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4(2)

 憤懣やるかたない、といった調子でおれは席を立った。一朗が当惑した目線を弟に送り、一彦は片目を閉じて応えた。この、兄弟の瞬間的なやりとりを見てしまったおれの胸に、雷雲のごとき不安が広がった。が、もはや後には引けない状態。

「黒木くん、案内したまえ。吾輩もあとから行く」

 それまで直立不動を維持していた黒木の体が、ゆらりと揺れて、おれのほうを向いた。相変わらず一言も発しないまま、ついて来るよう目顔でうながす。

 白い背中に従いながら、彼女こそチャペック、いやロボットではないかと考えた。感情というものが全く感じられない。その点に関しては、ロボット以上かもしれない。例の七式に至っては、機嫌がよくない時の料理は確実にまずかった。意志とまでは言わないが、感情が流れているような気がしていた。

 ぎっしりと本が詰まった書棚の間を、ずっと奥へ進んだ。床には大邸宅の廊下に用いるような、細長い緋色の絨毯が敷かれていた。一箇所だけ、剥き出しの壁に銅版画がかかっていた。白い髭を床まで垂らした男が、古めかしい実験器具に埋もれかけ、周りを妖怪どもが飛び回る。中世といわれる時代の科学者……

 当時、かれらは錬金術師と呼ばれていた。

 突き当たりに、鉄の扉がひかえていた。思いきり眉をひそめたのは、汚染地帯を封鎖する扉とそっくりだったからだ。

 黒木は扉についたカバーを開けて、数字キーに暗証番号を入力した。次に、巨大な金庫をおもわせるハンドルを握ると、細い体に不似合いな力を込めて、きりきりと回した。扉が内側へスライドするとき、そのぶ厚さに、あらためて驚かされた。蒼い光とともに、白い冷気がわーっとあふれ出た。

 事実、その中は冷蔵庫なみに冷えており、おれは思わず首を縮めた。蒼い照明は薄暗く、ぶーんという音が腹の底まで響くようだ。たいして広くもない空間に、様々な機械がごちゃごちゃと積み上げられ、床はコードやチューブの類いで足の踏み場もないほど。無数の計器が明滅し、得体の知れない溶液が、ガラスの中でごぼごぼと泡を吹いていた。

 実験室の中央に横たわるのは、楕円形のカプセル。金色の、古めかしいバスタブを二つ上下に合わせたように、ぴったりと閉ざされている。ゆえに中は確認できないが、明らかに人一人横たえるのに、ちょうどいい大きさ……黒木に尋ねてもむだだと思い、おれは八幡ブラザースをかえりみた。

「この中に?」

 兄弟は同時にうなずいた。一彦は不敵に微笑み、一朗の顔は引きつっていた。

 カプセルはどことなく、貝殻をおもわせた。金色の貝殻が二つに割れて、いったい何があらわれるというのか……

「きみは処理班にいたそうじゃないか」

 ぎょっとして振り向いた。いつのまにか相崎博士が立っており、銀縁眼鏡の上から、凍りつくような眼差しをじっと注いでいた。おれは強いて笑おうとしたが、右の頬が痙攣したばかり。

「昔の話です」

「気取りなさんな。少なくとも、三頭委員会の時代より前でなければ、昔とは言わんよ」

 今度は左の頬が痙攣したが、笑おうとしたのではなく、怒りの爆発を抑えたためだ。処理班時代のことは話したくないし、思い出したくもない。まして茶々を入れられるなど、断じて我慢ならぬ。けれど、そんなおれの感情にはお構いなしに、博士は語をついだ。

「まあ、曲がりなりにも処理班にいたのであれば、きみはIBの専門家であったわけだ」

 IB。あるいは、イミテーションボディ。何度耳にしても戦慄を誘う言葉だが、博士の口から出るとなおさら、まがまがしく響いた。あり得ない話だが、まるで博士自身が、かれらの誕生に一役買っていたかのように。

 イミテーションボディという存在、もしくは概念を、一口に説明するのは難しい。むしろ、極彩色のパルプマガジンにおいて、三文画家が腕をふるうような、通俗的な怪物を想像したほうが手っ取り早いかもしれない。現に、おれは処理班時代、まさにそういった怪物を何度も目の当たりにしてきた。

 例えば、カマキリという昆虫は絶滅して久しいが、まさにあれとそっくりなIBと出くわしたことがある。ただし、牛二頭ぶんくらいの大きさがあり、複眼は四つ。全身は金属でコーティングされ、胸部には六対の巨大な鎌をたずさえていたけれど。その姿はまさしく、最も進化した死神といえた。

「今さら、おれが説明するまでもありませんよ。第二次百年戦争初期に投入された、言語道断な生物型殺戮兵器……」

 人間がかれらを制御できなくなるまで、さほど時間はかからなかった。ひとたび暴走が始まると、もはや誰にも止められず、百年にわたって、殺戮と破壊を繰り返した。改造された遺伝子の命ずるままに。人間への憎悪に、ひたすら駆りたてられて。

 極めて皮肉な話だが、イミテーションボディに対抗するためには、生き残った人間たちが、国境を越えて結束する以外なかった。勝敗もうやむやなまま戦争は終結し、人間対IBの戦闘が繰り広げられた。それは史上類を見ないほど酸鼻を極めた、血みどろの死闘だった。

 戦後五十年を経て、人間たちはかろうじて自身の領域から、IBを締め出すことに成功した。けれど、むろんかれらが滅びたわけではない。汚染地帯と呼ばれる荒地にかれらは棲息し、隙をうかがっては、常に人間の領域への侵入をこころみた。

 改造された遺伝子の命ずるままに。人間への憎悪に、ひたすら駆りたてられて。

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