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眩暈に抗しながら、おれは尋ねた。
「きみはそのキャンディーとかいうメイドを、疑っているのか?」
「疑ってるのかどうか、自分でもよくわからないけど。あまりにもアリバイが完璧なのが、かえって気になるし。何なんだろう。あの女のやることなすこと、どうしても芝居がかって見えてしまうのよね。要するに、胡散くさいの」
まくし立てたあと、感情を整理するらしい、間があった。「でも」と前置きして、彼女は語を継いだ。
「赤間恵理子という、ほぼ犯人として確定された人物がいるわけだし」
「五十嵐だっけ? エグゼプティブ・ハウスキーパーの疑いが、晴れたわけじゃないんだろう」
「そうなんだけど。メイド長の身柄は、ホテルが確保しているから、白黒はっきりするのは、時間の問題だと思う。あの亜門という男なら、ちょとした拷問くらい、やりかねないし」
「赤間というメイドにも、当然追っ手がかかっているんだろうな」
「ホテルのほうでも探していると思うけど。もしもダラウド殺しが教団側に洩れていれば、とっくに消されている可能性が高いわ。刷新の目はごまかせるかもしれないけど、幹部が殺られたことに、教団が気づかないなんて、考えられないものね」
昨夜見た、一つ目の十字架が、突然、脳裏に浮かんだ。
(もとはヒトでした。あるいは、こう言いかえることもできるでしょう。この中に、生身の人間が埋めこまれていた、と)
滝沢理論の姿に、赤間恵理子の印象が重なる。むろん、この二人が同一人物ではあり得ないが、彼女たちの動きは、あまりにも連動しているように見える。現に二葉は、恵理子が動物愛護団体、サイレントスプリングのメンバーだったと言わなかったか?
「ダラウド殺しに関しては、とりあえずこんなところだけど。もちろん、お話はこれだけでは終わらないのよね。ある意味、ダラウドよりもっと奇妙な人物と、わたしたちは出くわすことになる。でもまあ、あまりわたしばかり喋っても、情報交換にならないものね。エイジさんのほうは、調子はどうなの?」
生まれてこのかた、調子が好かったためしなどあるだろうか。そう思ったけれど口に出さず、彼女と比べれば、ずっと要領を得ない話しかたで、トラブルだらけの日常を振り返った。
ワットの野郎に、アブナイ害虫駆除をやらされてから、ずいぶん時を経たように錯覚する。二葉ではないが、その間に奇妙なことがありすぎた。もっとも、害虫駆除が只今の本職と言えるのだが、人食い私道事件以来、おれはつかみ所のない、巨大な暗黒に振り回されている。
なかば考え事をしながら、薄暗いマンションの一室で行った、あまり愉快でない駆除について話した。よほどおれの話が下手なのか、それとも興味をそそられたのか、二葉は根ほり葉ほり尋ねてくる。おかげで、理論との冒険の陰に隠れかけていた記憶が、鮮明に呼び覚まされた。
饐えた臭い。女の金切り声。闇にうごめく、おぞましい塊。
おれもこれまで、ずいぶん撃ちたくないものを撃ってきたが、「あれ」は最悪の部類だった。「妻」を撃ったときほどではないにせよ。
「たしかにその子は、死んでいたのね」
「ワットの野郎が、できるだけ内密に処理したみたいだが、正式な検視は受けている。胃の内容物を調べた結果、死後一ヶ月以上だとか」
「それだと、一部白骨化していても、おかしくないんじゃないの。エイジさんが見たときは、多少腐敗が進んでいる程度だったのでしょう?」
「虫が腐敗を遅らせるのさ。やつらは獲物の心臓を乗っ取り、擬似的に血液を循環させる。寄生された犬の場合と同じだよ。どういう理屈かわからないが、死んでいるのに、飼い主を慕うような行動をとるケースがよくある」
だから、手放せなかったのだろう。
僧が愛する少年の屍骸と、腐敗するまで添い寝していたという、古い物語が思い合わされる。彼女は明らかに狂っていたが、同時に罪悪感を抱いていた。事の本質を認識しており、心のどこかで、愛の地獄に終止符を打ちたいと願っていた。文字どおり、夢中で電話帳を繰り、害虫屋の番号をダイヤルした。
「それって、本当にサミダレムシなの?」
「サンプルはとってある。確かだ」
「犬にしか寄生しないはずでは?」
「どうしてなのか、わからない。少なくとも、外見は通常のサミダレムシと、まったく同じなんだ。あとはDNAレベルで調べないと、何とも言えないな。ワットが鑑定屋に回したから、結果待ちだが。突然変異種か、あるいは何者かが遺伝子をいじくったのかもしれない」
二葉は沈黙した。ノイズが続いているので、電話が切れていないことは確かだが、あまりにもそれは長い気がした。
「おい、二葉、どうかしたのか? 二葉?」