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事務所を出たとたん、どっと疲れが出た。反対にアマリリスは、やはりどこか浮かれていた。機械なのだから疲れは感じないだろう。けれど、見るからに足取りが軽いのだ。
「せっかく駅前まで来たんだから、買い物でもして帰るか」
「はい」
声が弾んでいた。
(イミテーションボディは、いわばエイジさんにとって、仇なのでしょう。全てのIBを、あなたは今でも憎んでいますよね)
ワットの言葉が、残響のように頭にこびりついていた。
(それなのに、なぜアマリリスさんを引き取られたのですか。本体はコピーとはいえ、IBそのものである彼女を)
(当然、我を忘れたさ。弾丸を五発もくれてやった。もちろん、効きやしないよ。蝿が止まったほどの効果もなかったろう。けれど、あのとき彼女は、培養液の中で目を開いた。おれに向けられた眼差しはとても……)
とても哀しそうだった。
「駐車場代がもったいないから、南口まで歩くぞ。いいな」
「はい。マスターがよろしければ」
擬態の成果だ。安っぽい同情だ。彼女が従順なのは、そう設定されているからに過ぎない。また、もし彼女が、これほどまでに人間の少女と見紛うばかりでなければ、おれの態度も確実に違っていただろう。
わかっているつもりでも、彼女を見ていると、胸の内に不可思議な感情が湧いてくる。この感情は、哀しみに似ている。胸がしめつけられるような。今すぐどこかに隠れて、こっそりと泣きたいような。
「さっきの男の子は、社長なのですか」
「ワットのことか。男の子という言葉が、あれほど似合わないやつもいないな」
「マスターと気が合っていますね」
縁起でもないことを言う。が、これほど罵りあいながらも、やつは一向におれをクビにせず、おれも一向に辞める気配がない。もちろんおれはワットが好きではないし、あんな腹黒い野郎は大人でも珍しいと思っている。にもかかわらず、お互いがお互いを、どこかで必要としている。
「教えてやろう。そういうのを、腐れ縁というのだ」
「登録しました。応用するとこうなるのでしょうか。わたしとマスターは、腐れ縁である」
思わず苦笑した。否定はしないが、微妙にニュアンスが違う。このての融通のきかなさは、やはり「ロボット」らしい。
南口へ抜ける駅のコンコースは、ちょっとした街路と化している。つぎはぎだらけの殺風景な壁面。ぶ厚い鉄板で塞がれた岐路。明らかに場違いな、模造大理石の円柱。常に雑踏しており、電動二輪で通過する横着者もいる。両側には露天や屋台が並ぶ。しきりにウインクを送ってくる男がいたら、麻薬か武器の密売人だと思ってまず間違いない。
「あの女の人ですが」
「茨城麗子?」
「はい。わざとマスターに胸を見せていました」
柱に頭をぶつけそうになった。それにしても、珍しく少女がよく喋るのは、外の世界が面白いからだろう。変態博士も言ってなかったか。
(そろそろ下界を歩かせてやってもいい、とは吾輩も考えていたところだ。せっかく二本の足を持って生れてきたんだからなあ……)
ただ、彼女が本当に初めて下界を歩くのか、それはわからない。過去の記憶がないからだ。ただ、おれは至って不信心な男だが、もし輪廻を信じれば、人間だって同じかもしれない。この世界でじたばたと生き、死んで生まれ変われば、また振り出しに戻っている。
「もしおれが死んだら、きみはどうなるんだろう」
不意に、彼女は立ち止まった。振り返ると、うつむいた顔に髪の毛がかかり、表情が読めなかった。さっきまでとは打って変わった、低い声で彼女はつぶやく。
「マスター以外の命令をきくことはできません。ゆえに、記憶はリセットされ、全てのシステムは停止します。もしその状態で無理に動かそうとすれば、自爆装置が作動します」
聞いてはいけないことを聞いた気がした。雑踏の中でぽつんとうつむいたまま、少女はまるで泣いているように見えた。
「すまなかった。そ、そうだ。デパートに着いたら、何か好きなものを買うといい。きみにも報酬が入るのだから、遠慮はいらないぞ」
肩に手を置くと、少女は顔を上げた。ぱっと輝いた表情に、泣いた痕跡はまったくなかった。はた目には、おれは親ばか以外の何ものでもないだろう。