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「人食い私道事件」、ミッション決行の日。おれは当然のように、昼ごろまで寝ていた。
一応言い訳をすれば、前日までけっこう忙しかったのだ。打ち合わせをしたり、書類を作ったり提出したり。それらを昨日の夕方までに片付けておいて、アマリリスとこざっぱりしたレストランに入った。ちょっと旨いものを食い、合成ではないワインを飲んだ。おれなりの、士気を高めるための儀式だ。
当日は、現場に入るまでとくにすることがない。ちょうど舞台の初日をむかえた役者と似ているかもしれない。稽古もやった。衣装や小道具も揃った。ゆっくり寝て鋭気もやしなった。あとは本番まで緊張のあまりのたうちまわろうと、ふてぶてしくあぐらをかいていようと、各人の自由。おれは明らかに後者だが。
本番は夕方四時半スタート。この季節、ちょうど日が暮れかかる頃。道行く人の顔もわからなくなり、「誰そ彼?」と尋ねたくなるタソガレ時。もしかしたらそれは人ではなく、魔物かもしれないので、「逢魔が刻」と昔の人が名づけたのは、言い得て妙であった。
まさにおれたちは魔物に逢いに行く。青表紙のファイルを熟読した結果、最も多く人が食われているのが、その刻限と推定された。
「マスター、二葉さまがお見えです」
シャワーを浴びて出てきたところで、アマリリスが告げた。まあ、来るだろうとは思っていたので、たいして驚きはしない。どうせ今日も創立記念日なのだろう。と、苦笑しながら、少女が手わたした寝覚めの合成ビールを片手に、上機嫌でリビングに入った。
「そろそろ起きてる頃かと思って」
紅茶のカップをソーサーごと手にしている立ち姿は、いつもどおり。だが、しかし、おれの顎は胸に届くほどあんぐりと開き、合成ビールの缶は床に転がり落ちた。
「なんだその恰好は!」
「失礼ね。一生懸命お洒落してきた女の子に対して、今のは一番言ってはならないセリフよ」
「お洒落だと……」
いつものセーラー服にお下げ髪というスタイルとは、どこへ吹き飛んだのか。一週間ぶんの寝癖をつけたような頭に、武装警官のゴーグルみたいなサングラスをちょこんと載せ。青々とアイシャドウを入れて、口紅をきりきりと塗った。
ラッパ状の袖以外は、体にぴっちりと纏いつく、黒のジャケット。大きく開いた襟ぐりに、たっぷりとした、真紅のリボンを結んだまでは許せるとして、タイトスカートの短さは尋常ではない。黒のストッキングは膝上までだから、赤いガーターベルトがまる見え。白いブーツは異様にヒールが高く、歩くと盛大な音をたてた。
これでは八幡兄弟に申し訳が立たない。と、なぜか第一に考えた。田舎の街区から都市区の大学に入った姪っ子を任されたのに、みすみすグレさせてしまった「おじさん」の心境がわかる気がした。二葉はアイシャドウの下から、おれを睨んだ。
「エイジさんが何を考えてるか、だいたいわかるんだけど。わたしたちが今日、恋人どうしを演じるんだということ、忘れたわけじゃないでしょう。その上でセーラー服のほうがよかったと言うんなら、すぐに着替えてくるけど」
それはこまる。別の意味で逮捕されかねない。しかし考えて見れば、最初はアマリリスと二人で潜入する予定だったのだ。そうして青表紙のファイルを一瞥すれば、私道の怪物が二人の侵入者を襲う場合、カップルの割合が圧倒的に高いことは一目瞭然。必然的に誰と入ろうと、恋人どうしを演じることになっただろう。
じつは、この人選に関して、ひと悶着あったのだ。
アマリリスは二葉を推薦したけれど、当然気が進まなかった。ワットに電話して、適当な相手を探してくれるよう頼んだ。すると即座に折り返し電話がかかり、茨城麗子がみずから行くと申し出た。ばかを言え。あんたはたしかに有能な秘書だが、武器の扱いに関しては素人だ。危険すぎると言って断ると、すかさずワットが電話を横からひったくり、
(では、ぼくがお相手しましょうか。こう見えても、女の子の恰好をすれば、十人中十人は信じるでしょう)
ここにおいて、おれはサジを投げた。十一歳の女装美少年と腕を組むよりは、見た目は女子中学生のアマリリスのほうが、千倍ましである。けれど、敵の感覚器に捕まらない少女には、ぜひ伏兵となってもらいたい。となると……
「言っておくけど、今さらわたしを外そうなんて思わないことね。銃なら三歳の頃から玩具がわりに扱っているし。ダガーつき拳銃の達人、栗林小五郎先生には五歳の頃から師事しているわ。アマリリスちゃんは、伊達にわたしを指名したわけじゃないのよ」
「そのスカートは、なんとかならんのか」
「大日本おっぱい党員に対抗するには、美脚で勝負するしかないでしょう。だいじょうぶ、下には護身体育用のブルマーを穿いているもの。見る?」
「いや見せなくていい!」