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29(2)

 酒には獣脂をおもわせるにおいがあり、どろりと粘ついたが、口当たりは驚くほどよかった。それでいてかなり強い酒らしく、ひと口飲んだだけで、もう全身が火照ってくるようだ。その間に亭主は、陶器の皿に入れた料理を目の前に置いた。豆と肉を煮た上にスパイスとネギが散らしてある。

 いかにも原始的な料理だが、ほろ酔い気分も手伝って、急に空腹をおぼえた。それに煮豆は好物である。大きな木の匙ですくうと、半透明なスープの中で、肉がどろりと煮崩れた。いかにも無骨な味がしたが、旨かった。昨今の、やたらと合成甘味料でごまかした料理と違い、骨をじっくり煮込んだときに初めて生じる、本来の旨みが染みていた。

 ありありと顔に出ていたのだろう。一彦はいたずらっぽく瞬きした。

「保障したとおりでしょう」

 ずっと流れている音楽は、砂漠地帯の舞曲とおぼしい。ヴァイオリンとパーカッションのみで構成され、テンポは速いが、いかにも牧歌的だ。ざらざらとノイズまじりなのは、黄ばんだスピーカーが原因ではなく、コピーにコピーを重ねた磁器テープのせいだろう。演奏をじかに吹き込んだものかもしれない。

 いつのまにか料理を半分平らげ、コップは空になっていた。亭主が無言で酒をつぎ足した。

「例の占い師は?」

「まだ来ていませんね。いつも十時頃にならないとあらわれません」

「流し、なのか」

「そういうわけでもないようです。ここに一、二時間いるだけで、彼女が食うにこまらないほどの稼ぎはあるのでしょう。やはり気になりますか」

 肩をすくめた。かれの言うとおり、無意識に気になっているとしたら、おれは何を占ってもらいたいのだろう。夢も希望もない、自分の行く末などどうでもいい。こう言うとペシミスティックに響くが、さほど苦しい心境ではない。夢や希望こそが、人を苦しめるのではあるまいか。究極的には、

 人を愛することが。

「気になるといえば、アマリリスの容体に尽きるだろう。博士はあれで持ち直したというんだから、先が思いやられる」

 グラスをあおり、半分飲みほした。煙草の箱を取り出して、一つくわえたところで、一彦がライターを差し出した。炎が上がる前に慌てて手で制し、マッチを摺った。かれは言う。

「あの戦闘で、思いがけないところまで、能力が引き出されたのですね。それでバランスを崩してしまった」

「予想以上に、相手が強力だったというわけか。しかし、あの化け物はいったい何なんだ。IB化した多脚ワームなら、そう珍しくはないが、あそこまでひねくれたやつは初めてだ。へたなイミテーションボディよりよほどタチがよくない。それに……」

「『逆さA』の紋章ですね」

 うなずきながら、記憶とともによみがえる戦慄を意識した。化け物の体に、くっきりと刻印されていた「逆さA」の紋章。あれは決してワームの体の模様が、たまたまそう見えたのではない。悪意にも似た暗いエネルギーを、ひしひしと感じた。しかも、用意周到な二葉が、赤外線カメラで撮影した写真にも、人工的なその文字が、鮮明に写っていた。

「ツァラトゥストラ教徒の過激派が、ワームを戦闘用に飼い慣らそうとしている。と、そこまでは噂に聞いていたが、どうしてあんな所で、あんな化け物が『逆さA』の紋章を身につけていたのか。考えれば考えるほど、混乱するばかりだ」

 あの私道は、旧首長連合のナンバーツー、竜門寺家の別邸だったというではないか。そして街区の地下には、ルナパークがまるごと埋もれていた。煙を吐いて、おれは続けた。

「化け物が人を食うために、あの場所に巣食っていた単純な理由ならわかる。地下から負のエネルギーを吸い上げて、プラズマの亡霊を現出させるには、もってこいの場所だ。亡霊は人形にもとり憑き、生きもののように動かして、犠牲者をどこかの穴に誘い込む。やつは地下に横たわったまま、ただ口を開けているだけでよかった」

「典型的な、トラップを形成するタイプのワーム……」

「そう。だが通常のワームに、人形を使うような芸当はとてもできない。やつの体が半分以上、IB化していたからこそ、可能になったのだろう。口にするのもおぞましいが、間違いなく、『擬人』の応用だよ」

 しかし、ここではたと壁に突き当たる。やつの動きは単純な捕食行動に過ぎず、何もウラはないように見える。私道に巣食っていたのも、単に立地条件がよさが原因ではないか……どうもまだ、パズルのピースが足りない気がする。アマリリスほどではないが、おれもジグソーパズルは得意ではない。

 入り口が開く気配がした。わずかに流れこんできた外気が、火照った顔に心地よく触れた。思わず顔を向けたところで、一彦がささやいた。

「彼女が来ましたよ。今夜は少し早いようです」

 ほっそりとした娘だ。

 漆黒の髪を頭の後ろで一つに結び、柘榴石だろうか、細い鎖で額の真ん中にとり付けられていた。褐色の肌。外套も着ずに、白いワンピースだけをゆったりと身につけて、胸に一匹の黒猫を抱いていた。金色のイアリングの輪を揺らし、にこやかに会釈しながら、ゆっくりと近づいてきた。

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