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イシカワの背筋を、冷たい稲妻が貫いた。日頃は気弱そうなタミーの姿が、私道を守護する小さな怪物のように見えた。
ビルの壁面の間を、鉄格子の扉は、いかにも唐突な感じで塞いでいる。注意書きがなければ、誰もが個人宅の門扉だと思うだろう。道に敷かれた石畳は蒼みがかり、広さは大人二人が肩を並べられる程度。わずかな上り勾配で、左にゆるやかにカーブしながら、常緑樹のトンネルに隠れて先は見えない。
いったいどこに出るのか。道である以上、必ず出口がある筈だが、その地点を明確に指し示せる者は、極めて少ないだろう。イシカワもずいぶん探した。区画をぐるりと回りこんで、ようやく「ここだ」と見当をつけたのが、廃材で組まれた鳥居の奥。鉄板を溶接した、あやしげな祠が、いかにも不自然に行く手を阻んでいた。
祠の上には、常緑樹の梢が覆いかぶさっていたから、まず間違いない。こちら側みたいに、立派な扉があるわけではないのだ。そうして思ったとおり、三女と第九は目と鼻の先である。
「どういうことだよ。道を通ったくらいで、人がそう簡単に消えちまうのか」
声がかすれたのは、口の中がからからに乾いていたからだ。タミーの口ぶりだと、まるで人間がドロンと消えてしまうように聞こえる。俗に行方不明になることを「蒸発」というが、文字どおり、煙と化してしまうようではないか。おぞましいイメージを振り払うように、かれは首を振った。
「あり得ねえだろう。たとえばアブナイ無法者がたむろしていて、通りかかったやつの金品を奪うついでに、殺して木の根元に埋めちまうとか。それならわかるが」
「どうかな。噂によると無法者とは程遠い、女の子が立っているらしいね」
「女の子?」
我ながらばかみたいに口をあんぐりと開けた。ぽつりと、私道にたたずむ八幡二葉の姿が、脳裏に浮かんだ。
「うん。十歳くらいの子で、服装はその時々で異なるけれど、必ず赤い靴を履いている。夜中や、薄暗い雨の日なんか、その子が私道にじっと立っているんだけど。よく見ると、全身がぼうっと光っているんだって」
「ばかばかしい。何を言い出すかと思えば、今どきガキも怖がらねえような怪談話かよ。私道に食われちまった子供の幽霊が、うらめしや~ってわけか」
「ちがうよ。その女の子が、人を食うんだよ」
イシカワはまたぽかんと口を開けた。笑い飛ばすかわりに、切羽つまったような呻き声が洩れた。たいした風もないのに、常緑樹がざわめき、石畳の上で濃い影が揺れた。化け物どもが舌なめずりしながら、囁きあっているような光景……唐突にまた、二葉のイメージが目の前の光景に重なった。
(おとといは、来たぜ)
だが、昨日は来なかった。そして今朝も、彼女は現れそうにない。
むろん、「病弱な」彼女が休むことは、そう珍しくはない。けれど考えてみれば、二日続けて来なかったことなど、これまであったろうか。あったかもしれないが、かれの胸騒ぎは、ほぼ頂点に達していた。鉄格子の間に細い体を滑りこませる二葉の姿が、妄想と呼ぶにはあまりにも鮮明に浮かんだ。
蒼い石畳の上を駆けて行く、セーラー服の後姿。その先で樹木はざわめき、おいでおいでをする暗い影の上に、血の色をした赤い靴が……
「わあああああっ!」
「イシカワくん?」
「タミー、どうしよう。きっとあの子は、八幡二葉は、ここから近道したに違いない。もう食われちまったんだろうか、なあタミー。どうしよう」
かれが眉をひそめたのは、その可能性がゼロとは言いきれないからだ。加えてイシカワの目を見れば、とても私道を探索せずには、おさまりがつきそうにない。のみならず、世の中には、他人に引きずられやすいタイプが存在する。タミーがそうであるように。
「仕方ないなあ」
鉄格子を半分抜けたところで、早くもイシカワは進退窮まった。先に潜ったタミーがおもいきり引っ張ると、断末魔のごとき声を張り上げて、どうにか転がり出た。肋骨が折れたと騒いでいるが、本当にそうなら、今頃ぐうの音も出まい。
また風が吹いて、影が踊った。歩道から眺めた印象より、常緑樹の木立はいっそう深く、こうなると、ちょっとした森である。
「どう考えても、ただの道じゃねえよなあ。公園か何かの跡地だろう」
肋骨を押さえて、かれは立ち上がった。肩を並べて歩きだし、木立の陰に入ったとたん、しんしんと体が冷えた。肘をさすって、タミーが言う。
「もともとこの区画には竜門寺家の別邸が建っていたんだ。ところが三年前に急に取り壊されて、宅地として競売にかけられた。この『私道』だけを除いてね」
「竜門寺と言やあ、首長連合のナンバーツーだった……?」