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92(2)

 トラテープの際まで、かれらは歩を進めた。回廊に四囲を取りかこまれた中庭を、見下ろすような恰好。「劇場」の底にうずくまる、その黒々とした化け物は、複数の強烈なライトに照らされてもなお、なかば闇に覆われていた。

 クレーンから伸びた、何本もの太いワイヤーが、今にも悲鳴を上げないのが不思議なほど、張りつめていた。まるで自分の神経のようだと、Aは考えた。

 理由のわからない戦慄が、Aの背筋を貫いた。こいつは本当に、「エナジー合成炉」なのか?

 無残に錆びた、泥まみれのパイプが、無数に絡みあい、表皮のように本体を覆っていた。けれどもその本体は、材質が違うのか、みょうに生き物じみた、黒い光沢を失っていなかった。

(まるで球根だ)

 滑稽であるはずの連想が、Aを震え上がらせた。黒い、とてつもなく巨大な、球根。そいつが他の植物の根をおもわせる、パイプの群れに絡みつかれて、掘り起こされた恰好。小刻みに、左手の指が震えていることに、かれは気づいた。やはり、薬を飲んでくるべきだったのだ。

 処方どおりの分量の効き目なんぞ、ちょっとした抑圧にさらされるだけで、簡単に吹っ飛んでしまう。幻覚があらわれるのは、時間の問題だ。現に、「球根」の最も膨らんだ部分から、どうしても視線を引き剥がすことができない。同様に漆黒でありながら、ツヤがないその部分から、強力な、おぞましいインパクトが発せられている。

(あれは、眼玉じゃないか……)

 回廊を、右に左によろめきながら、白衣の男が近づいてきた。ずいぶん健康を損ねているふうで、腕章を見れば技師であるらしい。竜門寺と握手し、小声で会話を始めた。次に竜門寺が指さしたのは、「眼玉」の少し上の辺り。そこに上辺の極端に短い、小さな十字架が浮き彫りにされていた。

 小さな、と言っても、装置に比べて小さく見えるだけで、長身な人の背丈を、優に超えるだろう。すなわち、人間を十字架にかけるのに手ごろな大きさ。その表面は滑らかでなく、太いゴムをねじったようなオウトツがみとめられた。また、後でとりつけたとおぼしい、新しいコードが何十本も伸びて、宙ぶらりんの闇に溶けていた。

 異形の十字架。竜門寺にはそれが、言語道断な邪教の紋章のように思われた。

 Aの左手の震えは激しさを増し、自動小銃の冷たい銃身が、小刻みに肩を叩くまでになっていた。厭な目つきで、Bに睨まれた。きっと後で、密告するつもりなのだろう。竜門寺と亜理栖は、けれど装置に見入っているので、気づかない。これほど近くにいながら、なぜか技師との会話がほとんど聞きとれない。

「……を、無傷で……ことは、不可能なのか」

「電流やガス……反応がまったく……ただ、神経のパルスが……」

「……生体反応を……」

 気分が悪くてぶっ倒れそうだった。顔色はおそらく青銅のようで、脂汗にまみれていた。寒くて寒くて仕方がなく、歯の根も合わぬとは、こんな状態を指したものか。どいつもこいつも、なぜ平気でいられるのか、Aは不思議だった。間違いなく、こいつは生きているというのに。巨大な容器に、悪意を満タンにして。

 不意に、竜門寺亜理栖が振り向いた。防護服の隙間から、美しい、人形のような目で、まともに見つめられた。少年の目は、Aの異変を、決して咎めてはいなかった。むしろそれは、共犯者の眼差し。秘密を共有する者どおしの目配せに、ほかならなかった。

「しかし、カイセンキはそのために……」

 異形の十字架が外れるのを見たのは、そのとき。まるで強力なスプリングで弾き出されたように、縦に回転しながら、こちらへ向かって瞬く間に飛んできた。Aは叫び声を上げていることにさえ、気づかなかった。技師と竜門寺は、さすがに驚いた様子で、身をのけぞらせていた。

 ただ、竜門寺亜理栖ばかりが、腕を下ろして、平然と立っていた。

 間違いなく金属製でありながら、十字架はゴムのように身をくねらせ、鉄の回廊の上を一本足で飛び跳ねた。縦横が交叉する部分には、一つの大きな眼が嵌めこまれ、「生きて」いる証拠に、きろきろと蠢いた。横棒の先には、何本もの鋼鉄のフックがみとめられた。

 Bの上半身は、すでに消し飛んでいた。血染めのフックが、次に屠ったのは技師だった。花火のように炸裂する鮮血を、ぼんやりと眺めながら、怒っているのだと、Aは考えた。異形の十字架はとても怒っているがゆえに、生きている人間の最後の一人までも、殺し尽くさなければ気がすまないだろう。

 十字架は苦悩するように、身を仰け反らせると、竜門寺の頭上に腕を振りおろした。が、悪人ほど運が強いのか、ちょうどかれがつまずいたため、一撃は外れ、代わりに手すりを粉々にした。そのねじれた姿勢から、一つ目がAを見据えた。自身の口からほとばしる悲鳴が、ようやく聞こえた。

 震える指が、おのれの意志とは無関係に、自動小銃を乱射していた。多くの弾が、筋肉組織をおもわせる、そいつの体に食い入り、腐敗した血の色の液体が噴き出した。眼玉が撃ち抜かれたとき、異形の十字架が張り上げた断末魔を、Aは一生忘れられないだろう。

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