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それは、思いもよらぬ拾い人(3)

 その頃、パーティー会場の扉の前ではシーザが姿を消して既に数十分が経過していた。

 トイレに行くと走っていったまま、なかなか戻ってこないシーザにやきもきしながら、臣下達はまだかまだかとしびれを切らせていた。

 それで何度かシーザを探しに行こうとした者もいたが、その度クールに「大丈夫だから」と止められた。

 しかしあまりにも遅い。会場にいる来客を待たせるのにもさすがに限界がある。

 今のこの状況をどう思っているのか――未だ会場に入らないまま、相変わらずの平静な面持ちで扉の前に立っているクールに、辛抱たまらなくなった臣下の一人が声を掛けた。

「クール王子、これ以上来賓の方々をお待たせするのは……」

「分かっている」

 クールは横目に臣下を見て一言返事を返すと、視線を扉に戻ししばらく考える。

(兄上が覚悟を決めるのに、少しくらいは時間が必要かと思ったが……)

 自分だけならまだしも、来客をこれ以上待たせてしまうのは申し訳が立たない。そのせいで、臣下達にも落ち着きがなくなってきているのも確かだ。

(仕方ない……か……)

 臣下達に聞こえないよう溜め息混じりに呟きながら、クールは「先に会場に入る」と一言宣言した。クールの決断に、臣下達からほっと安堵の声が聞こえた。

 せっかく兄上の華々しい晴れ舞台が見られると思っていたのに――そんな気持ちでいっぱいだったが、それでも平静を装い、クールは臣下達の方に向き直る。

「これだけ待って戻ってこないとなると、兄上の身が心配だ。またどこかで気を失っているかもしれない。何人かは兄上を探しに向かってほしい」

「はっ! 了解いたしました」

 シーザ側についている臣下三名が名乗りを挙げ、シーザが走っていった方へと向かった。

 本当は自分自らが兄を探しに行きたかった。しかしそれは、立場上無理だという事はクールが一番よく分かっていた。

(……兄上……どうか、ご無事で)

 シーザ捜索に向かった臣下達を見送りながら、クールは兄の無事を祈り、残った臣下達と共にパーティー会場内へと入っていった。




 一方シーザはというと、只今人生最大のピンチを迎えていた。

 生か、死か――二者択一の状態に頭の中が真っ白になりかけている。

 後ろは無数に長針の突き刺さった扉、そして前には自分を「始末する」と言った侵入者の少女。

 このままいつもみたいに気を失ってしまえれば楽かもしれない――

 しかし何故だか今夜はやけに頑張ってるな、自分の精神力……と、シーザ自身も驚いていた。

 怖いはずなのに。逃げ出したいはずなのに。

 どうしても目の前の少女から目が離せなかった。

 緊張で喉の奥がヒリヒリする。ごくりと息を飲むと同時に、冷や汗が頬を伝った。

 しかし視線はずっと、目の前に立っている少女に向けたまま。少女も無言でシーザを見下ろしている。

 ほんの数秒の沈黙が、とても長く感じられた。

「じゃあ、覚悟してもらおうかしらね」

 その一言で先に沈黙を破ると、少女は膝をついて座り、シーザに目線の位置を合わせた。そして手に持っていたペンライトをそっと床に置く。遠くからだと弱々しく見えた灯りは、近くに置くと思っていたよりも随分明るい。

「……っ……」

 斜め下から照らされる光に、闇夜に慣れたシーザの目が眩む。

 やばい。このままだと本当に――

「あ、あのっ……ちょっと待っ……」

 ゆっくりと近づきながら手を伸ばす少女に、シーザは喉の奥から精一杯声を振り絞った。

「大丈夫。すぐに終わるわ」

「いやっ……その……そうじゃなくて……! い、命は奪わないって言ってたじゃないか!! これじゃあ約束が……」

 約束が違うじゃあないか!!

