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トンネルのような場所を歩く。真の闇にならないのは、それが廃材より成るからだろう。黄色と黒のプレートが、ねじ曲がっていた。その他、さまざまな警告板が落下し、あるいは宙吊りのまま、一面に散乱していた。
やがて前方に、銀色の扉が、うっすらと浮かんだ。作業用エレベーターとおぼしく、剥き出しの鋼材で補強されていた。驚いたことに、簡素なパネルには、うっすらと灯りがともっていた。まるでおれたちが来るのを、待ち受けていたかのように。
「動力が?」
理論はうなずいたばかり。すっと手を伸ばしてパネルに触れると、鈍い音とともに、扉が開いた。中は意外に広いが、乗り込むのがためらわれるほど、閉塞感がひしひしと伝わってくる。ほとんど無意識に、上着の上からジーンズのポケットに触れた。そこに突っ込まれているミニリボルバーでは、なんとなく心もとない。
何のためらいもなく、理論が先に乗りこみ、焦り気味に後を追った。ドアが閉まったとき、室内灯がともっていることに気づいた。物々しいほど速度が遅いため、パネルを見て、初めて下降しているとわかる。身震いに似た揺れとともに、ゴンドラが止まり、いやにゆっくりと、扉が開いた。
地底にも灯りがあり、それはこの場に設えた人工光なのだ。一歩踏み出すと、作業用の足場とおぼしく、四囲の闇に向かって、足音が虚ろにこだまを返した。歪んだ手すりの方へ、歩を進めた。
手すりの向こうは、とてつもなく深い井戸のようで、何本ものクレーンで吊り下げられた物体は、井戸の底から引きずり出された、漆黒の球根をおもわせた。
球根を?
「バルブだ……」
全ての神経細胞を襲う混乱の中で、立っているのがやっとだった。けれど、「幽霊船」で見たものと違い、バルブには直径二十センチはありそうな、楔のようなものが、十本近く打ち込まれていた。獰猛な巨獣に、いくつもの矢を叩きこみ、動きを封じた恰好に見えた。
嵐のような混乱が、ひととおり治まったあと、果てしない疑問符が押し寄せてきた。エナジー合成炉というのは、この化け物をカモフラージュするための、言葉による偽装なのは確か。だとしても、IB製造の要とみなされるバルブが、同じ都市地区内に二つも存在するなど、只事ではない。
そもそも、バルブのオリジナルは、蒼古たるイズラウンの伝説の彼方にある。夢とも現実とも知れない、集合的無意識の底に眠る。戦争中は要塞だった、「幽霊船」の地下に、そのレプリカが眠っていたのは、あり得る話だとしても、こんな場所から、唐突に二つめが出てくるのは、いったいどういうわけか。
「いにしえの、大量の亡命者たち。報道されざる、政治的な支援関係。まったく相反する宗教的基盤。でもそれゆえに、二つの国は暗渠のような血脈を、綿々と通わせてきました。その証拠の一端を、イーズラック人の数が示しています」
詩を暗誦するような口調で、理論は言う。まったく彼女の言葉は、狂える夢想家がこしらえたような、難解な詩と変わりがなかった。けれど事実そのものが狂っているのだとすれば、ほかに言い表しようがないのかもしれない。世界そのものが、狂っているのだから。
「こいつは、死んでいるのか」
質問なのか、自問自答なのかわからない。かさかさに乾いた咽から、声が絞り出された。冷たい靴音が響き、答える代わりに、彼女が歩み出したことを知った。回廊を進むと、先のほうで手すりが断ち切れ、足場もぐにゃりと歪んでいた。どす黒い染みが、大量にぶちまけた恰好で付着しており、年月を経た血痕以外の何ものでもないことを、思い知らされた。
足を止めた理論の目の前に、十字架が突き刺さっていた。
人の背丈の1.5倍はあるだろうか。斜めに突き立った恰好で、もちろんぴくりとも動かないが、思わずポケットの銃把に触れたほど、生き物じみたインパクトに圧倒された。鉄ではないのか、黒光りする表面に錆は見当たらず、マヤ文明の装飾をおもわせる溝が、びっしりと彫り込まれていた。
そのパターンは否応なしに、アリーシャの黒猫、プルートゥが嵌めていた、首輪の模様を連想させた。
けれど、最も目を惹いたのは、十字が交わる部分に象嵌された、一個の「眼」だった。その瞳の中心を、おぞましい弾痕が貫いていた。理論のつぶやきが、おれの背筋を凍りつかせた。
「開栓器です」
カイセンキ……
バルブを「開閉」させるために必要な、鍵のことを言っているのか。かつて、イズラウンの特別な神官だけが持つことができたという、伝説上の道具の、これが実物なのか? 湧き起こる疑問を見透かしたように、彼女は語を継いだ。
「もとはヒトでした。あるいは、こう言いかえることもできるでしょう。この中に、生身の人間が埋めこまれていた、と」