表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/270

32(2)

 刷新会議に接収されたあとも、長いこと別館のほうは封印されていたのではなかったか。表向きの理由は、民間の利害が複雑に絡んでいるとかで、あながちでたらめでもあるまい。あのホテル自体、首長連合の病的な側面を象徴しているようなところがあった。スキャンダルの坩堝であり、言語道断な宴が、夜な夜な行われていたとも聞く。

 頬杖をついたまま、二葉は溜め息をもらした。

「さすがのわたしも、正直、疲れちゃったのよね。たしかに新任ということで、ずっと掃除ばかりやらされたけどさ。それとは別な意味で。あそこ、絶対変よ」

「出るのかい」

「出るのよ。使われていない部屋がほとんどなのに、中から変なもの音が聞こえるなんて、しょっちゅう。まるでこれから仮装舞踏会に出席するような、奇抜な恰好をした人物と廊下でたびたびすれ違ったし。振り向いたらもう消えているし。現に、泊り客や従業員が、たびたび消えてしまうみたいだし」

「消える? そいつはまるで……」

「ね。人食い私道を彷彿させるでしょう」

 鋭い視線を向けて、すばしっこく唇をなめた。

「ま、明日あたり、ようやく掃除地獄からは解放されそうだから。客室につくようになれば、少しは楽になるし。もうちょっと続けてみようと思うの」

「危険はないのか」

「わたしの実力は、例の私道で確認済みでしょう。それに泊まり客に関して、いろいろと引っかかることがあってさ」

「どんなふうに?」

 彼女は答えずに席を離れ、背中を向けて伸びをした。その姿勢のまま、くつろいだポーズとは裏腹な声を出した。

「新東亜ホテルの別館には、とんでもない客が泊まっているかもしれない」

 おれが突っ込んで尋ねる前に、二葉はくるりと振り返り、「そうそう」と言いながらポケットを探りはじめた。そこに無造作に突っ込まれていたのは、小さなチャックつきポリ袋に入れられた白い粉。休日の高校生のジーンズのポケットから出てくるには、あまりにも場違いなシロモノである。

「これに関しては、エイジさんのほうでも、ある程度の予想はついているんでしょう」

「Kr-13。通称、『クラーケン』」

「ハイ正解。そこまでわかっているのなら、わたしが兄貴や博士の受け売りを、くどくど並べる必要はないわね。ただでさえ、化学はちょっと苦手なんだから」

「博士だって化学は専門外だろう。しかし、やつ、いや、かれに回されたってことは、分析するのによほどてこずったのか」

「何を言っているのやら。この麻薬の正体は、刷新会議の科学班にだって、突き止められていない筈よ。人体実験こそ最良の手段なんだが。と、博士は言ったわ」

 変態博士の顔が目に浮かぶようで、おれは眉をひそめた。合成麻薬Kr-13の故郷もやはり、消滅した武装国家、イズラウンだと伝えられる。IBの誕生、ひいては第二次百年戦争の勃発に密接に関連しており、またその精製技術は、今では完全に失われているという。ゆえにこの麻薬を「新たに」作り出すことは不可能なのだ。

 不可能でなければならないのだ。

「人体実験ができぬ以上は、何とも言えんのだが。と、博士が言うには。ほら、エイジさんとカズ兄さんを襲った男がいたでしょう。あの男こそ、クラーケンに中毒していたんじゃないかと……」

「ちょっと待ってくれ。じゃああれは、クラーケンの副作用だったというのか?」

「そういうことになるわね。しかも驚きなのは、博士の意見によると、襲ってきた時点で、あの男はすでに死んでいた可能性が高いらしいの」

「あり得ない……!」

 混乱のあまり、頭を掻きむしった。鉄骨を手にした血まみれの男の姿が、ありありと浮かんだ。首は不自然な角度にねじ曲がり、目は白濁し、口の端からだらりと舌を垂らしていた。全身からたちこめる厭な臭いは、明らかに腐臭をおもわせた。

 それでもやつは、もの凄い力で鉄骨を振り回した。五発の弾丸にも倒れず、高圧電流を浴びてもなお、襲いかかってきた。あの時点で……男は死んでいたというのか。ではいったい、どうやって動いたのだ? 武器を持った大の男が二人がかりで取り押さえられないほど、すさまじい力がふるえたのだ?

 蒼古たる伝説にのみ聞く、夜歩く生ける屍のように。

 電話が鳴っていた。ずっと遠くで鳴っているように思えたが、ガラクタの棚に二葉が手を伸ばし、受話器を持ち上げると同時に、ベルの音は途絶えた。短い応対のあと、彼女は送話口を手で押さえ、おれに告げた。

「ワットくんから」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