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15(2)

 石畳に火花が散った。二葉は鞄を小脇に抱えると、もう、二人のはるか先を走っていた。漫画ふうに飛び上がってイシカワが後を追い、タミーは素早くキックボードを組みたてた。ホビー用の強化イオンエンジンを底に取り付けてあるので、いくらか推進力の足しにはなる。

 八幡二葉を懸命に追いながら、イシカワの胸は躍った。これよ、これ。そうこなくっちゃ。花に嵐の例えもあるさ。走り抜けるのが青春だ!

 とはいえ、ワンブロックを突っきる道の、それも途中から辿るだけなので、たちまち北の端に突き当たる。イシカワも内側から見るのは初めてだが、常緑樹としぶとい蔓草に覆われて、鉄の壁がふさいでいる。その前に二葉が、ぽつんと立っていた。セーラー服の白いラインが、みょうに眩しい。かれらと異なり、息ひとつ切らしていない様子。

「ここが出口?」

 二葉はふり返り、少し脇へ退いた。赤錆の浮いたドアが嵌めこまれていた。学校の屋上に出るドアみたいだが、赤錆がまるで血のりのようで、イシカワはゾッと肩をすくめた。青表紙のファイルに網羅された怪談話によれば、赤い靴の少女があらわれると、ここのドアが開かなくなるという。逃げてもここで追いつめられて、食われてしまうという。

 彼女はノブを握り、手前に引いた。ぎぎっ、と音が鳴り、中は真っ暗。覗きこむと、シャワールームほどの空間があり、短い階段が、奥の壁に達している。そこに、両開きの窓ともドアともつかないものが嵌まっている。

 ちょっとお願い、という声とともに、鞄が投げ渡された。キャッチしたイシカワが呻き声を上げたほどの、意外な重さ。

「ごめんなさい。辞書が三冊入っているの」

 階段の上で背中を丸めて、彼女は宙を掻くように両手を差し出した。蝶番のきしむ音がして、白い光が流れこんだ。ちょうど鏡を通り抜けるアリスのポーズに似ているが、むろんイシカワは、そんな童話の存在すら知らないし、知っていたとしても、それどころではなかった。

 なぜなら両開きの扉を潜るとき、彼女はきわどい恰好でお尻を突き出し、スカートの中が覗けそうだったから。

 二葉とタミーは容易に潜り抜けたものの、イシカワの番になるとまた一騒動あった。けれど今回は、片方の手を二葉が引いてくれたため、激痛の中でも頬は緩みっぱなし。肋骨を全部くれてやってもいいと考えた。

 転がり出たのが、例のあやしげな神社の境内。イシカワの背後で、祠の扉がひとりでに閉まる音が響いた。とんだ人食い神社もあったものだ。青い顔の神主でも出てきたら、もっと絵になるだろうに。ここでは管理人はおろか、参拝者さえ見かけたことがなかった。

 鳥居の前に、いかにも目立つ赤い車が横づけされていた。変てこな軽量型トラックが、その後ろにつけてあり、二台とも進行方向と反対に頭を向けた恰好。かれがぽかんと口を開けている間に、赤い車のドアが開き、なまめかしくも白い脚が、すらりと降りてきた。続いてかれの目に飛び込んできたのは、青いニットにつつまれた、メガトン級のおっぱい。

 おっぱいの前にスケッチブックを差し出しながら、二葉が言う。

「間に合ったかしら」

「だいじょうぶ。まだ来社してないわ。今頃のんびりご飯でも食べてるんでしょう」

 二葉が「あのヤロー」と言っていた男のことだ。白い谷間で溺れそうになりながら、イシカワは直感した。その一言はいかにも憎々しげに放たれたが、どこか正反対のトーンが籠もっていたのも事実。ちょうどかれが、自作の自称万能オーディオを「鉄クズ」と呼ぶような。いや、さらに細やかな感情が。

「ごめんなさいね。危険な仕事を押しつけちゃって。でも、あなたに頼むのが一番早くて確実だから」

 メガトンおっぱいは、いきなりかれらに目を向けた。そこで初めてイシカワも顔を見た。薄い唇が真紅に塗られているため、笑うと赤い新月のよう。茨城麗子という名は、あとで二葉から知らされた。「あのヤロー」が勤める会社の社長秘書だとか。

「頼もしいボディーガードが、二人もいたのね。ありがとう」

 ミニサイズのワームも殺さないようなタミーとワンセットにされたのは不服だったが、おっぱいの魔力に呪縛されたように、エヘヘとかれは頭を掻いた。そのまま麗子は身をひるがえし、車に飛び乗ると、ブレーキ音を響かせてUターンし、走り去ったのだ。あとには変てこな軽量型トラックが残された。乗っているのは、二葉の兄だという。

 今運転している「カズ兄さん」と瓜二つだが、赤いキャップを前向きに被っており、「イチロー兄さん」と二葉は呼んだ。かれこそボディーガードとして来ていることは、なんとなく理解できた。降りる前に「イチロー兄さん」はマイクつきのヘッドフォンを外し、どう見てもバズーカとしか思えない筒を、後ろの座席へ放り込んだから。二葉が訊いた。

「これからどうするの。学校へ行く?」

 かれらは顔を見合わせた。全く選択肢に入っていなかったことが、お互いの目の中に読みとれた。

「行かないんだ。じゃあうちに来ない? ご飯くらいご馳走するよ」

 異存はなかった。イチロー兄さんは怖かったし、茨城麗子も含めて、明らかに善良な地区民とは思えなかったが、昼飯はおろか、夕飯までしっかりご馳走になった。そして今に至るのだ。

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