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30(3)

 言い知れぬ不快感が、酸を舐めたように口の中に広がる。思いがけない動きの速さにも驚かされ、瞬時、退くべきか、応戦すべきか判断に迷った。ぐっと手首を強く引かれ、そのままアリーシャと横に跳んだ。地面に転がると、ぐわんという音とともに、やつは廃材に突っ込んだらしい。

 砂煙が、夜目にも白くたちのぼった。がらがらと崩れてくるパイプや鉄骨を肩に浴びながら、ヤク中は倒れないどころか、痛みを感じる気配すらない。背をまるめ、顔を前方に突き出し、おれたちを見て歯を剥いた。真円形に見開かれた白眼に、視覚があるのかどうか、それはわからないが。

 咆哮。

 ヤク中は先の曲がった鉄骨を一本抜き取ると、狂人が操るマリオネットのような動きで襲いかかった。まだ倒れているアリーシャを肩でかばい、おれはM36を抜いた。弾はあやまたず右肩を撃ち抜き、やつはびくりと後退りし、叫び声を上げた。それでも右手に鉄パイプを握ったまま、まったく倒れないのだ。

「どうなってる?」

 銃口を下方へ修正し、さらに二連射。二発とも両方の太腿にのめりこんだが、それでも倒れようとしない。ねばねばと腐ったような血を吹き出し、全身を痙攣させながら歩み寄り、鉄骨を高々と振り上げた。四発めが男の眉間に命中した。打ち抜かれた姿勢のまま、動きが止まったかと思えば、嘲るように首をかしげ、歯を剥いて笑った。

 おれは地面を蹴って男の胸に体当たりした。相手はよろめき、鉄骨があらぬ方向へ振り下ろされ、深々と地をえぐった。ゼロ距離から最後の一発を心臓に撃ちこんだとき、腹を丸太で殴られたような衝撃が走った。やつの膝蹴りをまともに食らい、おれは風に舞うぼろ布のように弾き飛ばされた。

 地上で何回転したのかわからない。まったく呼吸ができず、うずくまったまま呻き声を上げるのがやっとだった。なぜ倒れない? 五発の弾丸のうち二発を急所に浴びながら、なぜ生きていられる? いくつもの疑問符が苦痛とからみあう。噎せながらようやく顔を上げると、一彦が高周波カッターを振りかざし、ヤク中に突進する光景が目に飛びこんだ。

 それは一彦が護身用に携帯している工具で、二十センチほどの筒状のグリップから、電気の刃が短剣の形に放電される。鉄骨が振り下ろされるのを待ち構えて、かれは身をかわし、電気の刃をそれに当てた。たちまち蒼白い電流が無数の蛇のように這い上がり、男の全身に絡みついた。激しい痙攣と絶叫。

 まともな人間なら即座に感電死するところ、またしても男が不気味に笑うのを見た。鉄骨が振り回され、高周波カッターが弾き飛ばされた。一彦は腕を押さえたまま、後方の瓦礫の山に、もんどりうって倒れた。

「カズ!」

 駆け寄りながらパイソンを抜いた。片膝をついて男に銃口を向けたとき、華奢な影にさえぎられた。

「アリーシャ……?」

 長い髪が微風に揺れた。薔薇の香りが、ふうわりと漂った。彼女は僅かに振り向いて、目の端でおれをとらえると、小さくうなずいた。そのしぐさはどうしようもなく、アマリリスをおもわせた。運搬用チャペックにとどめをさす前に、少女もちょうどこんなふうに振り向いた。

 不死の男が、だらりと垂らした両腕に鉄骨を握ったまま、ゆっくりと近づいてくる。ぼろぼろに焼け焦げ、全身から血を滴らせた姿は、この世のものとは思えない。アリーシャは正面を向いた。彼女の左手に、一揃いのカードが握られていることに気づいた。

 優美で魔術的な円を描きながら、右手が一枚のカードを抜きとった。人差し指と中指の間にはさんで、差し上げられたカードは、月光をたくわえて青く輝くようだ。そこには一振りの剣が描かれていた。祭具のように不思議な形をしており、絡みあう二匹の蛇が、唾と柄を形づくっていた。

「プルートゥ」

 鋭く囁くと、黒い影が走り、彼女の足もとに舞い降りた。アリーシャは右手をひるがえし、しなやかな黒猫の背にそって、カードをさっと滑らせた。その瞬間、灼熱するように首輪が赤く発光した。

(電子回路みたいですね……まるで最新式の読み取り機だ)

 おれは目を見張った。プルートゥの全身は、まるで一度素粒子に解体され、再構築されたようだった。かれはすでに猫ではなく、一本の不思議な形をした剣と化して、地面に突き立っていた。絡みあう二匹の蛇が、唾と柄を形づくっていた。驚愕したように、不死の男が動きを止めたとき、蛇の剣を取ってアリーシャが踏みこんだ。

「はあっ!」

 それはダンスの続きだった。

 実際には数秒間の出来事だったろう。けれど、水の中を漂うように、彼女が剣を振りかざし、突き出された鉄骨を足がかりに乗り越え、空に浮かぶ月の中から、不死の男の頭上に舞い降りるまで、おれはゆるやかな舞踏の続きを見る思いがした。

 まっぷたつに切断された男の体は、まるで鬼火のように、めらめらと燃え上がった。

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