ホームルーム 3
多川の名乗りに、おぉ!というどよめきの声が上がる。
そんな周囲に多川はニッコリと笑いかけた。
「もっとも“孔明”は私の他にも何人もいるようですから迂闊に信用なさらないように。・・・まぁ、私が“本物”ですがね。」
艶やかに笑う姿に・・・・皆こいつが“本物”だと、微妙な気分で納得した。
脳裏に前世の丞相の姿を思い出し、嘆息する者がほとんどだ。
「今更私の自己紹介もいらないでしょう。かわりに私は・・・奏上したい。」
纏う雰囲気を一変させ、多川は急に真面目な顔で前方を向いた。
(え?・・・奏上って、何を?)
答えはすぐに知れた。
「臣亮言。先帝創業未半、・・・」
形良い口から流れ出てきた言葉に桃達は固まる。
(これって・・・出師の表?)
“出師の表”とは孔明が軍を出す際に、劉備の子”劉禅”に奉ったものである。
多川は淀みなく言葉を続ける。
(!・・・まさか、全文を述べるつもり?)
思い至った全員が顔を蒼ざめさせた。
何で?・・・今更!・・・ここで?・・・”出師の表”など聞かされなくてはならないのだ!?
ちょっと待て!!と全員が思ったが・・・孔明に面と向かって言える者はいない。
自然にみんな、担任の意島を見つめた。
・・・意島が苦い顔をして多川を遮る。
「止めろ。ホームルームが終わらない。」
「先生は、自己紹介の長さと内容に制限はつけられませんでした。・・・私は陛下に、陛下亡き後どれほどの覚悟を持って生きたかをお伝えしたい。このクラスに陛下がおられる可能性が少しでもある限り止めるつもりはありません。」
多川は、そう言い返すと再び出師の表を述べ始める。
その理由に桃は唖然とし、意島はますます苦い顔になった。
(なんて・・・自己中なの・・・)
いや・・・わかってはいたが・・・
呆気にとられていた桃は・・・苦い顔の意島と、何故か目が合う。
「何とかしろ!」
言われた桃は・・・後ろを振り返った。
「お前だ!相川!!何スルーしている。」
「え?」
・・・てっきり桃の後ろの誰かに言ったのだと思ったのに・・・
桃は驚いたように、自分の右手人差し指で、自分自身を指差した。
「そうだ。お前だ。」
不機嫌そうに意島が肯定する。
「なんで!?」
桃は素っ頓狂な声を上げた。
何がどうして私なのだ!?
「今日のお前は1年の代表だ。責任もって止めさせろ。」
「はっ?」
バカも休み休み言って欲しい。1年1組1番だから代表にさせられた桃に、どんな責任があると言うのだろう?
「そんな無茶な!」
「無茶でもやれ!ホームルームが終わらなくても良いのか?」
言われて桃はグッと詰まる。
確かにそれは嫌だった。
今は話すのを止めて桃を面白そうに見ている多川に視線をやる。
キラキラと無駄に綺麗な顔に、うっすらと笑みが浮かんでいた。
・・・ダメ元だ。
「多川くん?」
「はい。」
「時間がないので止めてくれませんか?」
恐る恐るの桃の言葉に多川は考えるように首を傾げる。
「それは、命令ですか?」
「・・・お願いです。」
桃と多川の目が真っ直ぐにあった。
何を考えているかわからない瞳を・・・桃は見返す。
(あぁ・・・)と思った。
(懐かしいな。)とも。
孔明の瞳はいつもわからぬ何かを持っていて、その目を見るのが前世の桃は好きだった。
自然に桃の顔にも笑みが浮かぶ。
多川の目が驚いたように見開かれた。
暫く見詰めあってから・・・
「わかりました。貴方の願いを叶えましょう。後でその分の見返りを貰います。良いですね?」
孔明は信賞必罰を旨とした人物だ。この場合はギブアンドテイクと言うのかもしれないが、なんてずうずうしいのだと桃は思う。
元凶は間違いなく多川なのに、何故桃が見返りを与えなければならないのだろう?
慌てて抗議しようとした桃を遮って意島は、次の生徒に自己紹介を促した。
この機会を逃したくないのかもしれないが、あんまりだと桃は思う。
じっとりと意島を睨んだ。
同じように自己紹介は進み・・・ついに桃の番になる。
桃は覚悟を決めて立ち上がった。
既に翼たちには話してある内容の自己紹介をした後で、桃は意島にむかって質問する。
「何故、このクラスには私のような一般人の前世を持った者がいないのですか?」
桃の質問に意島は呆れたようにため息をついた。
他の生徒も驚いたように桃を見てくる。
「相川、お前はこの高校の事を知らなすぎだ。」
「え?」
「せめて、パンフレットくらい目を通せ。」
桃は目を瞬く。
確かに桃は貰ったパンフレットを見た事がないが・・・どうしてわかるのだろう?
