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おびただしい、蝶の群れ。咲き乱れる奇花。視覚と聴覚と嗅覚が混乱し、色彩は音になり、においが色になる。
ぶっ飛んでる、と二葉は思う。キマちゃってるみたい。
薬物をキメた経験は、けれど彼女にはない。美容によくないからだ。むろん、厳しい学校なので、目の下に隈を作って震えていれば、即刻退学間違いなしだが。世界そのものがぶっ飛んでいるのに、そのうえ薬物でトブ必要を感じない。
それにしても、この光景はキマりすぎていないか。ヤクでいかれた芸術家が撮った、変態趣味の映像のようだ。おびただしい花と蝶を、装飾過剰な額縁代わりに、たたずむ人物がみとめられた。プッチーニなら、ここでストロベリーマスカルポーネタルトのような、甘ったるいライトモチーフを、ぶちかましてくるところ。
二十歳くらいの、青年である。車椅子に乗っている。それを押すために、十二歳ほどの少年が、後ろに控えている。二人とも、異様なまでに整った顔をしている。美が極まれば個性を失わせるのか、青年と少年は、面影が重なる。
ただしそれは、兄弟の類似とは異なる。兄弟ならば、一卵性双生児の二葉の兄たちでさえ、それぞれ異なる個性が生じるものだ。けれど、かれらには、驚くほど個性がない。一人の人物の、異なる時間における映像を、コラージュしたみたいに。
ゴリラはゆっくりと前進し、車椅子のかたわらに立った。美形の二人連れと、耽美的な背景との間に、無骨な機械が入ることで、絵画的なコントラストが生じた。チャペックを使って彼女たちを呼び寄せたのは、かれらに違いあるまい。
青年が片手を上げて、手の甲をこちらに、軽く自身を扇ぐようにした。来い、ということか。
飛び回る蝶の翅が、しきりに触れてくる。服や髪に、鱗粉がなすりつけられるようで、あまりいい気持ちがしない。すべてホログラムではないかという疑いが、なかなか抜けない。ギターをぶら下げて、駅前にたむろしているヨギーたちに言わせれば、世界はホログラムと同じだという話。
かれらが、古ぼけたギターを弾いているところを、二葉は見たためしがない。目の色を見なければ、イーズラック人と区別がつかないほど、似通った恰好をしている。ただヨギーは総じてコンピューター系に強く、あやしげな自作ソフトを路上に広げて売っている。世界とは、神経が伝えてくる情報の集積に過ぎないと、かれらは言う。
だから、何一つ実在しないのだ、と。
隣で、霞美がお辞儀をする気配で、我に帰った。彼女はかれらを、「泊り客」と認識したのだろうか。キャンディーか、「夜間支配人」の姿を予想していただけに、客のことはまったく念頭になかった。そもそも、ダラウドが死んで、彼女たちは宙に浮いた状態が続いているのだから。
青年も少年も、無言のまま。間近で眺めても、かれらの美貌はアラが見えてくるどころか、非の打ちどころのなさに、感嘆するばかり。ただ後ろの少年のほうは、なぜか目を逸らしたくなるような雰囲気を放っていた。美しいは美しいのだが、ここに在ってはいけないもの、見てはいけないものを目の当たりにするような。
一言で言い表せば、邪悪な。
「あの、わたしたち、呼ばれたんでしょうか。あのチャペックが導くようでしたので。来てはいけないのでしたら、出て行きますけど」
たまりかねて、二葉が口を開いた。出て行けと怒鳴られたほうが、どんなに気が楽だろうと、心の隅で願いながら。けれども、車椅子の美青年の口調は、あくまで穏やかだった。
「たしかに、ぼくが呼びました」
多少冷ややかな中に、意外なほど確固たる威厳があった。後ろの少年と違って、かれは邪悪なオーラを放ってはいない。ただそれゆえに、一筋縄ではゆかない、油断できない男だと、二葉は直感した。青年はいきなり、ハ長調の笑い声を響かせた。
「退屈だったのですよ。支配人はメイドをつけると約束しましたが、なかなか実行してくれません。かといって、カズマでは散歩の話し相手になりませんからね」
絵のような笑顔でそう言うのだ。だとすると、やはり泊り客だったのか。けれど、二葉のほうでは、ホテルにこんな「庭園」があるなんて、聞いたこともないのだ。従業員さえ知らない場所を、何の権限があって、かれらはそぞろ歩くのだろう。
いや、答えならすでに出ているのではないか。エレベーターはたしかに、五階より上まで上昇したのだから。
「じゃあ、あなたが……」
「七〇〇号室に泊まっている者です。支配人がぼくにつけてくれたメイドは、きみたちですよね」
ぶっ飛んでる、と二葉は思う。キマちゃってるみたい。
カズマと呼ばれた少年は、当然のように、車椅子から手を放し、後ろに引き下がった。代われ、というのだろう。顔を見合わせたあと、霞美が背後に回り、グリップに手をかけた。それを見届けてから、青年は笑顔でうなずいた。
「少し、散歩しましょうか」