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ドアが開いた。何というのか知らないが、いかにもブランドものの香水のにおい。茨城麗子は、衿ぐりがV字型に切れこんだ水色のニットを、ゆったりと着ていた。少し身を屈めて会釈するとき、豊満な胸の谷間がくっきりと刻印された。
歳は、八幡兄弟より少し行っていると思う。セミロングのストレートヘア。見事に通った鼻筋。きつめの顔立ちを、柔らかな物腰がカバーしていた。何といっても、マグナム級のおっぱいの持ち主だった。さらに目のやり場にこまるほど身をかがめて、麗子はアマリリスの顔を覗きこんだ。
「いらっしゃい。可愛いのね」
「なぜ驚かない?」
おれの質問に彼女は答えず、意味ありげに微笑んで背中を向けた。有能な秘書もいたものだ。目の保養をさせてもらったくせに、仏頂面のまま、おれは彼女の背中に従った。観葉植物と磨りガラスの衝立で目隠しされたオフィスの中を通り抜けた。十名近い内勤者がいる筈だが、おれは麗子以外、顔もろくに覚えていない。奥のドアの前に立ち、彼女がノックした。
「どうぞ」
忌々しいボーイソプラノがこたえた。応接セットのソファに、十一歳の少年は沈みこむように身をあずけていた。童話に出てくる王子様の挿絵を切り抜けば、竹本ワットになると考えていい。凄みを感じるほど美しい顔だち。抜けるような白皙。ガラス細工のように、華奢な体つき。お掛けください。と言ってかざした指もほっそりとして、工芸品をおもわせた。
おれたちが座ると、麗子はワットの前に黒い木製の角錐を置いた。そこに白い達筆で「社長」と書いてある。かれの背後には、ボッティチェルリの『春』の複製がかかっている。首長の屋敷からくすねてきたような、草花模様の赤いソファといい、アマリリスの服のセンスの数段上をいっている。が、かれの美貌にみょうにマッチしているのも事実。
麗子が一礼して部屋を出ると、相変わらず鼻持ちならない流し目をくれて、ワットが口を開いた。
「少し痩せましたか」
「おかげさまでな」
「家事用チャペックが壊れたせいですね。でも、これからはだいじょうぶでしょう。アマリリスさんが美味しい料理を作ってくださいますから」
「だから、なぜこの子の名前を知っているんだ」
秘書に輪をかけて意味深長な眼差しを送り、ワットはほくそ笑んだ。
「この子……ですか」
対して、当の「この子」はというと、料理の腕前を褒められたのが嬉しかったらしく、可憐に頬を染めているのだ。おれは軽くテーブルを叩いた。
「わざわざ嫌味を聞きにきたんじゃない。この子がどういう存在か、だいたいわかっているようだが、その点もあえて突っ込まない。仕事の話があるんなら、さっさと聞かせてくれ」
言い終わるのを待っていたようにドアが開き、コーヒーカップの載った盆を手に、麗子が入ってきた。低いガラステーブルにカップを置く時は、躍動する白い谷間が垣間見られた。次に彼女は、かたわらのスチールデスクから、あらかじめ用意していたとおぼしいファイルを取り出し、ワットに手わたした。そのままかれの横に、姿勢のいい立ち姿で控えている。
ワットは、青いファイルカバーを開き、一人でざっと眺めて、また閉じた。そのままテーブルに放り出し、おれたちにコーヒーを勧めて、自身もカップを口へ運んだ。切れ長の目の端で、麗子をかえりみた。
「少し、濃いですね」
「申し訳ございません」
「どう思われますか」
これはアマリリスに尋ねたようだ。穏やかな口調のわりに、鋭い視線が注がれていた。彼女は一口飲んで、カップを置いた。何と答えるか、おれもちょっと興味が湧いた。
「わたしは、これくらいが」
ハ長調のボーイソプラノを響かせて、ワットの笑い声が弾けた。嘲笑されたのなら即座に席を蹴るところだが、なぜか心底喜んでいるように聞こえた。それゆえに、かえって不気味ではあるが。
「気に入りました。もちろん、アマリリスさんには、エイジさんと同等の報酬を支払わせていただきます」
口をはさみたいのを渾身の力でこらえ、相手の出かたを待った。急に仕事が来たことが、少女の出現と連動しているのは確かだ。ほとんど無意識に煙草の箱を取り出し、禁煙の文字を見つけて、またポケットに引っ込めた。薄笑いを浮かべたまま、ワットが切り出す。
「第十一街区に私道があるのをご存知でしょうか。誰も通れないよう、完全に封鎖されておりまして、とくに学校のある側は、入り口がカモフラージュされているくらいです。もともと竜門寺家の別邸の敷地だったようですが……ここを通る者が、頻繁に『食われる』というのです」