 必死になるあまり、最後の方が言葉にならなかったが、叫ぶようなシーザの訴えに少女はぴたりと止まる。

「何よそれ? さっきも言ったけど、あんたの命まで取ろうなんて思ってないわよ」

 そう言うと、シーザから少し離れてやれやれと溜め息をついた。

「え……で、でもさっき『始末する』って……」

「そりゃあまあ、人を呼ばれないようにするくらいの『後始末』は必要でしょ? 私はこの後、使用人の1人として紛れるつもりなんだから、あんたに正体バラされたりしたら元も子もないの」

「……あ……ああ……な、なるほどね……」

 シーザは少女の言った『始末』の意味を理解した。

 少女の言う『始末』は、殺す事ではなく後片付けの意味だったらしい。

 それならば……と、シーザは続けて少女に質問する。

「じゃ、じゃあ殺さないのなら……私は君にどう後始末されるんでしょうか……?」

 あまり聞きたくない内容だが、これは1番気になるところだ。少女の様子を恐る恐る伺いながら返事を待った。

「え? そりゃあ……とりあえず叫ばれたら困るから口塞ぐでしょ? それからー……あとは動けないように、身体の関節を2、3ヶ所外しとけば朝までは大人しくしててくれるかしらね」

 簡潔かつ笑顔で、少女からの答えはあっさりとそう締めくくられた。

「ああ~……なるほど~~……私は口塞がれてから関節を2、3ヶ所外され……ってえぇっ!?」

 少女の笑顔につられて、思わず聞き流してしまうところだった。

 関節外す!? それって明らかに尋常じゃないじゃないか!!

「わかった? じゃあ、そういう事だから」

 目の前の少女は右手の指をポキポキ鳴らしながら、有言実行と言わんばかりに再びシーザに近づいてきた。

「い、いやっ! ちょちょっ……ちょっとお待ちくださりませぬかっ!!」

 勢いで叫んで、思わずおかしな言葉遣いになってしまった。

「もうっ、今度は何!? いい加減さっさと済ませて、さっさと戻りたいんだけど!!」

 再び出ばなをくじかれて、少女は不機嫌そうな顔をする。

「あ、あのー……本当に関節外すんでしょうか……?」

「そうよ。折らないだけまだ親切でしょ?」

 いや……親切とか、そういうのじゃなくて……

 シーザは自分の言わんとする事を少女に理解してもらうべく遠回しにあれこれと訊く。

「で、でも……それって痛いんですよね?」

「そりゃあ、多少はねぇ……」

「痛くて叫んじゃいますよね??」

「……まあ、普通は叫ぶかもね」

「叫んじゃうくらい痛いんですよね???」

「……要するに、あんたは何が言いたいの?」

 シーザの続けざまの質問に、少女は切れる一歩手前といった様子で、静かにドスをきかせて訊き返した。

「今夜の出来事は絶対に、誰にも喋りませんので……い、痛いのだけはご勘弁くださいませっ!!」

 そこには、大の男が涙をちょちょぎらせて年下――だと思われる――少女に土下座する、憐れな姿があった。

「……あのねぇ……」

 年甲斐もなく命乞い――とはいえ、命まで取る気はなかったが――する目の前の男の姿に、少女はただただ呆れるしかなかった。



 シーザが土下座したまま、またしばらく沈黙が続き、結果、先に折れたのは少女の方だった。

「わかったわよ……そんなに嫌なら、関節外すのはカンベンしてあげるから。とりあえず、あんた見てるとこっちまで情けなくなってくるから頭上げなさ――……ん?」

 途中まで言いかけて、何かに気づいたようにまじまじとシーザを見やる。

「え……ええぇっ!? ちょっ……ちょっとぉっ!!??」

「あ、あのー……どうかしまし……っつ……ったたたた! ちょっ……ちょっと痛っ……!! い、痛い! 痛いって!!」

 突然声を張り上げたかと思うと、少女はいきなりシーザの前髪を掴んで自分の方に引き寄せた。

 床に置いていたペンライトを拾い、シーザの頭に近づけて再度確認する。

 先程までは影の明暗でよく分からなかったが、シーザの髪は鮮やかなまでに金色だった。

 金の髪に青い瞳――それはこの国では王族を象徴する色である。

 それは王都周辺の各領は元より、近隣の国々にも伝わっている事であった。ましてや王都の住人ならば、知らない者はいないくらい当たり前のように認知されている。

「この髪……あんた、王族だったの……!?」

「え……ええまあ……恥ずかしながら、私はこの国の第一王子ですね」

「…………」

 シーザの肯定する答えに対して、少女は無言だった。

 少女に無理矢理引き寄せられたシーザは、うつ伏せのまま少女に膝枕される状態になっていた。

「あ、あのー……っつつ、何か不都合でもございますのでしょうか……?」

 髪引っ張られたままで痛いけれど、これはこれでちょっと気持ちいいかもー……などと余計な事を考えながら、シーザは少女の膝の上で訊いた。相変わらず、言葉の語尾にはへっぴり具合がうかがえたが。

