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 再び、トラックが動き始めた。

 おれはぐったりとシートにもたれ、目を閉じていた。ジャケットにこびりついた硝煙の臭い。冷却スプレーで応急手当はしたものの、右の手首がずきずきうずく。打ち身と擦り傷で、体じゅうが痛み、瞼の裏では、炎の残像が狂気のカドリーユを踊っていた。

 しかし、この程度で済んだのは、儲けものと言わざるを得ない。もしツキに見放されていたら、今頃はデカブツの腹の中か、あるいは手首から先を銃に持って行かれたか。いずれにせよ、二葉のコゴトを音楽のように聞きながら、のんびり座ってなどいられなかったろう。

「まったく、専門家が聞いて呆れるわ。街なかで、野戦砲なみの火気をぶっ放すなんて。もし屋根から落ちてなかったら、エイジさん、今ごろあなたローストチキンよ」

 肩をすくめた。チキンは臆病者のスラングなので、まさにその通り。世にも食えない鶏料理の出来上がりというわけだ。

「なんで黙ってるのよ」

「おれは食えないが、きみはうまいことを言う」

「ばかじゃないの。曲がりなりにも、あなたが体を張って守ったんでしょう。ずぶ濡れの野良犬みたいにしょぼくれてないで、少しは胸を張りなさいよ」

 と、すこぶる機嫌がよくない。手首に包帯を巻いてもらったとき、珍しく甲斐甲斐しいね、などと軽口を叩いたのが癪にさわったのか。隣で一彦が、しきりにくすくす笑っているが。

「しかし驚きましたね。パイソンは無事なんですか」

「ああ。とっくにオシャカかと思っていたが。シリンダーが焦げた程度で、まだまだ撃てるよ」

 コルト・パイソン。何百年も前のオリジナルと外見は同じだが、電気弾や特殊な火薬が撃ち出せるよう、一応は改造強化されている。処理班時代から、ともに死線を越えてきた銃なので、さすがに愛着もある。ふくれ面のまま、二葉が口をはさんだ。

「そういえばエイジさんて、回転式ばっかりよね。M36もそうだし。業界では珍しいんじゃないの?」

「クラシック銃を愛用している時点で、珍種の部類なんだが。普通はオートマチックだよなあ」

「どうしてリボルバーにこだわるの?」

 弾倉がクルクル回るからさ。そう答えると、二葉の目がまるくなるのが、見ないでもわかった。数秒後、「変態」の一言で締めくくられた。まったくその通りなのだが、なぜか昔から、回るものが好きなのだ。中でも観覧車は最高だ。乗るよりも、眺めているほうが面白く、とくに日が暮れてから、きらきらと回転する光景は、いつまでも見飽きなかった。

 今ではルナパークから、観覧車は撤去されている。派手好みの前政権から倹約路線へと移るに及んで、抹消されたものの一つだ。おれは決して前政権の支持者ではないが、無駄の一言でささやかな夢をつぶされるのは、やりきれない。

 不意に、瞼の裏の残像が一人の女の姿を結んだ。きらびやかな観覧車を背景に、女のシルエットはたたずみ、夜風に髪をなぶらせていた。妻だろうか。幻影だと知りながら、意識は歩み寄ろうとあがいた。近くでいきなりオルゴールが鳴り始め、明滅する灯りが彼女の顔を照らした。

 レイチェルだった。赤い月のように、微笑んでいた。

 車が停車する反動で、短い夢から引き戻された。目を開けるまでもなく、おれのチキンな二の腕は、見事に粟立っていた。例の人を食う私道の前に着いたのだ。となると、なぜ二葉がこんな遅い時間に、下見と称しておれを現場に連行したのか、意図の十分の一くらいはわかる気がした。

 突進するアーマードワームを前にしたときも、これほど恐ろしくはなかった。そもそも恐ろしさの質が違う。あのときは闘牛士の心境。対して今は、デカブツの何十倍もある鯨の背に乗った、エイハブ船長の気分だ。

 有名な物語と異なり、鯨の影は漆黒だ。海原の下に、漏出した海底油田のように広がっている。そいつは限りなく兇暴で、全人類に敵意を抱き、血みどろのアギトで無数の人間を噛み砕いてきた。それはわかっているけれど、今はなぜか不気味なまでに、鳴りをひそめている。

 船はおろか、島影すらない。見晴るかす大海原の中、漆黒の巨影の上に独り、ぽつんと突っ立ってる。そんな不安感……おれはあえて尋ねた。

「ここはどこだ」

「夜の動物園」

 口の端を歪めて笑い、目を開けた。夜の動物園か。ガキの頃はそう聞いただけで、うきうきしたものだ。様々な遊具がきらきらと回っていたし、いじけた夜行性の獣どもにさえ親しみを覚えた。処理班で働くようになってからは、仔猫を見るのも厭になったけれど。

 外はまだ風が強く、しかもみょうに生温かかった。にもかかわらず、ゾッと寒気を覚えて、外套の衿を掻き合わせた。硝煙の臭いが、なぜか少しばかりおれを安堵させた。

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