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「竹本商事の者です。支配人の方ですか」
シルエットに近づき、軽く頭を下げた。見れば黒ずくめの痩せた男で、腕まくりしたシャツの先で、手袋だけが白かった。
「キノです。よろしく」
かすれた声。三十代なかばといったところか。げっそりとこけた頬。高い鼻の下に髭をたくわえていた。顔が青く見えるのは、映写機が放つ光のせいばかりとは思えない。この男、少なくとも昼間は、映画館の暗がりから一歩も出ずに暮らしているのではあるまいか。
キノ氏は立ち上がり、自身がかけていたのと同じパイプ椅子を開いて、おれに勧めた。器具をおろして腰かけると、ぎちぎちと鳴り、錆のにおいがした。おれは事務的に切り出した。
「弊社の推定によれば、そちらに発生したのは蠕動ワームQ5型、ゴクツブシかと思われます。規模にもよりますが、さほど時間はかかりません。さっそく駆除に入りたいので、案内していただけますか」
聞こえなかったのかと疑うほどの間があった。じっと画面に目を注いだまま、キノ氏はひょろ長い足を組みかえた。椅子の下には、ビールの空き缶やポップコーンの紙袋が、うずたかく溜まっていた。もう一度繰り返そうとしたとき、かれは口の端を歪める笑いかたをした。
「虫なら、きっとこの部屋のどこかにいるでしょう。だがご覧のとおり上演中でしてね。灯りをつけるわけにはいかんのです」
「ならば改めて出直しますよ。何時ごろ伺えば、都合がよろしいですか」
声にいらいらが出ないよう、注意しながらそう言った。またおとずれた沈黙の中、かれはスクリーンから目を離さない。小刻みに蠢く瞳に、蒼白い光が映っていた。
「あいにく当館はエンドレスで上映しておるのです。ご存知かと思いますが、この界隈は昼夜を通して往来が絶えません。ちょっとした連絡場所に、当館を利用するお客もいますのでね。もちろん、純粋に映画を楽しまれるお客のほうが、わたくしは好きなのですが。運営上、そうも言っておられません」
なるほど、ある種の受け渡しや、ある種の取り引きのための、「ちょっとした」暗がりを提供しているというわけだ。映画の料金とは別に、不法ギルドあたりから、場所代としていくらか受け取っているのかもしれない。となると……
「ひょっとして、今回の依頼は狂言ですか」
「狂言とは?」
「ワームなど最初から発生していないということです。駆除のために区が金を出しますからね。もちろん、業者側で報告書を書かなければ金は下りませんが。書類一枚で金を得られるので、引き受ける業者も多いのです。降りた補助金は折半するのが相場のようです」
「ほお。そんなこともなさるのですか」
「弊社に関しては、ご想像にお任せします。ただ、もしそのような契約でしたら、事前にご連絡いただくのが原則です。自分のような作業員ではなく、事務の者の伺う形となりますから」
キノ氏は感心したように瞬きすると、身をかがめて缶を一つ拾い上げた。栓を開け、すっかりぬるくなっているのか、盛大に吹き出す泡を器用にすすった。
「虫がいるのは本当ですよ。おっしゃるとおり、ゴクツブシでしょうな。すでに数人の客がトマトソース浸けにされておりますから。駆除してもらいたいと切実に願っておりますよ。ただし、映画を止めることはできない。継ぎ目にも場内を明るくできない理由は、さっき申し上げたとおりです」
おれは唸った。どこが「簡単な」仕事なのか。ワットの野郎は、わかった上で、おれに振ったに違いない。この時期に人出が足りないというのも、もちろん大嘘だろう。方法はひとつしかない。時間はかかるが、懐中電灯で端から端まで、しらみつぶしに椅子の下を照らしていくしかないだろう。
スクリーンの中では、まだ異星人の男女が、哲学的にシュールな会話を続けていた。こんな映画を撮るやつも撮るやつだが、好んで上演するやつも確実に頭がイカレている。おれは憤然と席を立ち、器具を背負った。後ろから一列ずつ調べることにして、椅子の下に用心深く光を当てた。さっそく一発めで、ぞろりと動く影をとらえた。
(けっこう大物じゃないか、おい)
たかだかゴクツブシといえども、闇の中に潜むワームには、ある種の凄味がある。体側に並ぶ無数の目が、光を浴びて赤く輝く。おれは懐中電灯を持ち替えて、背中の器具からノズルを外した。先端をワームに向け、トリガーを引くと、鑓の穂先状の蒼い炎が伸びて、たちまちワームを貫いた。
貫く場所をあやまてば、一メートル四方に体液を飛び散らせることになる。が、ギッ、という断末魔とともに、ゴクツブシは油で揚げたように跳ね上がり、引っくり返ったままぴくぴくと痙攣するばかり。もう一度、今度は弁を緩めて炎を浴びせれば、めらめらと燃え上がり、跡には虫の形をした黒い灰だけが残った。
もちろん、あまり気持ちのいい仕事ではない。これでまたしばらくの間は、遺伝子解凍した甲殻類が食えなくなる。
五席に二匹という、驚くべき確立で、ゴクツブシは潜んでいた。そのうえどいつもこいつも丸々と肥えていた。いったいこんな所で、何を食ってこんなに太ったのやら。とりあえず考えないようにしながら、黙々と作業をこなした。一人の客にわけを話して立ってもらえば、その下にもいた。ゴクツブシが燃え尽きるのを見届けたあと、かれは無言で映画館を出た。