「……じ……ない……」

 シーザの問いを聞いていたのか否か、独り言のようにぽつりと少女が呟く。

「え……? 何か言いまし……っ……ぶぎゃっ!!」

「信っ……じられないわっ!!」

 突然そう叫ぶと同時に少女は勢いよく立ち上がり、右足で床に力強く一歩踏み込んだ。

 少女の膝の上に顔を乗せていたシーザは、当然のように受け身をとれるはずもなく、当然のように床に顔面強打した。しかも少女の右足の一歩は、シーザの頭部にのしかかってきた。

 足元にシーザがいるのを知ってか知らいでか、踏み込みの力強さにもまったくもって容赦ナシだった。

 しかしそんな事はおかまいなしに、その体勢のまま少女は言葉を続ける。

「こんな……へっぴりで、貧弱そうで、教養なさげで、バカでかい図体以外とりえなさそうなヘタレ男が王族……しかも王子ですってぇ!? っざけんじゃないわよ! こちとら金稼ぐのに毎回身を粉にして働いてるってーのに、こんなモン養う為にバカ高い税金払わされてるかと思うと、ハラ立つ具合も割り増しだっつーのまったく!!」

 そう言いながら、少女は一歩前に出した右足で床を――いや、正しくはシーザの頭を――ガスガスと二度三度、思いっきり踏む。

 今まで放心状態に陥る度、弟や臣下達から対処法に喰らわされていたものとは到底比にもならない程の衝撃に、シーザは別の意味で意識を失いそうだった。しかもそれで、何だか顔が床に埋まったような気がする。

 溜まっていたのであろううっぷんを叫び終わった途端、少女ははっと我に返った。

「……っと、いけない、いけない! 大声出して他の誰かに気づかれたら元も子もないわね」

 自分に言い聞かせながら、ひと呼吸置く。

「まあ、あんたが王族の人間なのなら丁度いいわ。ちょっと聞きたい事があるんだけどー……って、あら?」

 少女は、先程まで目の前にいた男の姿を不思議そうに探す。

「おっかしーわねぇ……さっきまで目の前に……」

「……あ……あの……ココ……で……す…………」

 少女の足元で、シーザが弱々しく右手を挙げながら答える。

「……人が質問しようとしてるのに、ソコで何してんの? あんた」

 少女は、足元で顔を床に埋まらせているシーザを見下ろしながら、軽蔑するような眼差しで尋ねた。


 いや、そもそも私がこうなったの君のせいだし!

 顔が床に埋まってるのも、君が思いっきり踏んだからだし!!

 しかもこの人、自分でやったの気づいてないし!

 ふざけんなはこっちの台詞だ!!!


 そういちゃもんつけてやりたかったが、生憎とシーザには少女に反論する気力も、当然の事ながら度胸もなかった――




「――……で、私に聞きたい事とは一体どのような事でございましょうか……?」

 埋まっていた床からなんとか抜け出し、シーザは何故かその場に正座して少女と向き合っていた。

 少女に踏まれて、床にめり込んだわりには、顔はさほどたいした傷を負っていない。

 やはり耐久性だけは人並以上のようだ。

「ある人物の『名前』を探してるの」

「?? な……名前……ですか?」

 少女の妙な答えに、シーザは自分の耳を疑い、思わず訊き返した。

「そう。『名前』よ」

 少女の答えは変わらない。

 名前を探す? 人でも物でもなく、誰かの『名前』を探してる??

