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十七歳の小娘に励まされて、おれはようやく我に返った。ゆっくりと立ち上がり、彼女の肩に手を置いて、ささやいた。
「恩に着る。もうだいじょうぶだ」
赤い靴の少女は、依然、ぶらんこに腰かけていた。キイと音をたてて、時おり軽く揺らすばかり。漕ぎだす意志はないらしい。二葉を背後に残したまま、一人でぶらんこに近づいた。影が重なるほど接近したところで、少女は顔を上げた。栗色の巻き毛。泣いた後のような、腫れぼったい目もと。黒い瞳はどこまでもうつろで、ふくよかな唇は、きゅっと結ばれたまま。
あの夜、木馬に乗っていた人形とは、細かい特徴が異なっているが、それでいて紛れもなく同じ少女なのだ。あたかもこの子が死んだあと、嘆き悲しんだ親が、遺影から人形を作らせたように。
「きみは一人なのか」
自然にふるまったつもりが、見事に声が震えた。燐光の中で、少女は大きく瞬きをしたきり。再び前を向いた拍子に、ぶらんこがキイと鳴った。
「いけないなあ。こんなに暗くなってから、一人で遊んでいたのでは。ご両親が心配するだろう。家はどこなの?」
小さな右手が鎖を離れ、ある一点を指さした。赤い靴の少し先。蒼い火影を映している、石畳の上を。おれは背中に水を浴びせられた気がしたが、つとめて明るい声で、次の質問を発した。
「そんな所を指されても、かなわないなあ。お父さんはどこにいるの?」
じっと前を向いたまま、同様に右手が突き出され、すっ、とまた地面を指さした。もとは愛らしい手の影が、炎によってグロテスクな虫の形にゆがめられた。
口の中がからからにかわいていた。本能は恐怖の仮面をつけて、すさまじい力でおれの襟首をとらえ、後ろに引き戻そうとする。下がれ。そしてそのまま走り去れ。間違っても、最後の質問を口に出してはいけない……心の声とは裏腹に、呪縛されたように口が開き、寒風に転がる枯葉のような音をたてた。
「じゃあ、お母さんは?」
地面を指さしたまま、少女はいきなり顔を上げた。何も見ていない目でおれを見つめ、真横に口を引きつらせた。これほどおぞましい笑顔が存在するだろうか。思わず後退りしかけたとき、大きく地面が揺れた。まるで蛇の背のように、のたうった。
ウロコをおもわせて、石畳がばらばらに弾き飛ばされ、少女の足もとを中心に、巨大な亀裂が八方に走った。足をすくわれず飛び退いたのが奇跡のようだ。
石畳を割ってまず突き出されたのは、巨大な球根をおもわせる「口」だった。真横にぱっくりと割れて、無数の細長い棘のような牙を剥き出しにし、燐光を放つ唾液をしたたらせた。その両側から三対の脚が飛び出し、太い爪状の先端を石畳に食い入らせて地面を踏みしめると、ばらばらと瓦礫を吐き出しながら、漆黒の本体を持ち上げた。
多脚ワーム!
まさに漆黒のサソリに似ていながら、悪夢の中で何十倍も醜悪に歪めたような姿をしていた。細長い口吻の両脇に、いやに太い、先端が肉質の触覚があり、脚の上下には枝状の副肢が無数に蠢いていた。硬い瘤を並べた背中には、縦に四つの巨大な「目」が並び、それらはあまりにも人間の目とそっくりなのだ。
サソリ同様、尾は弓なりに反り返り、先端の「口」を大きく広げて、うねうねと蠢く牙を露出させた。おれを頭から丸齧りと、しゃれ込むつもりだろう。
「伏せろ、二葉!」
叫ぶと同時に、片膝をついた。いろいろと盛りだくさんの趣向だったが、結局まんまと出てきてくれたわけだ。笑みを浮かべる余裕すら、取り戻していた。パイソンを抜いて、六インチの銃身を向け、前から二番めの、最も大きな「目」に狙いを定めた。
引きがねをひいた。ガチッ、という不吉な音が手の先で響いた。
不発弾だ。
「くそっ!」
多脚ワームは歓喜するように脚を踏み鳴らし、瓦礫をさらに弾きながら前進した。図体がでかいわりに、動きの速さはアーマードワームの比ではない。シリンダーを抜いて不発弾を捨てたが、ポケットの中の最後の一発を装填する時間は、とてもなさそうだった。
逃げろと叫ぶつもりで振り向いたとたん、信じられない光景が飛び込んできた。二葉が、猛然と突っこんでくるのだ。
「うわああああっ!」
突き出された多脚ワームの「口」は、おれの頭上を越えて二葉にせまった。彼女の靴底から火花がほとばしり、地面に激突する「口」とは入れ違いに、細い体を宙に躍らせた。弾き出された二つのスプリングが、空薬莢のように降ってくる。二葉は空中で右腕を怪物に向かって真っすぐ突き出し、もう片方の手を添えた。
「お祈りを済ませておくことね、ベイビー」