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「アマリリス……!」
思わず駆け寄ろうとしたとき、数台のモニターが火花を吹いて破裂した。計器類は赤く染まり、何種類もの警報が鳴り始め、いかにも不穏な調子で部屋全体が明滅した。
頭部と両肩をのぞく少女の全身は、ゴムをおもわせる素材でぴっちりと覆われていた。一種の拘束衣だろう。至る所から細長いチューブが突き出し、臥床に繋がれているさまは痛々しい……少女の唇が震え、つぶやいた。
「マスター……ですか」
「わかるのか?」
「オム、レ……を……つく、り……」
「えっ?」
「オム、レ……はや、く……オム、レ……」
また次々とモニターが吹き飛んだ。少女の煩悶は激しさを増し、テスラコイルをフル回転させたように、臥床の周りでコロナ放電が生じた。無数の蒼い蛇と化して踊り狂った。
「まずいぞ! エイジくん、きみは何か彼女に命令したままだろう。そいつが解除されておらん!」
見たこともないほど取り乱して、博士が叫ぶ。髪がほつれ、汗ばんだ額に貼りついている。少女がどんな「命令」を実行したがっているのか、とっくにわかっていた。わかっていたからこそ、咄嗟に言うべき言葉をなくした。
(無性にオムレツが食いたくなった。帰ったら作ってくれるか)
覚えていたというのか。あのとき、なかば冗談でつぶやいた一言を。血みどろの殺戮を演じたあとも。これほどの後遺症に苦しみながら、ずっと……そのことだけを思いつめていたのか。
(はい、マスター)
(たのんだよ)
飛び散る火花をくぐって、おれは少女に駆け寄った。黒木が目を見張り、何か叫んで止めようとした博士の手を振りほどいて。そして彼女の左手を、人間の憎悪が生み出したイミテーションボディーそのものである部分を、両手で握りしめた。それは氷のように冷たく、怯えた小動物のように震えていた。
「アマリリス、聞こえるか? 予定変更だ。オムレツは今はいらない。きみがすっかりよくなって、家に帰ってからでいい。そのときに二人ぶん作ってくれればいい。一緒に食うのだから」
うっすらと、少女の目が開かれた。熱病に苦悶する表情の中に、かすかな安らぎがよぎるのを見た。放電がおさまり、警報が次々と鳴り止んだ。放心したように黒木がひざまずき、相崎博士はゆっくりと髪を掻き上げた。
十分後、おれたちは鹿の首のかけられた居間に戻った。黒木が運んできたコーヒーに手をつけぬまま、湯気ごしに博士を睨みつけていた。よく見ると白衣は焦げ跡だらけで、両目の下に、べったりと隈が貼りついていた。足を組むと、靴の先がぱっくりと割れて親指がのぞいた。
「コーヒーでも飲んで、少しは落ち着いてはどうかね。もはや峠は越えた。あとは快復を待つばかりだよ」
「楽観的な言い訳は聞き飽きました」
「そう睨みなさんな。言いたいことはわかっておるが、なにせ彼女が運びこまれてこのかた、吾輩にも余裕がなかった。こうしてソファの上でコーヒーを飲むなんざ、一週間ぶりだからな」
と、なかば目を閉じて旨そうに啜るのだ。おれはくしゃくしゃの箱から煙草を一本抜いたきり、火をつける気になれぬまま、指先で苛々ともてあそんだ。
「なぜ、あの子は暴走したんです?」
「約束が違う、と言いたいのだろう」
「ええ。彼女の本体はIBのコピーだけれど、左手だけは違う。IBそのものであるゆえに、あくまで殺戮を望んでいる。もしその欲求を無理に押さえ込めば、いずれ本体を浸蝕する恐れがある……そう仰言いましたよね」
「いかにも」
博士はカップを小テーブルに戻し、膝の上で指を組んだ。年齢を考えれば当然なのだが、それにしても皺くちゃな指だ。天才的な芸術家の指には、皺が多いと聞いた覚えがある。事実、学生時代に知り合ったピアノ弾きは、二十歳そこそこで老人のような指をしていた。科学者にもこの定義が当て嵌まるのか、それはわからないが。
「計算ミスは素直に認めるよ、エイジくん。だからこそ、修理、いや治療と言うべきかな。アフターケアに全力を注いだのだ。これほど遮二無二働いたのは、何十年ぶりか知れない」




