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 ヘッドライトがともされたとき、あまりの眩しさに、イシカワは目を閉じた。

 ずっと考えていたけれど、どう見てもダイオード系の光源ではない。化学反応を利用した、未知の発光装置ではあるまいか。不安定ではあるが、光はかなり強烈。それだけで交通規制に引っかかりそうだが、そもそもこのトラック、叩けば叩くほどヤバそうな埃が、飛び出してくるようじゃないか。

 運転席の男が、二葉の兄だという。なるほど端正な口もとは、妹にそっくりである。ちなみにイシカワは、女の子の口が好きなのだ。淫らな意味ではなく、純粋な口フェチ。二葉が上品な唇を動かして喋る様子を眺めているだけで、頭がくらくらするほどに。

(もし、万が一、あの口にキスできたら、心臓が止まるかもしれない)

 かれらを乗せたトラックは、奇怪なエンジン音を上げて、夜の街路に滑り出た。街灯などという、気のきいたシロモノは、ほとんど息絶えている。人影はおろか、すれ違う車もなく、郊外の街路は、ゴーストタウンのように閑散としている。


「午前中までに仕上げなくちゃいけないの。どうせあのヤローは、昼まで寝てるでしょうから」

 古風な学生鞄の中からスケッチブックを取り出して、八幡二葉がそう言ったのだ。もちろん、今朝の私道での出来事である。人を食うといわれる道の真ん中で、悠長に芸術の宿題でもやり始める気なのか……かれの横から覗きこんで、タミーが感嘆の声を上げた。

「へえ、上手いんだ」

 ふん、男がそんな軽口を。と思いきや、あろうことか二葉は頬を染め、小声で「ありがとう」と言ったのだ。明らかに先を越されて、イシカワは地団太を踏んだ。

 スケッチブックいっぱいに描かれていたのは、この私道の俯瞰図らしい。ルナパークのパンフレットを、かれもまた思い出した。あらかた完成しているが、道に沿った部分が所々、素描のまま残されていた。ピカソとレンブラントの違いもわからない。漫画しか読まないイシカワであるが、単純によく描けていると感心した。

 日はしだいに高くなり、しかも晴れてきた。二葉は木洩れ日のする草の上に、ふんわりとスカートを広げて腰をおろし、スケッチに余念がない。そばで黙って眺めているだけで、イシカワは天にも昇る心持ち。ここで何人も「食われて」いるという怪談話が、だんだん信じられなくなってきた。

 イシカワは夢想する。

 神社の方角から、赤い靴を履いた十歳くらいの女の子がやって来て、血だらけの口でニタニタ笑う。二葉は悲鳴を上げてスケッチブックを放り出し、かれに抱きつく。かれは彼女の身をかばい、拳を握って化け物の前に進み出る。決して不良ではないけれど、なぜかいつもインネンをつけられるせいで、中学時代から喧嘩は百戦錬磨である。

(とっとと失せな。たとえあんたが人食いでも、女は殴らない主義でね)

 化け物は、かれの騎士道精神に恐れをなして逃げて行く。おおセニョリータ、これで一件落着です。このおれの目の黒いうちは、やつの悪事は許しません。「とろん」とした目で、彼女はかれを見上げている。ガラス細工のような肩を抱くと、その目は静かに閉じられ、摘みたての苺みたいな唇が、唇が、唇が、きっきっ、キスの予感に震えて……

「イシカワくん、涎、垂れてるよ」

 至近距離からタミーが覗きこんでいた。わっ! と叫んで、かれは後ろにのけぞった。

 それにしても、妙てけれんな私道ではある。噴水があり、壊れかけた東屋があり、動物園の檻のようなものさえ、常緑樹の間に散らばっている。古めかしいメリーゴーランドがあらわれた時には、さすがに我が目を疑った。

「なんでこんなものが……ここはルナパークか?」

 屋根の内側には、お伽話の挿絵みたいな、顔のある月や星がちりばめられている。木馬や馬車は陶製で、首がとれたり足が折れたり、あらかたどこか破損しているのが、いかにももったいない。規模は小さいけれど、このまま売っても、かなり儲かるのではあるまいか。

 尋ねたいことは山ほどあったが、熱心にスケッチしている二葉に、話しかけるわけにもいかない。彼女はほとんど迷うことなく、製図用のペンで線を決めると、鉛筆の下絵を消し、上から水彩パステルで、薄く色を置いてゆく。いろいろとやばい現状を忘れるほど、眺めているだけで楽しい光景だった。二葉が描画を終えたのは、正午近く。

「意外に時間かかっちゃった。急ぐわよ、タミー。イシカワくんも」

 タミーの後回しにされた不服を口にする前に、バレリーナのように、彼女の脚が水平に持ち上げられた。そのまま、かかとが石畳にまっすぐ振り下ろされると、カツンと音がして、靴底からローラーが飛び出した様子。むろん、イシカワの目には、ひるがえるスカートと、やはりバレリーナのように、しなやかな脚しか映らなかったけれど。

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