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35(3)

 ようやく混乱がおさまる頃には、シャワーの音が聞こえてきた。温かい雨のように、その音は心に染みた。すっかり感電したようになったまま、どさりとソファに腰をおろした。実際に、指先がまだぴりぴりするようだから、ある種の電流を本当に浴びたのかもしれない。

 煙草に火をつけて、垂直にたちのぼる煙をぼんやりと眺め、それから入り口のほうへ目を向けた。アリーシャを押し込んだきり、依然、ドアは閉ざされたまま。床には強化人間用の手錠が、グロテスクなワームの屍骸のように転がっていた。

 おれは眉をひそめ、ぼんやりと天上を見上げると、また温かい雨の音に耳をかたむけた。褐色の肌の上を、水がなめらかに伝うさまが浮かぶようだ。が、しかし、

(カヲリは何を考えている?)

「話がある」から、おれを連行したのではなかったのか。この部屋に放置したきり、四日の間、一度も姿をあらわさなかった挙句、今度はアリーシャと二人きりで閉じ籠めておくつもりか。

 カヲリがアリーシャにどんな訊問を行ったのか、今のところわからない。後ろから見た限り、目立つ傷は確認できなかったが、拷問されていないとは言いきれまい。彼女がどこまで話したかにもよるが、次におれとの会話を盗聴して、新たな事実を引き出そうとしているのは明白だろう。

 頭を掻きむしり、たて続けに煙を吐いた。とにかく謎だらけで、何から考えるべきか、皆目見当がつかない。浴室に目を向けると、磨りガラスに彼女の裸身が、夢のようにぼんやりと浮かんでいた。

「アリーシャ、ちょっと質問していいか」

「はい」

「きみを取り調べていたのは、カヲリ……あのサングラスをかけていた女か。まあ、一人ではないと思うが、その女が常に指揮をとっていたのだろうか」

「そのようです」

 彼女の声の調子は、どこかフォックス教の巫女をおもわせた。巫女たちは死者の霊魂を自身の体に乗り移らせ、死者の言葉を語る。トリックかどうか問うつもりはないが、そのとき彼女たちの声にはエコーがかかり、遠くで響いているように聞こえるのだ。

 ともあれ、おれたちがまだカヲリの監視下にあることは、先に確かめておく必要があった。担当が替わっていたのでは、話がややこしくなる。いや、通常なら上司に引き渡すのが筋だろう。この部屋を勝手に使うだけでも、一武装警官の権限を明らかに越えている。となると、彼女は上に強力なコネクションを持っているのだろうか。

 竜門寺家に連なる家柄でありながら、血族とは距離を置いて栄えた大富豪の娘。クーデターの混乱の中で姿を消したあと、新政権の武装警官として、突如姿をあらわした……彼女もまた、あまりに謎が多い。

 いつのまにか、雨の音は止んでいた。ドアが開き、薔薇の香りのする湯気があふれた。おれは慌てて目を逸らした。

「腹は減ってないか。といっても、何もおもてなしできないが。あと二時間も待てば飯が配達されるだろう」

 声が上ずっている。我ながらくだらない質問だと思いつつ、子供じみた照れ隠しをしてしまう。思えば、同棲期間も含めて妻と暮らしていたのは、ほんの二年足らずであり、それ以外は基本的に女気のない人生を送ってきた。アマリリスは論外として、裸の女と一つの部屋にいるなど、非常事態にほかならぬ。少し間を置いて、彼女は答えた。

「お腹は空いていません。でも食事は楽しみです」

 ふぅわりと、微笑むさまが見えるようだ。訛りのあるアクセントが、妖しく耳をくすぐる。そういえば、アマリリスもちょっとアクセントがおかしいのだ。二人の声の質は、どこか似ているようだ。

「念のため先に言っておくが、この部屋は監視されている。カメラが仕掛けられているし、当然、おれたちの会話は筒抜けだ。警察に聞かれたくないことは、うかつに喋らないほうがいい」

「わかりました、マスター」

「えっ」

 思わず振り向いた。下着を身につけただけの、裸の背中がそこにあった。濡れた髪。肌はしっとりと潤って、内側から光を放つようだ。けれどおれが目を見張ったのは、その肌の上にあらわれた、いくつもの赤い線に対してだ。あるものは短く、あるものは長く、あらゆる方向に背中を這いまわっていた。

 入浴する前にはまったく気づかなかった痕だ。湯を浴びて、肌が熱を帯びることにより、浮き出たものに違いない。それも昨今ついた痕ではなく、何年も前に刻印されたものと思われた。アリーシャは恥じ入るように身をかがめた。

「ごめんなさい。かつてそう呼んでいた方の声と、とてもよく似ていたもので」

「そいつはきみを、ずいぶん痛いめにあわせたんじゃないか」

 彼女が小さくうなずくのを確認して、おれは唇を噛んだ。

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