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新聞におれたちのことは何ひとつ載っていなかった。おれたちのことはおろか、あのサイキックの双子に関しても、だ。さすがに拘置所が壊滅したことは隠し通せないので、一面に出ていたが、原因は目下調査中、などとまあ、いけしゃあしゃあと書かれていた。
そんなお粗末な記事にさえ、市民が納得してしまう要因は確かにあった。ワットではないが、何が起こるかわからないのが、この現代。この世界だ。いつのまにかアパートの隣の四畳半にIBが引っ越してきても。ある朝、胸騒ぎのする夢から覚めると、一匹の多脚ワームになっていたとしても、不思議ではない。起こりうる原因が現実の中に必ず見つかるのだ。
先の戦争によって、夢と現実の境界が破られてしまった感がある。アフリカのある場所で誕生した人類が、やがて世界じゅうに拡散したように。イズラウンで生れた禁断のテクノロジーは地上を焼き尽くし、狂おしい夢の断片をまき散らした。燠火のように、それらは今も灰燼に帰した世界のどこかに埋もれ、赤々と息づいている。
アマリリス。
そして、アリーシャ。
彼女たちこそ最も強烈な燠火であり、火の娘たちであり、夢を継ぐ者たちであろう。
あのあと、コードネーム”カヲリ”は約束どおり、おれたちを解放した。といっても、アリーシャはすでにその場にいなかったのだが。麻薬中毒者と血染めのコックを倒した時もまた、彼女はいつのまにか姿を消していた。「掻き消すように」という、古い怪談の常套句がぴったりの消えかたで。哀しみに満ちた眼差しの余韻をのこして。
娑婆に復帰して二日経ったが、何者も連絡してこない。おれ一人が文字どおり蒸発したところで、たい勢に影響はなく、ひょっとすると人一人の存在感なんて、こんなものかもしれない。派手に走り回ったせいで体の節々が痛く、アマリリスを見舞いたかったが、とても出歩く気になれなかった。
部屋でぼんやりと煙草をふかしながら、なぜかレイチェルのことをよく考えた。
周りが静かなせいで、よけい隣室が気になるのかもしれない。世の中から数日で忘れ去られるおれと違い、いなくなって日が経つにつれて、彼女の存在感は増すようだ。昼も夜も、亡霊のように、彼女の気配ばかりが、壁を抜けてこの部屋をうろつきまわる。耳もとに息吹を感じて、ハッとうたた寝から覚めることもある。
そんなときは心なしか、部屋の中に甘い香りが漂っている。
二葉が浴室等に仕掛けたモニターを覗くのも、いつのまにか日課になっていた。情けない話だが、映像を呼び出すたびに、おれの胸は高鳴るのだ。シャワーの音が聞こえた気がして、這うように駆け寄り、スイッチを入れたことも再三ある。むろん、期待したものは何も映っていなかったけれど。
すでに真夜中を回っているのだろう。雨がぱらぱらと窓を打ち、やがて通りすぎた。
目覚めなければならない理由があるのだが、それが何かわからない。意識の底のほうでもがくばかりで、体は闇に沈んだまま、眠りを貪り続けることを欲していた。
温かい闇。
低血圧のおれには不似合いなほど温かい、そしてどこか懐かしい闇の中に、ずっと沈んでいたかった。こんな闇から抜け出して、おれは何が悲しくて銃を振り回し、血を啜って生きてきたのだろう。他者を壊し、自分を壊しながら、いったいどこへ向かうつもりだったのだろう。ひたすら無意味な欲望に引きずられて……
「ずいぶんうなされているな。おかげで、考え事に集中できない」
カヲリの声。ということは、二段重ねの夢を見ているとおぼしい。眠りから覚めたつもりが、それもまた夢であったという。おれはつぶやいた。
「だいぶ前からだ。見る夢の九割は悪夢ときている。自分の悲鳴で目が覚めたり。何者かをぶん殴ろうとして、ベッドから落ちそうになったり」
「ならば、わたしも貴様の夢に登場する資格があるな」
「こんなふうにね」
「なるほど。よい夢を続けて見れるまで、枕を取り替えたらどうか」
「本気で言っているのか? きみにしては、不合理な提案じゃないか」
ねっとりと、闇は囁き声を通じて皮膚に絡みつき、すべての毛穴から侵入して、神経を麻痺させる。気配の濃さに比べれば、意外に感じるほど匂いは薄い。けれども存在と分かち難い匂いが、かすかに、だが確実に闇の底に居座っている。もしもガラスに香りがあれば、ちょうどこんなふうだろうか。
おれは痛いほど勃起していた。
「コストと結果が見合っていれば、試す価値はあると思うが。時に人は、夢に食い殺される場合がある」
仰向きに横たわったまま、全身麻酔にかけられたように体が動かない。ずきずきと脈動する男根ばかりが、闇の中で唯一血を通わせ、息づいているようだ。ほかのすべては気配だけの亡霊にすぎない。おれもカヲリも、とっくの昔に死んだ人間であり、ただの形骸なのかもしれない。