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 いささか乱暴にスピードが落とされたので、おれは理論の背に、顔を埋めねばならなかった。両腕は、彼女の細い胴を、思うさましめつけた。エンジンが不服そうにつぶやく中、バイクはすでに停まっていた。覗きこむと、道の先が封鎖されているのがわかった。

 物々しく渦を巻く有刺鉄線が、光の輪の中に浮かんでいた。腐蝕が進んだ金属板が打ち付けられ、かろうじて「立入禁止」の文字が読めた。それにしても、あまりにも唐突に道が断ち切られているので、これでは知らずに突っ込む車両が、跡を絶たないのではないか。

 理論は知っていて、バイクを停めたのだ。

「近所にこんな区域があったとは。ドームってやつは迷路ですね」

 おれはバイクを降りて、煙草に火をつけた。しなやかな、理論の背中と香りから離れることに、なごり惜しさを覚えながら。

「父は、人工知能の研究にたずさわっていました」

 エンジン音に掻き消され、ほとんど聞き取れないほどの声で、たしかに理論は、そうつぶやいた。目の前の光景との、脈略のなさに驚きながら、おれは尋ね返していた。

「チャペックのような?」

「イエスとも、ノーとも。父が追求していたのは、チャペックの人工知能とは根本的に、体系を異にするものでした。チャペックの場合、あらかじめ入力された情報を解析し、人間らしい行動を模倣する方法が採られています」

「オウムみたいなものですね。おはようと言えば、おはようと答える。イカしてるねと誉めれば、ありがとうと答えるが、やつは本当に嬉しいわけじゃない」

 軽口を叩きながら、背筋に走る冷たい戦慄を、禁じ得なかった。アマリリスの姿が、圧倒的なインパクトで浮かんで消えた。「チャペックとは、根本的に、体系を異にする」だって?

「すなわち、感情をもつ人工知能。すでにそのようなものが、第二次百年戦争以前に、完成していたといいます」

「イミテーションボディ」

 憎悪、という「感情」を持ってしまった、殺戮機械。

「必然的に、父はIBの研究に、のめり込んでゆきました」

「例えその一部でも、実験室にIBを持ち込むことは、近年のあらゆる政権が固く禁じているはずです。発見されれば、まず死刑。学者にとって、IBは禁断の領域に属するというのが、定説ではありませんか」

 最近も異国の研究者が、IBの「腕」を持ち帰り、実験中に蘇生させてしまい、ドームごと壊滅させたニュースを読んだ。何が起きても不思議じゃない、とは、ワットの口癖だが、ことIBに関しては、よりこの言葉が当て嵌まる。理論は、震動するバイクに身をあずけたまま、うつ向き加減にうなずいた。

「ええ、でももし、当局の人間が、それを求めていたとすれば?」

 有刺鉄線の向こうにも、街は続いていた。ビルがあり、民家があり、工場があり、店があった。まるで国境線を隔てたように、それらが目と鼻の先で区切られているのは、奇妙な光景だった。辺りに、まばらにともっている街灯が、有刺鉄線を境に、ふっつりと消えているのだ。もちろん窓灯りもなければ、人影もない。完全にゴーストタウン化しているとおぼしい。

 まるで火星の街みたいに。

 理論はエンジンを切り、ライトを消した。たちまちゴーストタウンが、闇に呑まれた。彼女は語を継いだ。

「方法が、もう一つありました。それはIB生成の理論を、完全に裏返した方法でした。いわばIBとは表裏をなす理論で、一対のロストテクノロジーといえます」

 自嘲的に彼女が笑ったのは、理論という言葉を使ったためだろう。おれは黙っていた。もちろん、続きを聞きたくなかったからだ。こめかみが震え、戦慄は倍になっていた。が、幸いなことに、彼女もこれ以上話す気をなくした様子で、バイクを置き去りにして先を歩き始めた。

 まるで道が普通に続いているような態度に驚きつつ、ばかみたいに、彼女の背に従った。近づいてみると、まるで強力なバーナーで溶かしたように、有刺鉄線の一部が、焼き切れていた。大人一人がゆうに潜り抜けられるほどで、現に理論は、キュロットスカートを器用につまんで、そうしたのだ。

「ボールが転がってませんかね。普通、こういう所には」

 一張羅の上着を引っかけないよう苦心しながら、おれも彼女に倣った。蜃気楼が急に質量を得たように、鉄線を越えたとたん、闇にうずくまる街の存在感に、膚を圧迫された。理論はかすかに、首を振った。

「組織のほうで、監視は外してあります」

「つまり、刷新との内通者がいると?」

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