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屋台というより、廃材で組んだ「小屋と」呼ぶほうが相応しいかもしれない。
このての小屋を作ることにかけて、イーズラック人は天才的である。長い放浪の歴史の中でつちかわれた、様々なノウハウを心得ている。砂漠の遊牧民に一脈通じるものがあるし、大昔はそうだったのだろう。けれど、かれらが放浪するのは砂漠ではなく、都市だ。その場の状況に応じて、変幻自在なキャンプを形成する。
使えるものは何でも使い、住居の様式にはまったくこだわらない。ただ、ひとつだけ根底に流れるポリシーは、定住しないこと。いつでも住居を捨てて旅立てるライフスタイルを、かれらは堅持してきた。
なぜなら、かれらにとって、定住は堕落の始まりだから。定住が富への執着を生み、富めば人はどうしようもなく堕落するのだと、かれらはかたくなに信じてきた。
「エイジさんは、占いはお好きですか」
小屋の前にたどり着いたところで、一彦が尋ねた。
そこは薄い鉄板で完全に覆われ、窓はなく、出入り口にだけ、廃材のドアが嵌めこまれている。ドアの上には細長い木製の看板が、リベットで止められている。三日月の上で、猫がヴァイオリンを弾いている童話的な絵柄。イーズラック文字は読めないが、おそらく店名は「黒猫」だろう。
「好きか嫌いかという問いには、嫌いだと答えるね。ただし、信じないという意味ではなく」
「そうですか。この店のお抱え占い師は、当たるという評判ですよ。常連客の半分は、彼女目当てに来ているほどです」
店の中から、哀切でプリミティブな音楽が、低く洩れてくる。なるほど、最も由緒正しいイーズラック人は、密売ではなく、芸能で身を立てるのだと聞く。音楽やダンスと並んで、占術はかれらが最も尊ぶ「アート」なのである。
おれが占いを好まないのは、自身、験をかつぐほうだから。これまで見てきた限り、ガンスリンガーは迷信家か合理主義者か、どちらかに偏る傾向がある。予測不可能な要素が生死を左右する場面に、いやでも直面させられるのが原因だ。ある者はその要素を「運」とみなし、ある者は「確率」と考える。前者は護符を身につけ、後者は徹底的に計算を繰り返す。
つきあったことはないが、コードネーム「カヲリ」は明らかに後者のにおいがする。運、などという得体の知れない化け物の存在など、決して認めないし許さないだろう。対しておれは、どうしようもなくそいつを肯定している。認めたくはないが、認めざるを得ない。
そいつの存在を、いやというほど思い知らされた経験があるからだ。
未来を予知したいという願望は、人間として最も自然な欲求だと思う。この恐るべき不確定さに満ちた世界で、生きるための技術として、占いが発達したのも当然だろう。ただ、自身の実感として「運」の力は強大だ。星の運行を誰にも止められないように、予知したところで運命は変わらないと感じている。
変えられない運命を、あらかじめ知ったところで、どうしようもないではないか……そう考えるがゆえに、おれは占いが恐ろしい。
「じゃあ、入りますよ」
一彦がドアを開けた。
音楽と紫煙と談笑が、温められた空気ごと吐き出された。細長いカウンターと、壁に寄せられたいくつかのテーブル席。なるほど一彦が「屋台」と表現したとおり、中の光景は箱の中のそれである。立錐の余地もなく居並ぶ客たちの背中は、新たな闖入者に対し、無関心という甲羅をまとい続けている。
「ザー・ラ・ドベルカ」
いらっしゃい、という意味のイーズラック語だ。カウンターの中から、毛織の四角い帽子を被った男が、じっとおれたちに目を注いでいた。駅で弾薬を売っていた男同様、年齢が判別し難い。日に焼けた皺くちゃの顔。無精ひげには白いものが混じっているが、目つきは猛禽類のように鋭い。そしてかれの瞳もまた、白に近い灰色だった。
店主はにこりともせずに、カウンターの奥を指し示した。ちょうど二人の男がのっそりと席を立ち、勘定を払って出て行った。並んで腰かけると、何も頼んでいないうちにグラスが置かれ、コルクを抜いた陶製の瓶から、乳白色の酒がなみなみと注がれた。あくまで無愛想に、店主がつぶやく。
「腹が減っているか」
「ええ。エイジさんも夕食はまだでしょう」
おれが曖昧にうなずくと、何も言わずに店主は背を向け、鍋の蓋を開けた。湯気がたちのぼり、スパイスの効いた、どこか郷愁を誘うにおいがした。そういえば、朝から何も食べていなかった。というより、前に固形物を口に入れたのがいつのなのかさえ、思い出せそうにない。一彦が耳打ちした。
「料理も酒も、一種類ずつしかないんですよ。もっとも、料理のほうは日替わりですけどね。味はぼくが保障しますよ」