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37(4)

 黒猫の全身が粒子に解体され、灼熱しながら膨張した。いわゆる質量保存の法則が、ここでどのように書き換えられているのか、おれにはわからない。宇宙を構成する物質のほとんどが、まったく解明されていないという。いわゆる暗黒物質を呼び寄せて、かれは膨張するのかもしれない。

 目には目を。炎には炎をというわけか。火炎が生き物のように渦を巻き、凝縮した。四肢があらわれ、耳まで避けた口が空を呑むほど開かれた。野獣の咆哮。それはまだ想像上の動物であった頃の獅子をおもわせる、爬虫類じみた姿をしていた。尖った耳。たてがみは燃える炎で、全身もまた灼熱した金属のようだ。

 ただ眼ばかりが、象嵌されたサファイアのように冷たく燃えていた。

 これまでの剣や聖杯のカードとは、明らかに規模が異なる。巨大な燃える獅子が着地したところへ、アリーシャは駆け寄り、背中に飛び乗った。燃え盛るたてがみに、なかば上半身をうずめた姿勢で身構えた。おれはカードの中の「女力士」を、目の当たりにする思いがした。

「プルートゥ!」

 彼女が鋭く叫んだ。猫の名前は攻撃的な呪文のように響いた。咆哮。燃える獅子が後ろ足で地を蹴ると、そこから炎が巻き上がった。真紅の尾を引きながら、真っ直ぐに突進するさまは、地上の彗星をおもわせた。

 前方で爆発が起きた。残り二台のチャペックが屠られたのだ。結果的にかれらの犠牲は、プルートゥが「変身」する時間を与えた。血の色に揺れる巨大な壁を背景に、兄弟は同時に振り返った。真円形に見開かれた眼は完全に白濁して、もはや生命の痕跡を留めていない。それでも二人の表情には、驚愕の色がありありと浮かんだ。

 兄弟の顔面が一斉に輝いた。まるで頭部が爆弾と化して破裂したように見えた。強烈なハロゲンライトなみの光量があり、おれは銃を持つ手を思わず面前にかざした。次に襲うであろう爆風を予想して、前方に身を投げ出し、地面に伏せた。

 轟音と震動。そいつは予想以上にすさまじく、もしあと一秒でも長く突っ立っていたら、奇麗なローストチキンができあがっていただろう。味は保障の限りではないけれど。

 おれは子供の頃、人工衛星の発射実験を一度だけ見たことがあるが、プルートゥの飛び上がるさまは、ちょうどあれと似ていた。煙こそ吐かなかったが、すさまじい火花を上げながら、ほぼ垂直に舞い上がり、たちまち一点の星と化した。対して、落下してくる速度は、優雅なまでに遅く感じられた。

 古人が想像した幻獣のように。宙を駆るような動作で、斜めに駆け下りてくるのだった。

 兄弟は砲台と化した首の角度を上方に修正した。頭部が交互に閃光を発した。そのほかの動きは全く同じなのに、発射するタイミングだけは自在にずらせるのだ。真紅の魔弾が、ほとんど間隔を開けずに獅子を襲った。螺旋を描くように回避しながら迫る間も、連続攻撃は一向におさまらない。

(こいつらのエネルギーは、無尽蔵なのか?)

 一発がプルートゥの側面に命中した。赤い火花が弾け、咆哮とアリーシャの悲鳴が響いた。炎に包まれて落下した獅子のもとへ、おれは駆け寄った。けれどプルートゥは身を低くして衝撃に耐え、汗馬のように胴震いすると、まとわりつく炎を弾き飛ばした。通常なら軍用チャペック同様、木っ端微塵になっているところ、一種のエネルギーシールドを発生させたらしい。

 アリーシャは燃えるたてがみの中に、ぐったりと身を伏せていた。おれは熱くて近寄ることさえできないのに、彼女が火傷ひとつ負っていないのは、プルートゥと超時空的にリンクしているからかもしれない。血染めのコックを倒したとき、黒い翼をみずからの背にまとったように。

「アリーシャ、だいじょうぶか?」

 眠りから呼び覚まされたように彼女は顔を上げ、かすかに微笑んだ。それでもまだどこかうつろな眼差しでこう言った。

「足は速いほうでしたね、マスター」

「あ、ああ。人生そのものから遁走を続けているほどに」

「頼もしいです。右、半分、左、でお願いします」

「了解した」

 燃える幻獣の背の上で、アリーシャはゆっくりと身を起こした。髪の毛が真紅の炎と化しているように見えた。目で合図を交わし、左右に分かれて同時に駆け出した。この間に兄弟が攻撃しなかったのは、やはりエネルギーを溜める必要があったのだろう。おれは両手に銃を持ち、けれど撃鉄はまだ起こさなかった。

 兄弟の頭部が輝いた。おれは左側へおもいきりダイブした。頭上を獅子が逆方向へジャンプするのが意識された。銃を握りしめたまま、クレーターの斜面を前方へ転げ落ち、推進力が止まったところで、左側にいる兄の足を狙って、わき目もふらずに銃を撃ちまくった。

 相手の足が踊った。兄弟は連帯を乱されて、プルートゥへの連続攻撃をことごとく外した。燃える獅子は、まず弟の上に覆いかぶさった。野獣が肉体を粉砕する音が響いた。弟が屠られている間、兄はただ呆然と立ち尽くしていた。やがて目の中の蒼白い光が消え、がっくりとひざまずくと、真紅に炎上した。

 おれはプルートゥのほうをかえりみた。幻獣の背の上から、アリーシャは燃え上がるサイキックの残骸を無表情に凝視していた。

 彼女は泣いていた。

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