 シーザの頭の中は「?」マークでいっぱいだった。

「そうね……100年くらい前かしら……。その頃にちょっとした不都合があって、王族の家系図から抹消されている家系があるの」

「は、はあ……そうなんですか……?」

「で、私が知りたいのは、その一族の正式な名前なんだけど、何かそれっぽい話で知ってる事があれば教えてほしー……」

「…………??」

「……かったけど、あんたのその顔から察するに知らないみたいね、何も」

 明らかに初めて聞く事のように、ぽかんとしているシーザの顔を見るなり、少女は言葉の最後を言い変えた。

「ええ……まあ、近年の歴史でさえさっぱりですから、さすがにそこまで古いとちょっと……」

「あんたに期待した私がバカだったわ」

 少女は残念さと呆れとの両方ではぁ、とため息をついた。

「お役に立てず、申し訳ないデス……はい……」

 シーザは少女に謝りながら、すまなさそうにうつむいた。

「ま、気にしないでちょうだい。そう簡単に分かるような事なら、今の今まで苦労してないんだし。ここの資料も、一応コピーはとってみたけど、それに関してはあまり期待できそうにないしね」

「あ、あのー……そんなに大事なんですか……? その人物の『名前』を知るのって……」

 唐突に、シーザが少女に質問を投げかけた。

 聞いてもいい事なのかどうか、考えるよりも先に言葉が出てしまっていた。

「……その質問は協力したい意思から? それともただの興味本位?」

 無表情で自分を見下ろす少女の視線にしまったと思い、シーザはすぐさま弁解する。

「あ、いや……言いたくないなら別にスルーしてくださって結こ……」

「私はね、そいつに生かされているの」

「……え……?」

「これは、アイツが私にかけた『呪い』だから」

 ぽつりと呟くように返ってきた少女の答えに、シーザは驚く。

 少女はそのまま言葉を続ける。

「探してるのはその『呪い』をかけた張本人の名前よ。アイツの本当の名前を知らない限り、私はこの先ずっと、前にも後にも進めない」

「…………」

「目覚めてからずっと、その『名前』を探す為だけに生きてきた……そして、これからも。たとえあと何十年、何百年かかってでも絶対に見つけ出すわ……」

 そう言いながら少女は天井を仰ぎ、ゆっくりと瞳を閉じた。

 自分の目の前にいるその少女の姿からは、決意や信念――……そういった一言だけでは表しきれないような、深くて重い何かを感じた。


 自分に呪いをかけた相手の名前を知る為だけに費やしてきた、今までの人生。

 そして、今後も名前を探し続ける為だけに費やされる、これからの人生――……


 何十年とか何百年とか、気の遠くなるような話に、シーザはまた頭の中がごちゃごちゃになり始めた。何十年はともかく、何百年探すのは無理だろ、なんて事はこのさいこっちに置いといて。

 そういえば自分が今まで辿ってきた人生ってどんなものだっただろう……?

 楽しかった? 辛かった? 充実してた??

 さすがにもうこの歳になると、小さかった頃の思い出も断片的にしか記憶にない。

 子供の頃は、勉強もそれなりに楽しかったような気がする。

 今みたいに王権がどうのの話なんかもなく、クールとも仲良く一緒に遊んでいたものだ。

 庭の木に登って降りられなくなったりとか、庭の池にはまって溺れそうになったりとか、大書庫の奥にある王族以外入室禁止の部屋の扉を開けようとして怒られたりと――……ん?


 王族以外入室禁止の部屋……??


「あ! そうだあの部屋!!」

 しばらくの沈黙の中、シーザが突然声をあげた。

 天井を仰いだままだった少女は、思いがけない声に少しびくりとしてシーザを見下ろす。

「ちょっ……イキナリ何? びっくりするじゃないの」

「あの部屋になら、君が探しているモノの手掛かりがあるかも!!」

「……あの部屋……?」

 話の状況がイマイチよく理解できず、少女は顔をしかめた。

「ええっと……この書庫の奥に、代々この国の王が管理している秘密の隠し扉があるんだ。昔そこを開けようとしたら、父……コーデリア王に随分叱られた事があって……。王族以外立ち入り禁止みたいだし、もしかしたら重要な資料とか置いてあるんじゃないかな……?」

