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35(2)

(まるでオカルトだ)

 第一の試験体IBについて語れば、なおさらそれに近づく。俗に「バルブ」と呼ばれるこの伝説のIBは、神秘主義的なベールを幾重もまとって、巷間に語り継がれてきた。この本に書かれているのも、そんな巷説のひとつに過ぎまい。

『武装国家』の著者によれば、もともとバルブは、殺戮兵器として生み出されたものではなかったという。教団の最高指導者たちによって取り出された、「神の一部」なのだという。ところが、指導者の一人に「悪魔に憑かれた者」がおり、おのれの権力欲を満たすためにバルブを複製した。これが後に人類を滅亡寸前まで追い込んだ、イミテーションボディにほかならない。

 オリジナルのバルブの行方は、杳として知れない。この著者は、ツァラトゥストラ教団こそバルブの継承者だと主張するが、それが「物理的に」継承されたのか、それともあくまで精神的に受け継がれたのか、わざと明記していない。

 宗教の常として、ツァラトゥストラ教にも諸派がある。諸派どうしが、おのれこそ正統だと主張し、対立している。穏健派もあれば、例のジークムント旅団のようにテロリスト化した過激派も存在する。ただ根幹の部分で共通しているのが「超人」待望の思想であり、著者によれば、それこそがバルブだというのである。

 何らかの方法で地上に取り出された「神の一部」こそが、かれらが待望する「超人」にあたるというわけだ。

(やれやれだぜ)

 少々頭痛を覚えて、おれは本から目をはなし、背もたれに身を沈めた。短くなった煙草をさらに深々と吸い、溜め息とともに吐き出した。渦を巻く紫煙の中に、アマリリスの面影を見る思いがした。

 もしもこの本の説が正しければ、イミテーションボディとは、バルブのコピーにほかならない。ただし、コピーする段階で夾雑物、あるいは邪念が混じったため、ひたすら人類への憎悪に突き動かされた恐るべき殺戮兵器が生み出されてしまった……となると、鏡像の鏡像はオリジナルということにならないか?

(そうですね……ちょうどアルファベットのAを逆さにしたような)

 黄金色のカプセルを発見した経緯を語る、一朗だか一彦だかの声を頭から追い払いつつ、もはや指で挟んでいるのが耐えがたくなった煙草を揉み消した。ドアのほうで音がしたのは、そのときだ。

 食事の時間にはまだ早い。となると、ドアが開けられようとしているに違いない。ごく小さな音だったが、いつかこの瞬間が来ることを待ち構えていたおれの耳には、千人のオーケストラが掻き鳴らす『運命』の第一楽章に聞こえた。背もたれを乗り越え、素早く、かつ音をたてずに、ドアの横に貼りついた。

 当然、このての扉は内側に開く。看守の側からすれば、破りやすい反面、致命的な死角が生じる。息を潜めて待っていると、予期したとおり金具の外れる音がして、地獄の門は開いた。一人がやっと通れるくらいの隙間を作った。すかさずおれは死角から飛び出した。体をたわめ、看守に一発お見舞いしようと身構えて、そのまま凍りついた。

 目の前で、つぶらな目が瞬きをするさまが、いやにゆっくりと感じられた。

「……アリーシャ?」

 背後から突き飛ばされたらしく、彼女は数歩よろめいた。体がぶつかったところで、反射的に抱きとめた。薔薇の香りと、しっとりとした重み。面食らっている間にドアは閉まり、ロックされる音が重々しく響いた。どうやらおれの思惑は、しっかり読まれていたらしい。

 アリーシャは依然、後ろ手に強化人間用の手錠で拘束されていた。四日前と同じ、黒いワンピース姿で、多少憔悴しているが、一瞥した限りでは、傷ついているようには見えない。間もなく手錠から電子音が聞こえ、ロックの外れる音がした。後ろに回って力を加えると、容易にそれは外れた。タイマーで鍵が外れる仕組みらしい。

「だいじょうぶか? ケガは?」

 彼女は首を振った。さらさらと髪が揺れた。自身で手首をさするために腕をまくると、滑らかな褐色の肌に、締め付けられた跡が赤く浮いていた。

「でも少し疲れました。シャワーを浴びてもいいですか」

「それは構わないが……」

 かすかに微笑むと、アリーシャは首飾りを外すような動作で、背中に手を回した。そのまま一番上のボタンを外し、次に腕を下から回すと、無数のボタンを上から器用に外していった。ふっさりと、ワンピースが床に落ちるまで、おれはただ呆然と眺めていた。

 ずっとアマリリスに似ているように感じてきたが、黒い下着だけを残した彼女の裸身は、成熟した女性らしいラインを描いていた。背にかかる漆黒の髪は艶やかで、腰は妖しくくびれ、充実した臀部を引き立てつつ、舞踏家らしい、見事な脚の線へと続いた。圧倒的な薔薇の香りが、めまいを覚えるほどたちこめた。

「できれば、後ろを向いていてもらえますか。下着を脱ぎたいのです」

「あ、ああ。すまなかった」

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