶を持った声で、“桃”と呼ばれて体が震える。
「ちょっと待て!!名前はともかく!何でいきなり呼捨てなんだ!?俺だって“桃ちゃん”としか呼んでないのに!!」
大声で翼が抗議する!
「私達は、クラス委員ですからね。みんなに手本を見せる必要があります。」
「サラッと嘘をつくな!!」
「嘘など言っていませんよ。」
「下心を隠しているだろう!」
「隠さなくては下心とは呼べません。」
翼と多川が睨みあう。
どちらも一歩も引かない構えだった。
(いや・・・この理由で睨みあうとか、ないでしょう?)
やっぱり”下心”は否定しないのだなと、もう何も言う気力がなくなった桃を見かねて(?)利長が2人の間に入った。
怒鳴る翼を宥める。
「落ち着け、益徳。確かに多川・・・いや、明哉の言う事も一理ある。特に貴公は暴走しやすい。名前を呼ぶことが、貴公を戒める一因になれば得策だし・・・それに、この案が通れば、貴公だって正々堂々“桃”に“翼”と呼んでもらえるのだぞ。」
利長に“明哉”と言われた際に、多川が顔を顰めたのが多少気になるが、それよりもこの説得で、「まぁ、それは嬉しいし・・・兄哥が、そう言うのなら。」と納得しかけている翼に、桃はいろいろと突っ込みたい!
(益徳!お前は、雲長に言いくるめられ過ぎだ!)
・・・っていうか、利長も当たり前のように“桃”と呼ぶのは何なのだ?
見れば、大多数の生徒達が、うんうんと頷いている様子に・・・桃はドン引きする。
中には何か”妄想”しているのだろうか?うっとりと桃や理子を見つめる生徒もいる。
一体、どうなっているのだ!?このクラスは?
「どうやら決まりのようですね。・・・さあ、遠慮せずに私の名前を呼んでください。・・・“桃”?」
美しすぎる顔が迫ってきて・・・桃は顔を引き攣らせる。
・・・1年1組が各人の出場競技を決めたのは・・・全クラスの中で、一番遅かった。




