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五年前。
BB-33地区の東の郊外に位置する、その辺りはまだ第23拡張候補地と呼ばれ、汚染地帯に属していた。ゆえに、竜門寺真一郎を乗せた装甲車は、IBの急襲に備えて、二台の軽自走砲の護衛をつけていた。候補地にはまだ、廃ビルが建ち並び、瓦礫と格闘中の物々しい建機たちは、途方に暮れて、立ち尽くしているように見えた。
ねじ曲がった標識。看板の下は、ただの大きな穴と化した店舗。横転したバス。それら旧い街の痕跡が、痛々しく横たわっていた。対IB用の砲台があり、軍用チャペックを統御する、アンテナつきの装甲車が、何台も停まっている。空はいつにも増してどんよりと曇り、小雨のそぼ降る中、けれど、かれらの車両以外、動くものはなかった。
「いつ、IBが襲ってきても、おかしくないんだね」
少女のような声には、どこか面白がっているような響きが含まれていた。竜門寺の隣に座り、すでに防護服で全身を覆っているが、よく動く美しい目が、好奇心に輝くのがわかった。
「同じことさ。ドームの中にいようと、いつ襲われてもおかしくない点に、変わりはない。ただ、その事実を忘れさせてくれる装置が、ドームの中には多くある。それだけの違いなのだよ、亜理栖」
アリス、という一言を耳にして、自動小銃を抱いた警護の男が、ぴくりと肩を震わせた。この風変わりな父子が同乗していることは、トップシークレットに値する。もし口外すれば、比喩ではなく、クビが飛ぶだろう。かれらを乗せた装甲車は、ぬかるむ悪路にサスペンションをきしませながら、巨大な足場が組まれた一帯に、滑りこんでいった。
入り口の看板は、早くも錆に覆われはじめ、「旧エナジー合成炉発掘作業現場」という文字が、かろうじて読めた。中はシートで覆われているため、辺りは暗く、投げかけられる赤い照明が、息苦しさを増幅させるようだ。地ならしされた瓦礫を踏みしだきながら、装甲車は停車した。
ぶ厚いドアが開けられ、外に降り立った竜門寺は、一人だけ防護服を身につけていない。続いて「亜理栖」が、子供らしい敏捷さで跳び降り、防護服の中から、もの珍しげに、辺りを見回した。シートをうつ雨の音が、奇怪な叫び声のように、うつろに反響している。この殺伐とした風景も、少年は鬱陶しく感じないらしかった。
反対に、先ほど肩を震わせた警護の男Aは、やはり薬を飲んで来るべきだったと後悔した。食うためにこんな仕事をしているが、なんて厭な仕事だろう。ドームの内も外も変わらないと言った、竜門寺の意見に、Aは同意しかねる。一刻も早くドームの中の、自身の部屋へ逃げ帰り、酒で薬を流しこんで、布団にくるまっていたいと思う。
ずっと、ずっと、そうしていられたらとAは思う。
工事の名義のわりに、やたらと警護が物々しい。むろん、IBの襲撃を警戒しているのだろうが、それならば、最近発足したばかりの処理班がいるべきところ、それらしき姿はない。IBやワームよりむしろ、人間を警戒しているような態勢に見える。
たしかに、エナジー合成炉の発掘となれば、莫大な利害が絡んでくる。この合成炉は、第二次百年戦争直前のものと推定され、もしレストアに成功し、再稼動にこぎつければ、優にドーム二、三個ぶんのエナジーは、これ一つで賄える。成功率が一パーセントに満たないという、問題はあるにせよ。
(また竜門寺が、みょうなものを買い取った)
しのぎを削る首長たちの間からも、嘲笑が洩れた。あんなガラクタを掘り起こしたところで、札束を再生用シュレッターにかけるようなもの。それとも竜門寺は、無駄な事業による失業者対策で、世論を味方につけようというのか。何事も力でねじ伏せる、あの男らしからぬ酔狂だ、云々。
Aもまた考えた。職にありつきたいばっかりに、オレは化け物に魂を売ってしまった。一生、便所の中までも、超小型無人偵察機をくっつけて回らなければならない、そんな人生を選んでしまった。当局のコンピューターには、オレがかいたマスの数まで、記録されていることだろう。
簡易エレベーターに、竜門寺と亜理栖が乗りこみ、Aと同僚のBが、その両脇をかためた。二月ほど前からコンビを組まされている、この同僚Bが、Aは好きではなかった。ずんぐりしていて、猫背で坊主頭。ほとんど口をきかず、逆三角形の三白眼ばかり、常にぎらぎら輝かせている。性格は陰険そのもので、密告癖があった。
例えば、上からの指示が食い違っていたために、Aが時間に遅れたことがあった。Aが間違った時間を知らされていることを承知しながら、黙っていたのである。Bが沈黙している以上、Aに弁解の余地はなく、文字どおりクビが飛びかけた。
Bの三白眼が、たびたび竜門寺亜理栖を盗み見ることに、Aは気づいていた。ぶかぶかの防護服姿が、愛くるしい仕ぐさと相まって、マスコット然としている。変声期であるはずなのに、声はまるで少女のようだが、男の子だと聞いている。Bがどんな妄想を抱いているのか、想像したくもなかったが。
ゴンドラが止まり、四人は鉄の回廊に吐き出された。ここへ来るたびに、竜門寺はオペラ座を連想した。といっても、パリに存在した古建築物ではなく、酔狂な首長の一人が、金に飽かせて作らせた、俗悪そのものの大劇場である。大きさといい、薄暗さといい、そして吐き気をもよおすグロテスクさまでも、そっくりに思えた。