18(1)
18
目を開けると、ほんの数センチ上にアマリリスの顔があった。
「わっ」
「お目覚めですか」
驚いた反動で、危うく頭突きを食らわせるところ。彼女が軽く身をかわしたのは言うまでもない。
「十時になりました。今すぐ紅茶をおもちしますが、こちらでお召し上がりですか」
目をしばたたかせ、ほとんど惰性でうなずいた。彼女の姿が視界から消え、かわりに天井が白っぽくのぞいた。朝食の用意をしていたのか、部屋にはクロック鳥の卵を焼いた、甘い香りが漂っていた。カーテンを開ける音が聞こえ、陽光が天井を明るく照らした。今朝は晴れているらしい。それにしても、
(さっき、偶然目を覚まさなかったら、アマリリスは、どんな方法で起こすつもりだったんだろう。この件はぜひとも、問いただしておかなければ)
と、決意してみたものの、起き上がると同時に忘れていた。言うまでもなく、おれの血圧は極めて低い。
「痛てぇ……」
体の節々がずきずきする。ポンコツチャペックに神経があれば、こんな感じだろうか。右の手首には、真新しい包帯が巻かれたまま……おれはハッと振り向いた。枕元には今朝の新聞が、きれいに折りたたまれていた。夜中の事件なら、もう出ている筈。新聞を引っつかみ、がさがさと開きながら、社会面や地方版に目を通した。
さびれた郊外だった。周囲にひと気はなく、建物も見当たらなかった。それでも街中で、あれほどの爆発が起きたのだ。それに、あの時のアーマードワームの行動からして、犠牲者が出ていないとは思えない。にもかかわらず、関連づけられそうな記事は、一行も出ていなかった。
「紅茶をおもちしました。ジャスミンとブレンドしてみたのですが」
カップの載った盆を手に、アマリリスが小首をかしげていた。本人は微笑んでいるつもりかもしれないが、時計みたいにコッチコッチの無表情。
「えっ。ここで飲むの?」
「はい。九分三十五秒前に了解していただきました。それとも、変更なさいますか」
「いいよ、ありがとう。なんだか本当に、新東亜ホテルに泊まったみたいだなあ」
ここで一緒に笑ってくれると間がもつのだが、彼女はおれを置き去りにして、サイドテーブルにカップを載せた。彼女にウィットは通じても、ジョークは通じないという法則を得た。
「十五分後に、お食事でかまいませんか」
うなずいてみせると、背を向けた。背中の白いリボン結びが、可憐に揺れた。ここでやっと気づいたのだが、昨日とくらべて、ちょっとよそよそし過ぎはしないか。機械によそよそしいも何もないのだろうが、やはり昨夜とのギャップを感じる。平たく言えば、どうも今朝は機嫌がよくない。顔には全く出さないが、出さないゆえに、滲み出てくるオーラを感じる。
けれど考えても仕方がないので、新聞をたたんで膝に載せ、カップを手にした。紅茶の味は申しぶんなく、しかもジャスミンがほどよく効いて、ともすればまどろみそうになる神経を、しだいに覚醒させるようだ。ふと紙面に目を落とすと、「新型ワーム」の文字が目に飛び込んできた。
「なんだと?」
少々紅茶に噎せつつ、慌てて新聞を取り上げた。第一面の記事を見落としてたとしたら、「もと暗し」どころか、灯台そのものが見えていなかったに等しい。が、すぐにそれは全く別の地区を報じたものと判明した。CN-44地区といわれても、どのへんにあるのか見当もつかない。
嘘か誠か、新型ワームは天使とそっくりな姿をしているという。そんなものが現れるようでは、世も末である。
「世界の終末を象徴しているのかしら。ツァラトゥストラ教徒が聞いたら、放っておかないでしょう」
驚いて顔を向けると、ソファから二葉が立ち上がったところ。ソーサーごとティーカップを手にしたまま、いかにもうまそうに一口すすって、音が出そうなウインクをくれた。
「きっ、きみ、学校は?」
「創立記念日よ」
髪を編んでなければ、眼鏡もかけてないので、最初から行くつもりなどなかったのだろう。ずっとそこにいたのかと尋ねれば、九時半からいたと言う。
「起こしてくれればよかったのに……もしかして、アマリリスに阻止されたのか」
「まさか。そこまで融通が利かない子じゃないことくらい、あなたが一番わかっているでしょう。時間まで寝かせておくよう、わたしが頼んだの。だってエイジさん、丸太のように眠ってるんだもの」
肩を揺らして笑っている。よく紅茶がこぼれないものだ。おれはさっと目を走らせ、二葉を小さく手招きをした。怪訝な顔で近づいてきたところ、彼女の耳に囁いた。
「なあ、どうしてあの子が不機嫌なのか、わかるか?」