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フラッシュバックが起きた。いきなり飛びこんできたレイチェルが、鳩のようにおののく感触がよみがえる。かたく抱きしめれば壊れてしまいそうなほど、華奢な体だったけれど……
「ああ。とびっきりをつけてもいい」
「変態」
「なんでだ? きみが訊くから、正直に答えたまでじゃないか」
「問答無用。そんなにおっぱいが好きなら、刷新会議に対抗して、大日本おっぱい党でも結成すれば?」
ふくれ面をして腕を組んだまま、二葉は、ぷいとそっぽを向いた。この年頃の女の子の気持ちは、新型ワームの生態より理解しがたい。くっくっと肩を揺らしながら、一彦が尋ねた。
「そういえば彼女、寄生された犬に追いかけられたそうですが。エイジさんもそいつを見たんですか」
大日本おっぱい党員は首を振り、煙草を揉み消した。商売がら、さすがに気になったから、街路に下りてだいぶ探してみたのだが、それらしい影も形もなかった。
「実際、気になったんだよなあ。まるで図鑑を読み上げるような説明が。だからサミダレムシだと、すぐにわかったんだが……ふつう、血相を変えて逃げてくるほど、怖い思いをさせられた相手を、ああも簡潔に描写できるだろうか」
「嘘だと考えたほうが、辻褄が合うわけですね」
「ああ。レイチェルを追いかけたのは、決してサミダレムシに寄生された犬なんかじゃない」
ばすん、ばすん、と痙攣的なエンジン音が近づいてきた。あんな音をたてる車は、八幡ブラザーズのトラック以外あり得ない。燃えるものなら何でも燃料にできる、あれもまたドクター相崎の愉快な発明品のひとつだ。
ガラクタに埋もれて、ここからは見えないが、ガラガラと表のシャッターが押し上げられ、トラックが入ると、また下ろされた様子。それでも人が屈んで通れるくらいは、開いている筈である。おれもそこを潜って入って来たのだから。間もなく、一彦とウリふたつの若い男があらわれた。
「やあエイジさん、いらっしゃい。頼まれていた弾薬は、取り置きしてありますよ」
いにしえの野球少年みたいに、一朗は赤いキャップのつばに手をかけた。同じ背格好。同じ服装。同じ眼鏡に同じ顔。ツナギの染まり具合までまったく同じだが、唯一、キャップを前向きに被っているところで、弟と区別できた。
「ありがとう。だが今日は、タマを受け取りに来たわけじゃないんだ。このところ仕事にあぶれてね。まだまだ余っているくらいさ」
一朗は大きなバッグを、どさりと肩からおろし、おれの隣に腰かけた。手つかずのまま冷めたコーヒーを目にすると、ひょいとカップを取り上げ、ひと息に飲みほした。
「へえ。てことは、アブナイ虫の数が減ってるんですかね」
「まさか。実際、どんどん増える一方だよ。ワットが仕入れてきた情報によれば、ごく最近、BD-29地区が居住不能地区に指定されて、完全封鎖の憂き目にあっている。いきなり、フェイズ5が発動しちまったんだ」
「IBに?」
「いや、虫さ。閉鎖された団地ごと、多脚ワームの巣にされてね。地区担当者のずさんな管理のせいで、発見が遅れたのが命取りになった。もちろん第三種以上ともなれば、イミテーションボディと無関係とはいえないが」
目の前のカップをひねりまわしながら、一朗は最低の代用コーヒーを飲まされたような顔をした。かわりに一彦が口を開いた。
「フェイズ5ということは、生き残った人ごと、ですよね」
「そうなるな。首長連合の時代なら、金を積むなり何なりして、抜け道もあったんだが、刷新のやつらは徹底的にやりやがる。クリーンな政治・クリーンな街づくりの名のもとに」
そのうえ民間のハンターを締め出しては、とても駆除に手が回るまい。現に、第四種以下のワームなら、あたりまえに目にするようになった。部屋に戻りたくないと言ったレイチェルの怯えも、ゆえにあながち嘘とは言いきれない。
「わっ!」
無意識に煙草をくわえたところで、また例のマグナムが伸びてきた。しかめ面で火のお相伴にあづかるおれを見て、一朗は肩を揺らした。
「ハハハ。お気に召したらお持ち帰りになりませんか。安くしときますよ」
「遠慮しておく。掃討車の火で煙草を吸うなんて、ネタにしてもブラックすぎるよ。それより、家事用チャペックを見せてもらえないかな。以前もらったやつは重宝してたんだが、二週間ほど前から、ウンともスンとも言わなくなってね」
「明らかに寿命でしょう。ナナコ七式でしたっけ。あいつは、連合が政権をとる以前の払い下げですからね。最近では、ずっと高性能のチャペックが、ぐっと安く買えますぜ。どうぞ、こちらへ」