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事務所へ寄るのは、昼飯を済ませてからにした。外で食ってもよかったのだが、へたな店に入るより、格安で旨いものが食えるのだ。アマリリスが超兵器である事実を、忘れたわけではない。けれど、料理が上手いのもまた事実ではないか。
今日も朝から少女は、新東亜ホテルのメイドの恰好をしていた。メタマテリアルで構築された機械生命体は、このエプロンドレスがお気に入りらしい。
二葉の言葉どおり、昨日のうちにバイク便のアンちゃんが届けに来たのだ。黒田竜夫という、バイク賊あがりの面白い兄ちゃんで、自称、覆面ライダー黒竜。二葉あたりは「タッちゃん」と呼ぶ。いまだに本多平八郎忠勝みたいな恰好で走り回るから、制限速度を守っても、警官にちょくちょく止められるとか。
それでも組織に属さず、バイク一台で食っているのだから、小学生にこき使われているおれからすれば、見上げたものだ。13市街界隈を縄張りにしており、商店街の使い走りが主な仕事。まだハタチ前で、どうも二葉に気があるらしい。おれにはさっぱり理解できないが、小さなおっぱいが好きなのだろう。
アマリリスが浮かれているのは、なんとなくわかった。
昼飯を作る間、ずっと『タンホイザー』序曲を口ずさんでいた。一緒に飯を食いながら、通常の二倍くらい口数が多かった。心なしか目が輝き、頬がゆるんでいた。もともと無口で表情も乏しいほうなので、見ていてちょっと面白かった。
彼女には、過去の記憶がないらしい。
言葉や料理や歌は知っていても、自分がかつてどこにいて、何をしたのか。そもそも、カプセルの外に出たことがあるか。それさえも、わからないという。相崎博士が記憶へのハッキングを試みたところ、完膚なきまでにブロックされたとか。ともあれ、少なくとも「アマリリスとして」は、これが初めての外出となる。
「何を着ていくんだ?」
「このままではいけませんか」
「昨日、タツがいろいろ持ってきただろう。それはいわば作業服なんだし。せっかくだから、好きな服を着ていきなさい」
と、まるでこの子の「おじさま」である。
食器を洗い終えて、彼女は自室に下がった。実際、どんな服を選ぶのか興味があった。マグマの中を泳げる少女は、元来、衣服を必要としない。けれど、擬態のアイテムとしては極めて重要なポイントといえる。おそらく伝説のカメレオンが環境に溶け込むように、アサシンとしての本能に目覚め、目立たない中にもキラリと光る……
「いや、きみ……仮装舞踏会に行くんじゃないんだから」
フランス人形の前で、おれは目をまるくした。バツグンに機転の効く、家事から戦闘までこなす少女には、服装のセンスがまるでなかった。結局、おれが部屋まで着いて行き、無難そうな服を選んだ。親戚の家を訪ねる中学生みたいな恰好になったが、不服はないらしく、しばらく独りでくるくる回っていた。
ツーシートしかない軽量型ガス自動車の助手席に少女を乗せ、半地下の駐車場を出た。レイチェルは車を持っていたのだろうか……まばらにとめられた車を眺めながら、ふとそんな考えが脳裏をよぎった。
竹本商事の事務所は、第四市街にある。駅裏の一等地である。とはいえ、大資本の商業施設が集中する駅前と異なり、日陰の印象はぬぐえない。小ぶりなビルが密集し、どれもが老朽化している。狭い道は入り組み、通行人の三割くらいは、確実に迷子である。
会社の駐車場は猫の額ほどで、毎度、車をとめるだけで、ひと汗かかされる。そこから近道しても、オフィスまで五分はかかる。いっそ、近くに違法駐車したいところだが、近頃では警官の下請人が見張っていて、へたをするとタイヤに磁気リベットを打ち込まれかねない。
下請人はリベット屋と呼ばれ、洒落ではないが、ドライバーたちに憎まれている。磁気リベットはタイヤの回転を完全に止めるため、専用の機械がなければテコでも外れない。仕方なくリベット屋の支部に電話して、来てもらうことになるのだが、外すだけで数千から数万サークルとられる仕組みだ。ふつう、口止め料として何万か支払うことになる。
三階建ての小さなビルが、竹本商事である。一階は展示場で、二階がオフィス。三階は居住スペースになっている。外壁はセンスを疑う緑色。極めてせまい階段。エレベーターもあるにはあるが、乗ったためしがない。おれは大嫌いなモニターつきインターフォンのボタンを押した。
「あら、エイジさん。お久しぶり」
モニターの中で、茨城麗子が小首をかしげ、愛想笑いを浮かべていた。久しぶりも何も、仕事を回さなかったのはそっちだろうと思ったが、ドアを蹴りつけたりせずに、おとなしく待っていた。しかし考えてみれば、おれはアマリリスをけしかけて事務所を襲い、金を強奪することもできるわけだ。いやいや、その気になれば、世界征服だって可能だろう。
今さら思いつくこと自体、おれのやる気のなさを如実に物語っているが。