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服を身につけたあと、彼女はさっきまでおれが読んでいた本を、指先でぱらぱらとめくっていた。何を話せばよいのかわからないまま、おれはぼんやりと煙草をふかしていた。いよいよ本日最後の一本になるが、火をつけずにはいられなかった。
「カードを」
思い出したようにつぶやいた。アリーシャは顔を上げて小首をかしげた。
「はい?」
「返してもらったのか。あれはその……大事な商売道具だろう」
微妙な表情で、盗聴されているのだと念を押した。彼女は微笑んで、ワンピースの腰の辺りに手を添えた。布地が厚くなっている部分が折り返され、例の不思議なカードがワンデッキ、掌の上に落ちた。ちょっとしたホルスターといったところか。
やはり、カヲリはカードの秘密に気づいていないようだ。たまたま見なかったのか、位置によるものか。いずれにせよ、もし目撃していれば、すんなりと返したりするまい。しかるべき機関に送られ、時間をかけて解析を試みるだろう。同様に、プルートゥの「変化」にも気づかなかった様子だが……
(もしかして計算に入れていたのか?)
おれは弾かれたように立ち上がった。不法ギルドの男を倒した時と違い、プルートゥを自身の体に纏う形をとったのは、「読み取り機」のカラクリを第三者の目からくらませるための策略ではなかったか。
そう大声で質問しそうになり、慌てて言葉を呑みこんだ。微笑を浮かべたまま、アリーシャはかすかにうなずいた。慣れた手つきで、カードをカットしながら言う。
「例えばここから一枚抜き出したとします。それが何のカードか、もちろん見るまではわかりません」
心を読まれたとしか思えないほど、絶妙な答えだ。しかも動作とあいまって、監視者の目にも不自然に映るまい。どうやら「カラスの聖杯」のカードは偶然に引かれたものらしい。
「偶然は存在しない、と、わたしたち占者は考えています。問いかければ、カードはしかるべき答えを与えてくれます。本来は必ずしもカードである必要はないのです。例えば空に問いかければ、必ず何らかのカタチがあらわれるのですけれど、読みとるのは至難の技です。カードの中には、この世界で起こる全ての現象が、象徴として網羅されています」
カードを切りながら、訥々と話す声を聞いていると、気持ちが安らぐようだ。話の内容は、なかなかラディカルなものがあるが。
「するときみは、例えばおれが一生の間にどんなことをして、どんな死に方をするか、生れた時から決まっているというのかい」
「あるいはそうかもしれません」
「しかし陳腐な言い回しだが、人生は選択の集積じゃないか。右へ行くべきか左へ曲がるべきか。何の気なしに左を選んだばっかりに、人生がガラリと変わってしまう場合だってある。それもまた偶然ではなかった、と?」
「おそらくは。ただしカードでは、人間の一生を俯瞰的に見ることは難しいのです」
「得意分野でない?」
「はい。比較的近い未来の限定された出来事であれば、手に取るようにわかるのですが」
彼女は手をとめて、どこか放心したような表情を見せた。唇が半開きになり、うつろな視線があらぬところを彷徨った。
「疲れてるんじゃないか。四日間、みっちり聴取を受けたんだろう」
カヲリに聞かせるつもりで、口調に皮肉を込めた。おそらく彼女は、アリーシャが本当に強化人間か、もしくはサイキックだと疑ったに違いない。どうも後者を念頭に置いていた感がある。当然「医学的な」検査が徹底的に行われただろうし、その過程で強化人間の疑いは晴れるだろうが、サイキックの検出は極めて困難だ。よって自白に頼るしかなくなる。
過去にはサイキックの被疑者に対する凄惨な拷問の実態を、いろいろと耳にした。首長連合はどういうわけか、かれらを目の敵にしていたフシがある。けれど、最も危険視されていたのはパイロキネシスをもつ不満分子などであり、アリーシャが見せたような、人体そのものを変化させるサイキックなど聞いた試しがない。
カヲリほど聡明な女が、荒唐無稽な妄想を追うとはどうしても考えられない。疑いを抱くからには、必ず何らかの根拠がある筈だ。
「取り調べはすぐに済みました。あとはほとんど、眠っていたようです。一度目を覚ました気がしますが、夢だったのかもしれません。蒼いダイオードの灯りの中で、裸にされて横たわっているようでした。ごぼごぼと何かが泡立つ音が聞こえ、どこかでしきりに意見を言い合っていました。体は少しも動きませんでした」
「そのあと自白を強要されなかったか?」
静かに首を振った。目を覚ますとすぐに、ここへ連れて来られたという。次の質問は監視カメラの手前、口に出すべきかどうか迷ったあげく、率直に切り出した。
「最初に聴取したのはサングラスの女だろう。きみは何を話したんだい」