21(1)
21
八幡ブラザースによれば、二葉は学校だという。珍しく、創立記念日ではなかったらしい。
「で、例の件なんだが……」
ガレージの中では、古めかしい「泥炭」ストーブが焚かれていた。炭化した植物から成る本物の泥炭ではなく、産業廃棄物のクズをそう呼ぶのだ。例によって当局はこれを禁じたが、採集が容易なので、現在も盛んに闇取引されている。独特の臭いに慣れてしまえば、安価でよく燃える、いい燃料である。一彦が言う。
「予期されていたとは思いますが、二重三重どころか、十重二十重にロックされていました。ぼくも二葉もお手上げというわけで……」
「変態博士に回ったわけだ」
一彦は肩をすくめ、油の染みたツナギのポケットから、プラスチックのケースを無造作に取り出した。中におさめられた銀色のカードの表面には「逆さA」の紋章が大きく入り、かたくなな沈黙を象徴するような、冷たい光を浮かべていた。
「会われてみてはどうでしょう。アマリリスさんのメンテナンスも兼ねて」
少女は「泥炭」が上げる緑色の炎を見つめていた。その肩がぴくりと震え、次にこちらに向けられた眼差しからは、けれど何の意志も読みとれなかった。おれは席を立ち、メモリーカードをケースごとポケットにおさめ、少女の肩を軽く叩いた。
「気が進まなければ、ここで待っていていいよ」
「問題ありません、マスター」
真っ赤に錆びた階段は、一歩ごとにぐらぐら揺れた。仰々しい鉄の扉の前に、紐のついたガラスのベル。まだ真昼だというのに、玄関灯が蒼白くともっている。ベルの余韻が消えないうちに、ドアのノブが裏側から回された。先刻から、監視カメラに映っていたのだろう。
助手の黒木は相変わらず「看護婦」をおもわせる恰好で、相変わらずニコリともせず、おれたちを一瞥したあと、くるりと背を向けた。さらに三つのドアを彼女が開けば、例の、悪趣味を絵に描いた部屋に通された。ガレージの二階の主は、ソファの上で片手をあげた。
「そろそろ来る頃と思っておったよ」
いつになくくつろいだ様子で、珍しく小奇麗。髪を奇麗に後ろに撫でつけ、遊び心たっぷりにネクタイを結び、チェックのスラックスの上から、ワインレッドのVネックセーターを小粋にまとった。似合ってはいるが、狂人科学者らしさは少しも緩和さないどころか、むしろ強調されていた。
ソファの前では、箱型のテレヴィジョンがつけっ放しで、四隅のまるい画面には、極めて不鮮明な、それでいて御伽話の挿絵をおもわせる映像が、映し出されていた。政権が変わって間もないため、電波系のメディアはまだ情報統制下にあり、娯楽番組など望むべくもない。ゆえにこれは、海賊版のヴィデオカードか何かだろう。
「まあかけたまえ。黒木くん、客人にコーヒーを頼む……おっと。エイジくんは、器にこだわるデリケートな男だったな」
皮肉を無視して、指されたソファに腰をおろした。
アマリリスを呼ぼうとすると、テレヴィジョンの画面に見入っている様子。つられて目を遣れば、赤い三角帽子に、星をちりばめた緑のマントという、中世の占星術師のようないでたちで、十人くらいの人物が動き回っているところ。舞台は洞窟の中なのか、いかにも作り物くさい岩に、赤や緑のコケが張りつき、金属的な光を発しながら、ゆるやかに明滅していた。
三角帽子たちは、黒い、長方形の物体を、懸命に運び出そうとしていた。形は棺に似て、その何倍も大きい。ロープで引き、梃子を使って動かそうとするのだが、とてつもなく重いのか、ほとんど進まないうちにロープが切れて、梃子が外れ、人々はオーバーアクションで跳ね飛ばされてしまう。
音質の低い管弦楽が始終鳴っているが、それ以外は全くの無言劇だ。
「あれを、盗むのですね……」
どこか憑かれたように、アマリリスがつぶやいた。三角帽子たちが盗賊だという意見には、おれも賛成だ。やつらは明らかに焦っており、しかも追っ手に怯えているようだ……そう思った矢先に、画面全体がぐらぐら揺れて、盗賊どもは大わらわ。大きな岩が光りながらごろごろと転がり、やがて背後にぽっかりと巨大な穴が口を開けた。
リアリティのカケラもない、ばかばかしい映像なのに、おれはゾッと身震いした。ある意味、大金を投じた怪奇映画より恐ろしい光景だった。
穴の中からは、二階家ほどの怪物があらわれ、真っ黒い、無数の脚を蠢かせながら、這い出してきた。三対の長大な顎を、牡牛の角のように振りたてて、一人の盗賊を捕らえると、手足をじたばたさせている間、思うさま振り回し、ちょうどカメラのある方へ向かって放り投げた。哀れな盗賊がたちまち大写しになり、おれは思わず叫び声を上げた。
一瞬のことだった。けれど、盗賊のマントの裏地いっぱいに染め上げられた「逆さA」の紋章を、たしかに見たのだ。