18(4)
チャペックの腕が前方に伸びて、ボール箱が差し出された。上に貼られた黄色い伝票に目を走らせると、たしかに住所は隣の部屋。宛名は、「レイチェル様」だ。送り主は、株式会社東部ネットワークという、何屋ともとれる会社名。拍子抜けした気分でサインすると、ピエロは控えをもぎとった。
「じゃあ、お荷物のほう、お渡ししておきますね。ちょっと重いので、お気をつけください」
満面のニヤニヤ笑いで言う。チャペックは、緑色の帽子をかぶった頭部をペコリと下げ、腕の位置を心もち低くして、ロックを外した。横幅が四十五センチほどの段ボールは無地で、なるほど、リンゴをいっぱい詰めたように、ずしりと重い。一旦、床に下ろそうと思い、振り向いたところで、おれは驚愕に目を見開いた。
アマリリスの左手は、すでに長大な金属の爪状に変化していた。
「マスター、箱を投げて!」
思案する暇はなかった。渾身の力で箱を放り出すと、少女は片膝をつき、爪の切っ先を揃えて、真っ直ぐに突き出した。何かが貫かれる確かな手ごたえが、鈍い音と化して響き、次に化け物じみた、世にもおぞましい悲鳴が炸裂した。粘性をともなう青黒い液体が、壁に、大量に飛び散った。
銃を抜くことも忘れて、おれは床に落ちたボール箱を見つめた。青黒い染みがみるみる段ボールを濡らし、床に広がる。裂け目から黒い毛の塊が覗いており、ぴくぴくと痙攣しながら、六十センチほどの針金のように細い突起を何本も突き出した。
突起のいくつかは宙に跳ね上げられたまま、別の何本かは脚の役目を果たして、球状の毛の塊である本体を持ち上げた。そのままのろのろと、玄関の方へ這って行こうとする。
「藻状ワームか」
本体である頭部と、細長い十二本の突起から成り、頭部には魔除けの目とそっくりな感覚器が、縦に三つ並んでいる。カテゴリーは第三種。家屋に棲みつかれたが最後、寝ている人間のもとに音もなく忍びより、毛むくじゃらの頭部の下から針を伸ばして首に突き刺し、あくまで血を啜るのだ。
玄関にたどり着く前に、藻状ワームは、ぐしゃりと音をたててくずおれた。頭部がほぼ両断されており、切断面から、脳髄に似た臓器がどろりと垂れた。
飛ぶように、アマリリスが目の前を横切ったので、ようやく我に返った。パイソンを抜いて後を追うと、回廊で先程の運搬用チャペックが、お出迎えとばかりに、三重チェーンソーを振りかざしていた。
頭部を狙って二連射したが、二発とも帽子のツバにのめりこんだ。海綿体金属による防弾装甲だ。その間に、発狂したタービンのような唸り声を上げて、チェーンソーが少女の頭上に振り下ろされた。ギイイイン、という、世にもおぞましい音が、回廊に鳴り響く。少女は挨拶するように左手を上げて、三重チェーンソーを受け止めていた。
ひととおり火花を散らしたあと、爪の間でチェーンソーは完全に沈黙した。バーがぐにゃりと握り潰された。チャペックは武器を手放し、恐怖するように頭部のセンサーを明滅させて、一、二歩後退した。チェーンソーを床に放り出し、体勢を低くしたところで、アマリリスは肩越しに振り向いた。もの問いたげな眼差し。
「動力だけを止めろ。メモリーカードは回収したい」
彼女が踏み込むまで、一秒ほど間があったのは、チャペックの内部をスキャンしたのだろう。ハガネの爪が、軍用なみのぶ厚い装甲を貫き、引き抜かれたときは、エンジンをまるごとつかみ出した。文字通り、チャペックは立ち往生していた。ピエロはとっくに逃げていた。
「とんだとばっちりね。この間の武装警察といい、隣のお嬢さんは、なんて人騒がせなのかしら」
いつの間にかドアの横に、二葉がもたれていた。両腕をさすりつつ、思いきり眉をひそめているのは、藻状ワームの死骸を見たからだろう。
「こう考えるのが妥当かしら。愉快なピエロの宅配屋さんは、お嬢さんを殺すために放たれた刺客である。もしお嬢さんがいれば、遠慮なくチェーンソーで切り刻んだし、留守の場合は、飼い慣らした藻状ワームがやってくれる。いずれにせよ、早急に始末する必要にせまられていた、と」
「しかし、曲がりなりにも人類刷新会議は、政府当局だぞ。ここまであからさまな暗殺をやらかすと思うか?」
武装警察の指揮官、コードネーム「カヲリ」の姿が思い起こされた。バイザーを持ち上げたときの、赤い唇……彼女があんなピエロに化けたなんて、考えるだけでナンセンスだ。ワームをけしかけたり、三重チェーンソーを振り回したり。刷新の肩を持つ気はさらさらないが、あまりにもスマートさに欠ける。
「エイジさんだって、刷新会議のしわざとは、はなから考えてないんじゃない?」
「だが、ほかにどんな勢力がレイチェルを殺す必要があるのか、皆目見当がつかない。首長の残党どうしの内輪もめか?」
「あり得ないとは言えないでしょう。レイチェルさんが、首長の血族だという仮設にしたがえば……アマリリスちゃん」
呼ばれて少女は振り向いた。左手は元に戻っているが、袖口が見事にぼろぼろだ。
「そのチャペックのエプロンを外してみて」
うなずいて運搬用チャペックに歩み寄り、上半分が焦げたエプロンを丁寧に外した。胸部にぽっかりと開いた穴から、金属臭のする煙を吹いていた。その下の黒いボディーは磨きあげられたような光沢があり、白いラインでくっきりと、Aの字を逆さにしたマークが入っていた。おれは目を見張り、さすがに二葉も口に手をあてた。
「ツァラトゥストラ教……!」