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99(1)

  99


 いつまでたっても、新聞が来ない。営業所が近いらしく、毎朝、ほぼ四時前には、ドアポストの音がするのだが。今日に限って、一向に届く気配がなかった。

 おれはたぶん、あまり新聞が好きではない。読めば必ず腹が立つので、精神衛生上宜しくない。

 どの新聞も、権力者が入れ替わるたび、回れ右をしてお追従をはじめる。そうしなければ食っていけない、興行主サイドの事情もあるのだろうが、その事情とやらを、正義で覆い隠すやりかたが気に食わない。

 それでも新聞をとり続けるのは、明け方近く、決まった時間にドアポストの鳴る音が、気に入っているからだ。こんな半分ワームに食われたようなネグラにも、毎朝、人の手で何かが届けられるのは喜ばしい。たとえ検閲に歪められたニュースであれ。

 ついに新聞が届かないまま、夜が明け始めた。カーテンの向こうで、じりじりと窓が焼かれる音が聞こえそうだ。

 昨夜は珍しく、滝沢理論からの「お呼び」がかからなかった。ここぞとばかり、ぐっすり眠れたはずなのに、いきなりおとずれた真冬の熱帯夜が、おれをベッドの上で煩悶させた。

 ついてない。あまりにもそれが常態となってしまい、日頃意識してつぶやくケースも少ないが、それにしても、ついてない。

 一夜にしてワームに化したような気分で、布団から這い出した。額に貼りついた髪を掻き分け、寝巻き代わりのシャツのボタンを外す。まるでオーブンの中にいるようで、呼吸困難におちいりかける。いつこんな日が来てもおかしくなかった。

 今まで来なかったのが不思議なくらいだ。

 地球滅亡の日。

 きっと空には無数の彗星が、夕方のカフカ鳥のように飛び交い、太陽は放電し、雲がげらげら笑っているだろう。来年から、この日も祝日に加えてほしいものだ。

 カーテンを開けたが彗星は見えず、相変わらずの、どんよりとした曇り空。おれは溜め息をつくと、あえて窓は開けず、空調の冷却ファンをフル回転させ、汗だくのシャツをかなぐり捨てた。起きて煙草を吸う前に、何かしたのは何年ぶりか知れないが、ローストチキンにされてはかなわない。

(まさに、ローストチキンだ)

 苦笑しつつ、煙草に火をともした。

 ラジオをつけてみる気にはなれなかった。どうせすでに当局が手を回しているだろうから、ざーっというノイズしか聞こえないか。よくしたところで、問合せ先の番号を、繰り返し告げるのが関の山。果敢に放送を続けるコミュニティ局なら、まだ残っているだろうが。

 たっぷりと疲労感の籠もった煙を吐いた。何もかもが、億劫だった。

 今日で地球が終わろうが、空から鑓が降ろうが、それがどうした。いまだにまっぷたつに割れないのが、不思議なくらいじゃないか。救いようのない、感覚の鈍磨。それは自覚していたが、地球が割れるところを、平然と眺めていられる図太さがなければ、この現代社会ではとても正気でいられない。

 いつにも増して、外が静かな気がした。ジーンズと丸首シャツ一枚で、ベッドに腰かけ、黙然と煙草をふかし続けた。カプセルの開くモーターの音が聞こえた。アマリリスが起動したらしい。胸にわいた安堵感で、ひどく怯えていた事実に、ようやく気づいた。

 アマリリスは、自室で培養液を拭きとると、裸のまま浴室へ向かうのだろう。やがてシャワーを使う音が聞こえ始めたとき、強烈な咽の渇きに見舞われた。獣のように一声呻いて、煙草を揉み消すと、寝室をあとにした。

 コップに半分飲んだあと、残りの生ぬるい水を流しに捨てた。兵隊やら処理班の経験のせいか、最低限の水分しか摂取しない癖がついている。もっとも、酒は別格だが。リビングに戻っても、新聞がないので、手持ち無沙汰である。

「起きていらしたのですか」

 バスタオルを巻いたアマリリスが、リビングを横切ろうとして、驚いたように立ち止まったところ。

 浴室にいた時点で、気づいていないわけがなく、だからバスタオルを巻いたのだろうけれど。その仕草があまりに自然だったので、おれは少々、うろたえなければならなかった。

「こう暑くてはね。きみは寒暖の差を、肌で感じるのかい」

「只今華氏91.4度です」

「ああ、いや、ありがとう。華氏にすると、本当に地獄みたいだ。できれば少し薄着をするといい」

 両手でバスタオルを押さえたまま、少女は小首をかしげた。

「薄着、ですか?」

「ああ、いや、つまり、いつもの恰好でくるくる働かれると、こっちが汗をかいてしまうんでね。たしか、夏服も二葉が届けていただろう」

 地球がまっぷたつになろうという日に、なんてばかげた喜劇を演じているのだろう。あるいは、日常というもののしぶとさに、驚くべきなのだろうか。それが持続できなくなるぎりぎりまで、人間は日常にしがみつく。しがみつかなければ、生きてゆけない。

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