表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
256/270

94(1)

   94


 ヒトのようだ。最初に二葉は、そう考えた。人、ではなく、ヒトのような何か。

 ずんぐりむっくりした体型。たしかに頭部があり、手足がある。けれど、極端な猫背で、異様に長い手の先が床まで届くよう。ヒトよりむしろ、ゴリラに近い。が、ならば頭部で赤く輝いている眼が二つ、「縦に」並んでいるのは、どういうわけか。だいいち、ゴリラの遺伝子が解凍されたニュースなど、聞いた覚えがない。

 その何かは、動きを止めたまま、しばらく二人を凝視する様子。そして再び、ぎちぎちと音をたてると、体を揺らした。赤い眼が、規則正しく交互に瞬いた。

「チャペックですね」

 霞美がつぶやいた。

 なるほど、ホテルという場所には、通常、多くのチャペックが常備されている。ほとんどが荷運び用だが、ご愛嬌でバーテンダーを勤めさせたりもする。社員食堂のチャペックなども、もとは接客についていた、お下がり品なのかもしれない。ただ、ひとつだけ言えるのは、ホテルのチャペックが、決して独り歩きなどしないということだ。

 いや、街の中であれどこであれ、チャペックの独り歩きはご法度だ。一体につき一人以上、必ず同伴者をつけるか、あるいは囲いこまれた工場や建築現場でなら、面倒な許可をとった上で、ようやく自動運転が許される。社員食堂のあれは無許可だろうが、モグリらしく、一歩もカウンターから出たりはしない。

 故障か暴走か。いずれにしても、めったに起こることではない。どんな粗悪品だって、勝手に歩き出す前に、機能が停止するようにできている。仕掛けとしては、むしろそっちが簡単なのだから。

「まるで、わたしたちが近づくのを、待っているみたいです」

「冗談言わないで……」

 相手は狂っているかもしれず、そうだとしたら、これほど物騒なものはない。好んで近づく気になど、とてもなれない。非力な家事用のチャペックだって、もし本気で暴れ出したら、ドアくらいへし折れる。増してあの「ゴリラ」はいかにも強靭そうで、しかも八幡商店のガレージでさえ、一度もお目にかかったことのないシロモノ。

 ゴリラの頭部で、再生LEDがまた、促すように点滅した。霞美の言うとおり、わざと立ち止まっているとしか思えない。追って来るだろうか。たいていのチャペックには、車輪が装備されているので、こんな真っ直ぐな廊下では、たちまち追いつかれてしまう。背中を向けるのは、かえって危険なのだ。

 固唾を呑んで、二葉は目を凝らした。

 プラズマの亡霊でないかという疑いが、抜けきれなかったのだ。けれど、廊下の奥の物体は少しも燐光を放っていないし、解像度が変化したりもしない。驢馬頭のロオマ皇帝が待ち受けているよりは、ずっとマシなのかもしれない。

(身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ)

 呪文のようにつぶやいて、二葉は歩を進めた。肩を並べたまま、霞美も彼女に倣う。ゴリラは身じろぎせず、ただ微妙に頭部の角度を変えながら、確実に彼女たちを「眼」で追っている。

 間近で二人は足を止めた。レンズの焦点を絞るような、ジーッという音をたてて、ゴリラは少し首をかしげた。長い腕は多目的マニピュレーターとおぼしく、今は指先から車輪があらわれて、前傾姿勢のバランスをとっていた。しばらく睨みあった、もしくは見つめ合ったあと、チャペックは器用に体の向きを変えた。

 ゴリラの目の前では、エレベーターのドアが開いたまま。

「乗れということ?」

 顔を見合わせたあと、二人はゴリラに続いて、ゴンドラに乗りこんだ。重量オーバーのブザーが鳴らなかったのが、不思議なほど。脇の壁に、背をぴったりとくっつけたまま、極力チャペックには触れないように気をつけた。もしもかれに悪意があれば、この場で彼女たちを押しつぶすくらい、容易なのだけど。

 上昇が始まり、眩暈に似た感覚が、二葉をおそう。一種の幻覚か、骨組みが剥き出しの、工事用エレベーターに乗っているような光景が重なる。とてつもなく深い、井戸のような場所。黒々とうずくまる、巨大な球根状の物体……霞美の腕が、意味ありげに触れた。

(えっ?)

 パネルの数字の点滅が、三階から四階への通過を告げていた。さらに四階から五階へ向かったときは、さすがにダラウドのことが思い合わされて、いい気持ちはしなかった。数字はそこで終わっている。にもかかわらず、「5」の点滅はなかなか終わらない。

 しかもゴンドラは、止まらずに昇り続けている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