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そう……あの人形は明らかに、「擬人」ではなかった。
「わかってるわよ。わたしも見たんだから。そうじゃなくて、少女人形と連続失踪事件との繋がりについて、どう考えてるわけ?」
なぜかいつも二葉は、サラダにドレッシングをかけない。指先でレタスを器用に折りたたんでは、そのままさくさくと噛んでいる。おれは答えた。
「そういえば、だいぶ前にそんな怪奇映画を観たな。古い屋敷で、夜な夜な人形が動き出して人間を襲うという。むごたらしい連続殺人事件の犯人が人形だなんて、最初は誰も疑わない。昼間、やつらは愛らしい顔で座っているからね。ところが夜になると白目をむき、牙を剥き出しにして歩き出す。包丁を逆手に持って、寝室に忍び込む」
面白い映画だったので、つい言い方に熱が入った。随所でチャペックをうまく使った仕掛けも凝っていた。おれはキッチュな怪奇映画が大好きなのだ。けれど目をやると、二葉は世にもつまらなさそうな顔をしており、反対にアマリリスは、まん円い目をして、身を乗り出していた。
「あの……マスター、そのお話の続きは、どうなるのですか?」
もしかしてこの超兵器は、怖がりなのだろうか。
「心配しなくても、最後はちゃんと退治されるよ。悪魔祓いの専門家が事件解決に乗り出すという、お定まりのパターンさ」
「まさか少女人形が牙を剥いて、被害者たちをぺろりと食べたなんて、言わないでしょうね」
「ああ。間違いなく、人形は目くらましだよ。注意を引きつけるためのオトリさ」
「典型的なトラップというわけね。絶滅した深海魚みたいな」
おそらくアンコウのことを言っているのだろう。牙だらけの巨大な口をもつこの魚は、海底の砂の中に潜み、頭部の疑似餌を動かして他の魚をおびき寄せ、捕食するという。
「問題は、本来の敵がどんなやつで、どれほどの能力をもっているか、まったくわからないことだ。私道のどこに潜んでいるやら、それも含めてね」
「一応、スキャナーは雇う?」
情報屋の中でも、機械による探知機能に特化した業者を、スキャナーと呼ぶ。どうかな、と、おれはつぶやいた。
「ゆうべは愛らしい手品に夢中で気づかなかったが、一彦が複合カウンターで、私道の端から端までスキャンしたそうじゃないか。けれど、狂った磁石のように、始終めちゃくちゃに針が触れて、お話にならなかったとか。小型とはいえ、一彦のカウンターは博士がチューンアップした精度の高いやつだろう。そのうえプロを雇ったところで、成果があがるかどうか」
計器が狂う理由は、わかりきっている。あの辺り一帯の地下に、とんでもない汚染物質が埋まっているからだ。住民たちはその上で、何も知らずに寝起きしている。よくあることだが、やりきれない話だ。
アマリリスが食器を下げ、紅茶一式を載せたカートを押してきた。相変わらず感情がつかめないが、少しは機嫌が直った模様。ソーサーを持ち上げて、二葉が言う。
「昨夜の怪異については?」
「きみはプラズマの亡霊だと言っていたが。やはり、あのワンブロックの地下に、汚染された動物園が埋まっていることと、関係があるんだろうか」
「大ありでしょうね。情報やエネルギーを地下から汲み取って、幻影に変換した、といった感じかしら。まさに亡霊が出現するプロセスと同じなのよ」
「変換機の役目を果たしたのが、深海魚……本来の敵なんだな」
だとすると、並大抵の能力ではない。狡猾な多脚ワームでさえ、あれほど大規模な幻像を生み出せるタイプには、そうそうお目にかかれないだろう……煙草に火をつけ、深々と吸った。えらく染みると思えば、起きてまだ一本めの煙草だ。
ノックの音がした。
このあいだ、武装警察に踏み込まれたばかりなので、おれはぴりぴりと緊張した。
「二葉はここを動くな。アマリリスが応対に出ろ。相手が誰か名乗らせるんだ。おれが合図するまで、決してドアを開けるな」
まだ長い煙草を揉み消し、一秒間迷ったあと、パイソンを手にした。なんとなく、胸騒ぎがしていた。アマリリスがドアの前に立つと、向こう側から死角になる、左側の壁に張りついた。少女が誰何する声を聞きながら、カメラつきインターフォンは買うべきだと考えた。
「クラウン宅配です。お隣の一一〇七号室のかたがお留守みたいなので、よろしければ、荷物を預かっていただけませんか」
少女の隣に割り込み、ドアスコープを覗いた。黄色いぶかぶかの作業着に、緑の帽子をかぶった小男がたっており、後ろに運搬用チャペックが。同様な帽子をかぶり、商標入りのエプロンをつけ、ボール箱をひとつ抱えていた。何の変哲もない、宅配業者の姿。
伝票を見れば、レイチェルの本名がわかるかもしれない。そんな好奇心は、たいてい面倒な結果を招くものだが。アマリリスを後ろに下がらせ、パイソンをベルトにはさんで、ドアを開けた。小男は年齢不詳で、この業者のトレードマークであるピエロのメイクをしていた。
「ここにサインをお願いします」