「見ていれば、そんな質問が出るわけがない。」
訝しそうな顔をしていたのだろう。桃がきく前に意島は答えた。
もう一度ため息をついて言葉を続ける。
「詳しい説明はオリエンテーション合宿で行うが・・・この高校の特別クラスには他の高校にはない必須の履修科目がある。」
必須科目ということは、その科目の単位がとれなければ卒業どころか進級もできないということだ。
「科目名は・・・“軍学”だ。」
「は?」
聞き間違いかと思った。
「その科目で1年間を通じて模擬戦を行う。」
「・・・模擬戦。」
口がポカンと開いた。
意島の言葉は無情に続く。
「1学期は学年ごとに、2学期以降は全校で覇を競う。その過程での個々の動きを評価して、成績を決める。」
「・・・それが必須科目ですか?」
「そうだ。及第点をとれなければ落第だ。」
・・・道理で一般人がいないはずだった。
いくら入学できても卒業どころか進級もできないのであれば入るわけがない。
呆然とする桃に、意島は楽しそうに笑いかける。
「安心しろ。どんなに赤点をとっても履修できる方法がひとつだけある。」
驚いたように桃は顔を上げる。
意島が桃を見ていた。
まるで射抜く様な強い瞳に、桃は縫いとめられる。
「全校を”制覇”することだ。3月の卒業式までに全てを治めたクラスに在籍する者は、その間の成績に関係なく“軍学”を履修したと認められる。」
それは、この1年1組に全学年を制しろということか?
そんなことが可能なのか?
答えは聞かない内に意島の口から語られる。
「もっとも1年が全校制覇したのは、2年前、今の3年が入学した年だけだがな。現生徒会長の吉田がいたクラスがそれをやった。・・・その吉田にしても、昨年は今の2年の仲西が邪魔をして1年を従えられず全校制覇はできなかった。全校制覇を成したクラスが出た事自体、ここ最近は2年前のその1回のみだ。」
入学式で見た吉田と仲西の顔が思い浮かぶ。
曹操と孫権・・・あの2人がいて全校制覇など夢のまた夢だ。
それなのに・・・
「全てを”制覇”しろ。・・・相川。」
意島の目は笑っていない。
桃はその目から視線を反らせない。
「そうすればこのクラスは文句なしに全員進級だ。・・・もちろんお前もな。」
桃は唇を噛んだ。
やはりこの高校に入学したのは間違いだったと・・・桃は心底後悔した。
「・・・という事で、クラス委員は相川と多川だ。いいな?」
「え?!」
呆然としている暇もなく突き付けられる言葉に桃は我に返る。
「何が、“という事”なんですか?!」
「自己紹介を聞いた結果だ。妥当なせんだろう?」
意島の言葉が桃には理解できない。
この男は何を言っているのだろう?
「どこが妥当なのですか?多川くんはともかく!何故私が!?」
多川は諸葛亮だ。多川が委員なのは納得できる。
だが桃はただの農民の妻だ。桃が選ばれる基準がわからない。
「え〜?俺は、桃ちゃんで良いよぉ。センセーのナイス判断に賛成!」
わけのわからない茶々をいれるのは翼だ。理子も私も!と声を上げた。
桃がギロリと2人を睨むが、2人は嬉しそうに笑って返す。
「私にはできません!」
「やりもしない内からできないは止めろ。」
こんな時だけ教師のようなセリフを吐く。
ギリギリと歯を喰いしばりそうな勢いの桃を止めたのは多川だった。
「私も君で良いよ。・・・いや、君が良いかな。」
「多川くん!」
「さっきの貸しを返してくれるかな。」
「!!」
桃は目を見開く。
「クラス委員を引き受けてくれれば、さっきの貸しはチャラにしよう。・・・君は、新入生代表挨拶で偶然にしろ故意にしろ1年全体を救った。その事実は他クラスへの良い牽制になる。陛下が未だ名乗りを上げていない今、君は・・・“うってつけ”だ。」
何の“うってつけ”だと言うのだろう?
聞くのが怖かった。
これで用は全て済んだとばかりに、意島はホームルームを終わらせる。明日以降のオリエンテーション合宿の集合時間や場所と言った事務的な連絡を簡単にして、さっさと出て行ってしまった。
・・・桃は、立ち直る暇もなかった。
未だ呆然として魂が抜けたように自分の席に座り込む桃を、心配そうに翼と理子が覗き込む。
「何で・・・?」
できるだけ目立たない平穏な高校生活を願っていたのに・・・
何が悪かったのか?
桃にはわからない。
ポツリと呟かれた桃の疑問に、明確な答えを返してくれる相手は・・・誰もいなかった。




