26-27(1)
26
28日午前2時ごろ、第111街区において、営業職、足立良文容疑者(29)が民間人宅へ侵入し、一家四人を惨殺、およそ15分後に突入した武装警察によって射殺された。殺されたのは、金物店自営業、高松光男さん(59)、妻律江さん(54)、長男定正さん(32)、次男光正さん(27)。
区殺人捜査課の調べによると、足立容疑者は会社の同僚と酒を飲んで泥酔し、三人に支えられながら帰宅中、突然暴れだした。同僚らの制止をふりきり、金物店のシャッターをこじ開けると、ガラスを割って押し入り、犯行に及んだ。
高松さん一家は4人ともすでに2階で就寝していたが、もの音を聞きつけて、1階に降りたところを襲われた。光正さんらが肉切包丁を持って抵抗したものの、首の骨を折られるなどして即死。止めようとした同僚2人も2週間のけが。また、武装警官2名がおよそ3ヶ月の重体を負った。
武装警察が駆けつけたとき、足立容疑者はすでに胸など3箇所に肉切包丁が刺さっており、全身に銃弾を浴びながら、5分間暴れ続けたという。
28日に金物店自営業、高松光男さんら家族4人が殺害された事件で、司法解剖の結果、営業職、足立良文容疑者の遺体から大量のKr-13が検出された。Kr-13は通称「クラーケン」といわれる、第二次百年戦争時に開発された合成麻薬。麻薬禁止法の最重要取締り案件に指定されている。
捜査当局はKr-13と犯行の関連性を調べるとともに、入手経路の割り出しを急いでいる。
27
茨城麗子は窮屈なエレベーターを出て、狭いホールに降り立った。
配管が剥き出しの壁に、模造樫材のドア。看板も何もなく、向こう側からかすかに音楽が洩れてくるばかり。反射的に腕時計に目をやると、約束の十二時まであと二分。ノブをつかもうとして、一瞬ためらったあと、彼女はドアを引き開けた。
「いらっしゃい」
バーテンダーがカウンターの中で、酒を作りながらつぶやいた。男に凝視されなかったことなど、ここ十年の間に何度あっただろうか。思わず眉をひそめたほど、店内は極めて暗く、衝立や観葉植物が巧みに配されているため、この位置からでは客の顔がまったく見えない。
相変わらず見向きもしないバーテンダーの前を通り過ぎ、中へ進んだ。思ったよりフロアは広く、テーブルはほぼ満席。オールディーズのライブ音源に低い話し声の混じるさまは、宗教的秘密結社の会合をおもわせた。
最も奥まった位置にある二人がけのテーブル席に、待ち合わせの相手はすでに座っていた。気泡を上げる青いカクテルのグラスの前で、軽く頬杖をつき、麗子を見上げると片手をあげた。
「ひさしぶりだな」
温度の低い、ハスキーな声。赤い唇が、月の形を描いて微笑んだ。しばし、椅子にかけるのも忘れて、麗子は相手を見つめた。ほっそりした体を包む、黒いパンツスーツ。ブラウスもまた黒く、ネクタイだけがワインレッドだ。思いきったショートヘアだが、男のように短くはない。禁欲的な髪型は、むしろ彼女のなまめかしさを強めているようだ。
「ちょうど一年ぶりかしら」
「五日前に逢っているがな」
「そうだったわね。あなたは少しも変わってないわ……」
ある名前を口にしようとして、手で制された。しなやかな指をひるがえし、向かい側の椅子をさしながら、女は言う。
「昔の名で呼べば、親友のおまえといえども、命はない。とにかく座ったらどうだ、麗子」
椅子にかけて初めて、背中の冷たい汗を意識した。少しも変わってないという言葉は、早くも撤回しなければなるまいと麗子は思う。少なくとも、今の獣じみた殺気は、昔の「親友」にはなかったものだ。
バーテンダーが注文をとりにきた。やはり客の顔を見ようともせず、始終壁の辺りを眺めていた。ドライマティーニを運んできた時も同様で、去ってゆくかれの背中を見送り、麗子はささやいた。
「変な人ね」
「おまえの胸を見ない男が、同性愛者以外にいるのかという言いぐさだな。やつの性癖など知るよしもないが、少なくともここでは客の顔を見ないよう、訓練されている」
ちょっと肩をすくめて、グラスを持ち上げた。たいして驚きもしなかった。
「乾杯したいんだけど。あなたのこと、これからどう呼んだらいいのかしら」
女もグラスを手にした。気泡を上げる青い液体の上で、薄い笑みを保ったまま、赤い唇がこう告げた。
「カヲリ、とでも呼んでくれ」