表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/270

34(1)

  34


 目の前で黒猫が一振りの長大な剣に変化した光景を、忘れたわけではない。夢でも幻影でもない証拠に、一彦もまたそれを見たと証言した。おれたちの目撃談は完全に一致した。あれはいったい何だったのか、当然おれは一彦に尋ねた。物理的な法則を、完全に超えているではないか、と。

 物理的に説明のつかない現象は、魔術にほかならないのではないか。

 一彦は言う。

(例えばぼくたちは経験的に、鉄を堅牢な物質と考えています。鉄壁の防御、などと例えます。けれども、ちょっと熱を加えるだけで、この堅牢な物質は簡単に形を変えます。熱膨張なんか顕著な例でしょう)

(なるほど、こんな硬いものが、熱によってぐにゃぐにゃと形を変えて、剣にもなれば、フライパンにもなる。昔の人は、それこそ魔術を見る思いがしただろうな)

(実際に製鉄は、神の技とみなされたようですね。さらに突き詰めれば、あらゆる物質は震える原子から成ります。どんなにぶ厚い鉄の板も、原子、さらには素粒子の集合体に過ぎません。思うに、強力な磁場の中で、猫という集合体が一旦ばらばらに解体され、剣という集合体に再構築されたのではないか。と、今はそれくらいのことしかわかりません。あたかも……)

 カード占いのように。

 運命が時には猫となり、時には剣と化すように。

(ならば、あの黒猫は機械なのか? 実際に触れてみた限りでは、柔らかかったし体温もあった。眼が奇妙な光りかたをするとは思ったが、とくに変わった要素は見当たらなかった)

(例えばアマリリスさんは、柔らかいし体温もあるでしょう)

(……)

(そういうことではないでしょうか)

 アリーシャの持つカードが鍵になっているのは確実である。彼女は「剣」のカードを一枚抜き取り、プルートゥの首輪の上を滑らせた。剣が描かれているほうを、ほぼ水平に接触させた。首輪の模様を指して「読みとり機」のようだと言った、一彦の直感は当たっていたことになる。

 では、ほかのカードを接触させれば、プルートゥはまた異なる変貌を遂げるのだろうか。例えば、黒猫亭でちんぴらたちを激怒させたカードの絵柄が、双頭のドラゴンだった。もしあのカードを赤い首輪に読み込ませれば、プルートゥはどんな姿をあらわし、どれほどの破壊力をふるうのだろう。

 あの生ける屍を、弾丸も電気カッターも通用しなかった怪物を、それは一刀両断にした。たちまち焼き尽くした。ある意味それはアマリリスの左手を……すなわち、イミテーションボディを連想させずにはいられなかった。


 パイプだらけの壁の間を猫は走り、路地を抜けた。がちゃがちゃと背中の器具を鳴らしながら、おれは小走りに追いかけた。漆黒の小動物は、眼玉が緑色の光を放たなければ、影と区別がつかない。

 鼓動は徐々にボリュームを上げてゆく。プリミティブな打楽器のように、不穏なリズムでおれの胸を叩く。走っているせいばかりではない。それは不吉な予言と化して、何事かを囁き続ける。イーズラック語なのか。さらに古くて根源的な言語なのか、わからないけれど。

 通りの空気は、ぴりぴりと神経を掻き毟るような緊張をはらんでいた。闇に乗じて取り引きされる、欲望と快楽がかもす空気とは、明らかに異質な……やがて血の色をした回転灯が闇を薙ぎ、まともにおれの目を射た。ポリスカーに改造された背の高い装甲車が、何台も停まっていた。捕り物だ。

 野次馬が通りを塞いでいた。猫の姿はとっくに見失っていた。ただ不穏なリズムに導かれるまま、憑かれたように人垣を掻き分けた。娼婦のきつい香水のにおいや、怒号を遠くに感じながら、最前列に割り込んだ。

(よほどの兇悪犯か……?)

 四台の装甲車が、通りの両側を塞いでいる。その前に陣取って、武器をかまえた十数名の武装警官が包囲しているのは、たった一人の男である。最初、ぶかぶかの赤い服を着ているのかと思ったが、鮮血に染まっていることがすぐに知れた。もとはコックコートであったらしく、丈の高い帽子にもまた、血の斑紋が、まがまがしい模様のように飛び散っていた。

 見世物レスラーのように体格のいい男だ。極端な猫背で、両腕をだらりと垂らし、痙攣的に肩を揺らしていた。不自然な角度でねじ曲がった首。どろりと白濁した眼。歯を剥いて、奇怪な薄笑いを浮かべた口の端から舌を垂らし、腐ったような粘液を吐き続けていた。右手の先で銀色に光るのは、肉切り包丁のようだ。

(襲ってきた時点で、あの男はすでに死んでいた可能性が高いらしいの)

 おれは否応なしに、あの麻薬中毒者を連想せずにはいられなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