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レイチェルの部屋の合鍵は、とっくに八幡兄弟がこしらえていた。ふだんは施錠してあり、この日も当然、閉まったまま。鍵を開けて調べてみたが、誰もいないし、いた形跡もみとめられなかった。
二葉の連絡を受けて、一彦が運搬用チャペックを引き取りに来た。
「それにしても驚きましたね。エンジンだけを抜き取るなんて、まるで手品ですよ。このまま売りに出せるくらい」
電気で動く家事用と違って、運搬用にはガスディーゼルエンジンが使用されているため、へたをすると大爆発につながりかねない。このタイプがよくテロに使われるのは、さんざん暴れたあと爆発すれば、さらに死傷者を増やせるからだ。ほぼ完全な形を残したまま動きを止めるなど、たしかにマジックだ。
「カードさえ解析してくれたら、あとは売るなり部品をとるなり、好きにしていいよ。ただ例のマークは忘れずに消しておいてくれよ」
Aの字を逆さにした、ツァラトゥストラ教の紋章……
しかも攻撃性から考えれば、ジークムント旅団である可能性が高い。かれらがワームを兵器として使用する研究を、密かに行っているという噂がある。もちろん南京議定書に違反するが、テロリストにルールは通用しない。
「面倒なことになったわね」
二葉に言われなくてもわかっていた。逃げたピエロは、教団に報告するだろう。アマリリスが藻状ワームを一刀両断にし、鉄筋コンクリートの柱も切り倒す三重チェーンソーを片手で受け止め、チャペックのエンジンを引きずり出したことを。さすがに彼女が、イミテーションボディだとは気づくまいが、確実に目をつけられた。
では、あの場で箱の中身を処分しないほうがよかったのか、それは何ともいえない。即座に箱を放り出さなければ、藻状ワームが先に飛び出して、まずおれたちを屠り、腹ごしらえした後で、レイチェルの帰りをじっくり待つつもりだったのかもしれない。
「引っ越したほうがいいんじゃない? 隣の空き部屋には、魑魅魍魎が引き寄せられて来るみたいだし。このままじゃ、身がもたないでしょう」
毛布にくるまれた置き土産を、一彦と作業用チャペックが運び出した。アマリリスはきりきりと眉を吊り上げ、腕まくりして、さっきからモップがけに余念がない。立ったまま紅茶を口に運びつつ、二葉が語を継いだ。
「なんなら、うちに来ない?」
考えておくという返事に、彼女は苦笑いしてみせた。相崎博士とおれの仲睦まじさを思えば、無理があると悟ったのだろう。ただいたい片づいたのは、すでに夕方近く。
「すぐに夕食をお作りします。三十七分後には食べられるように致しますが、それでよろしいですか」
藻状ワームを生ゴミの袋に詰めて外に出し、階段を駆け上がってきた勢いで、少女の声は弾んでいた。ヘッドドレスが斜めに傾き、エプロンはぼろぼろ。おれはくすりと肩をすくめて席を離れ、ハンカチで鼻の頭についた汚れを拭いてやった。少女は始終、目をぱちぱちさせていた。
「飯の支度なら、ゆっくりでいいから。その前にシャワーを浴びておいで。今日はよくやったね」
机に向かっていると、やがてシャワーの音が聞こえてきた。鼻歌がそれに混じるが、いつもの『タンホイザー』序曲ではなく、聞いたこともない、けれどどこか懐かしい奇麗なメロディーだった。アジア的で、子守唄をおもわせる……それはとっくの昔に忘れ去られた歌が、カプセルで眠る少女の記憶の中で、ひっそりと息づいていたのかもしれない。
なんという歌なのか、あとで尋ねてみようか。そう考えながら机の上に目を戻したとき、視界が、ぼっとかすんだ。涙が一筋、頬を伝うのが意識された。
夕食後、ひとっ風呂浴びてから、おれはまた机に齧りついた。とんだ邪魔が入ったおかげで、今夜は徹夜してでも、ミッションの予定を組まなければならない。プロジェクト名は「人食い私道事件」とした。ファイルをめくりながら、会社に提出する計画書を記入しつつ、個人的な覚書を作成した。
昨夜の下見のおかげで、余計な回り道はしなくて済みそうだ。基本的に、おれとアマリリスでやっつけるしかないのだから、計画もごくシンプルなものとなる。むしろ問題は、確実に化け物を引きずり出せるかどうかだ。私道をうろついても太鼓を叩いても、無視されては手も足も出ない。
「なあ、アマリリス。どうすればいいだろう」
こんな時こそ、二葉がいれば頼もしいのだが。仕方がないので少女に話を振ると、こちらにお尻を突き出した姿勢のまま、ジグソーパズルの上から、きょとんとした顔を上げた。
「処分する対象は、ワームと定義してよろしいのですね」
「ああ。一度に多くて二人しか狙わないという、グルメなやつさ。青少年が好物みたいだしな」
そこがまた問題なのである。おれなんか食ったところで、ゴムを噛むように味気なかろうし、最初から食指も動かないだろう。
「わたしはワームの感覚器から、生体反応を消すことができます。よってマスターはもう一人、オトリを私道に連れて入ることが可能です。二葉さんが適任でしょう」
おれは目をまるくした。