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 電話が鳴っていた。

 布団を引っかぶったまま、ううと唸って体を縮めた。ベルの音は頭の奥で頭痛と共鳴し、気の触れた二重奏を掻き鳴らすようだ。おれはほとんど、ベッドから転げ落ちる恰好。ふらつく足取りで電話機の方へ向かった。どこのどいつか知らないが、問答無用で叩き切ってやるつもりで。

 足の裏で、合成ビールの空き缶がぐしゃりとつぶれた。ラックにもたれ、鉄アレイのように重く感じる受話器を持ち上げた。

「よかった、いらっしゃったんですね。八幡です」

 口調から察するに、一彦のほうと思われる。そうとわかれば叩き切るわけにもいかず、阿呆みたく、ぼりぼりと頭を掻いた。今何時ごろなのか。そもそも、昼か夜かさえ判然としない。カーテンは閉めきられており、部屋の中は薄暗いが、つけっぱなしのキッチンの灯りが洩れてくる……急に寒々しい気分に襲われて、痙攣的に肩を震わせた。

 よくないな、と思う。ウツの兆しが始まっている。

「エイジさん?」

「ああ、すまない。今起きたところだ」

 我ながらぎょっとするほど、疲れきった声。さすがに一彦も驚いたのか、息を呑むような間が生じた。いささか話しにくそうに、かれは言う。

「お休みのところを、申し訳ありません。じつは先ほど、相崎博士から連絡がありまして。アマリリスさんが、面会可能になったそうです」

 受話器を握りしめた。危うく博士に換われと叫びそうになり、懸命に呼吸をととのえた。

「カズは、もう会ったのか?」

「いえ、先にエイジさんに連絡しておこうと思いまして。もしこれから来られるのでしたら、一緒に立ち会うつもりです」

「わかった。二十分で行く」

 受話器を置いて、うなだれたまま溜め息をついた。二日酔いだか三日酔いだか知らないが、あれほど執拗な頭痛が奇麗さっぱり消えている。かわりに全身を浸しているのは、圧倒的な悲哀だ。こいつから逃れたいばかりに、みずから酒に溺れたのではなかったか。悲哀に溺れるのが恐ろしいばかりに。

 振り返ると、ゴミに占領されている床の一角に、作りかけのジグソーパズルが、まだ残っていた。湖と、その周りの花畑の一部が、どうにかこうにか組み上げられている。ここ数日、極力視界に入れないようにしてきたのだが。かといって崩すわけにもいかず、そのままにしてあった。

 よろよろと外套を拾い上げ、鍵もかけずに部屋を出た。外はすでに夜らしい。上の空でハンドルを握り、十三分後には八幡商店の駐車スペースに車を入れた。シャッターの前に、一彦がぽつんと立っていた。

「二葉は?」

 いるとばかり思っていたのだ。たしかミッション以来、彼女とは一度しか顔を合わせていない。

「まだ図書館だと思います。期末試験が近いとかで、珍しく猛勉強中なんですよ。日頃サボってるぶんのツケが溜まっているんでしょうね。何か用事でも?」

「いや……」

 むしろ、あの男の子たちに勉強を教えているのではあるまいか。どこの高校も試験日は同じなのだから。二人の「ボーイフレンド」ができたのは大いに結構だし、そのぶんつき纏われなくなって、なおさらよしとすべきところ。おれ自身、淋しがっているのだとしたら、気弱になったと言わざるを得ない。

 ガレージの二階を訪ねると、相崎博士が髪を振り乱した白衣姿で、直々に出迎えた。その様子から、かなりハードな作業を、直前までこなしていたことが察せられた。黒木のほうは、実験室につきっきりなのだろう。

「ようやく持ち直したわい。一時は凍結も止むを得んかと考えたほど、浸蝕が進んだが……あの子は、じつに強いよ」

 おれは眉をひそめたまま黙っていた。博士は苦笑したきり、珍しく皮肉を言わずに背を向けた。先に立って案内する後姿には、疲労の跡がありありと浮かんでいた。常に年齢不相応な精力をみなぎらせているこの男には、ついぞなかったことだ。

 カプセルが置かれていたのとは、別の部屋に通された。壁や天井を機材が埋め尽くし、床にはコードやチューブが隙間なく走り、そして無数のモニターが明滅していた。

 中心に、古代ローマの臥床をおもわせる奇怪なシートが据えられ、アマリリスが全身を黒いベルトで固定されていた。左手は元に戻っているが、時おり、発作的に指が鉤型に折り曲げられた。そのたびに、少女は目を閉じたまま、苦しげに呻いた。

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