 少女のご機嫌を伺いながら、シーザは恐る恐る説明する。

「……ちょっとソレ、かなりイイ手掛かりじゃない!?」

 少女の不振げな態度は、その話で一変していた。

 そして少女はシーザの前にちょこんとしゃがみ込み、目線を合わせると、満面の笑顔で訴えかけてきた。

「じゃ、早速その部屋とやらに案内してちょうだい」

 先程自分に向かって飛んできたナイフを手に握り、その刃をひたりと頬に当てられながらだったが。



「ええっと……確かこの辺りだったと思うんだけど……」

 本棚がずらりと並ぶ書庫の奥で、壁伝いに置かれた本棚と本棚の隙間を覗き込みながら、シーザは昔の曖昧な記憶を頼りに扉を探す。

「ちょっとー、まだ見つからないのー?」

「し、しばしお待ちくださいませじょ……」

 語尾に思わず「女王様」とつけそうになったのを、シーザはあわてて押し止める。

「バレたらマズイんだから、早くしなさいよね」

 少女は特にシーザを手伝うでもなく、本棚に設置された長ハシゴに座り、持っているナイフを手の中でくるくると弄びながら待っていた。

 その様子は、傍から見るとまさに「女王様とその下僕」だった。


 しばらく探していると、壁に取っ手のような突起物が出ているのに気づく。隙間に腕を伸ばし、シーザはその突起物を引いた。

 すると前に設置されていた本棚が左右にスライドし、その奥から古ぼけた扉が現れた。

「あった……! この扉……」

「ナニ? 何か出てきたの!?」

 棚の動く音に反応するように、少女がシーザのところへ駆け寄る。

「へぇー、見るからにアヤシイわね」

 少女はそう言いながら、現れた扉に近づいてあちこち調べ始めた。シーザは後ろで、ただただ少女の行動を眺めていた。

「扉のノブはー……ないわね。でもロックされてるみたいだから、扉を開けるキーがこの辺に……っと、あった! って……げっ」

 扉のキーを見つけたと同時に、少女は奇妙な声をあげた。

「……『げ』……?」

「……これって……」

 扉を開けるでもなく、そのまま呆然としている少女の様子にシーザは疑問を感じ声を掛けた。

「あのー……どうかしました……?」

「……最悪だわ……」

 少女が呆然と見つめるそのキーは、何桁かの数字を入力して解除するパスワード型のものだった。

「……これで扉を開けるみたい……ですね」

「あんた、ここのパスワードが何か聞いて――……る、ワケないか」

 質問しかけて、少女はこれ以上シーザをあてにするのをあっさり諦める。

 隣でぽやんとキーを眺めるシーザの姿を見れば、知っているはずがないのは一目瞭然だった。まあ子供の頃に一度だけ近づいた扉なのだろうから、それも当然だろう。

「開けられそう……ですかね?」

 シーザが心配そうに訊く。

「ま、まあ、入力してたらいつか当たるんじゃない?」

 少女はかなり根拠のない曖昧な返事を返す。

 手掛かりゼロな中でのパスワード解除は途方もない作業だったが、それ以外方法は思いつかない。

 少女はとりあえず片っ端から適当に数字を入力してみる。

 『ビーーーッ』

 不正パスワードのエラー音が当然のように鳴る。少女は気にせず、そのまま入力を続ける。

 『ビーーーッ』 『ビビーーーッ』 『ビーーーーーッ』

 入力をする度、エラー音が何度も鳴った。

 無言で数字を打ち込んでいた少女の様子が、エラー音を聞く度にみるみる豹変していく。体をぷるぷる震わせ、イライラしているのが後ろで見ているシーザにも伝わってくる。ボタンを押す動作もどんどん力任せになっていた。

 もう何度目かになる入力も――

 『ビーーーーーッ』

 相変わらずのエラー音だった。少女は入力していた手をぴたりと止め沈黙する。

 それと同時に今回は、


 ブチッ


 という、聞き慣れない音もした。

(え……ぶ……『ブチッ』……?)

 先程までとはあきらかに様子のおかしい少女に、シーザは恐る恐る声を掛けようと手を伸ばしたが、少女から放たれる異様な覇気に弾かれた。

 そしてすっと顔を上げたかと思うと、

「こんの……ただの解除キー畜生が、人間様にたてついてんじゃねぇぞゴルァーッ!!」

 少女はものすごい形相で叫びながら、キーに容赦なく拳を叩きつけた。


 少女のパンチをモロにくらったキーは、バキッと壊れる音と同時に、けたたましい警報音を書庫中に鳴り響かせた。

「あ……ヤバ……」

 我に返った少女は、バツの悪そうな顔でそう呟いた。

 勢いあまって、思わずいつもの悪い癖が出てしまった。

「えっ? ええっ!? あ、あの……一体何が……」

「逃げるわよ!!」

「えっ……あっ、ちょちょ、ちょっとーっ!?」

 警報音にあわあわと慌てふためくシーザの襟首を掴むと、少女はそのまま急いで書庫を飛び出した。

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