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もしもその道を突っ切って行けたら、イシカワの遅刻は少なくとも半減していただろう。
この道が通れないばかりに、まるごと一区画ぶん、回りこまなければいけないのだから、同じ走るにしても、五分は差がつく。この五分差が瀬戸際となる。
校門には必ず風紀の鬼久保が待ち構えていた。軍用チャペックに人の皮をかぶせたような恐るべき体躯。それでいて護身体育の教師ではなく、旧文学を教えているのだから、恋歌を詠んでも脅迫状にしか聞こえない。手製の短い竹刀を常備しており、遅刻者には容赦なく尻に一撃食らわせた。
今やイシカワは、鬼久保に完全に目をつけられていた。不良っぽい外見のせいだと、自分でもわかっていた。詰襟の学生服のボタンを外して、赤いセーターを覗かせ、裾からはわざとシャツを食み出させたうえ、ズボンの裾は常に地を引きずる恰好。サイドだけ髪を後ろに撫でつけた姿は、額縁に入れて不良博物館に展示できそうである。
親からも教師からも眉をひそめられたが、イシカワ自身、自分を不良だとは考えていない。ちょっと個性的なだけで、本当はものすごくいいやつなのだと独り、悦に入っている。
「今日はもう来ないんじゃないかな」
四本めの煙草に火をつけたところで、立てたキックボードにもたれて、タミーが言った。吉田民雄は眼鏡をかけて背が低く、いかにも気弱そうな優等生タイプ。毎朝、イシカワの「儀式」に付き合っているのは、脅迫されているからだと、ほとんどの教師が信じていた。
「それにここで煙草を吸うのも、まずいんじゃない」
「刷新か? やつらは腰抜けさ。何回もお巡りに見つかってるが、すぐに消せば文句一つ言ってこない」
「でも、しっかりファイリングされてると思うな。変な煙でも出そうものなら、たちまちソフトボールが三、四個飛んでくるんじゃない」
ソフトボールとは、最近よく見かけるようになった人類刷新会議の超小型無人偵察機である。探知機能のほかに、小型拳銃程度の火力も備えている。見かけによらず汎用性が高く、ふだんは路上を転げ回りながら情報を収集し、不審者に対しては銃身をあらわして、威嚇することもできる。噂によると、現行犯で射殺された者もいると聞く。
鼻で嘲おうとして、イシカワは図らずも、ぞくりと肩をすくめた。煙草はいつも、路上に立っているイーズラック人から買っている。完璧にガラのよくない日本語をあやつり、「ばかばっか」が口癖だが、商売はわりと良心的。ところが最近、売り物の質があやしくなってきており、一口吸ったとたん、ひどく噎せて、揉み消してしまうことがよくあった。
どうもそのへんの雑草を乾かしたものに、違法な薬物を混ぜて、煙草と称したものが紛れ込んでいるらしい。タミーに怖気づいたと悟られぬよう、かれはさりげなく煙草を捨てた。
「おとといは、来たぜ」
タミーも一緒に走ったのだから、言うまでもないのだが、あえて口に出すことで、ミントガムのような幸福感を噛みしめた。ついでに尻ポケットから合成革のカードケースを取り出し、宝の地図でも広げるように開いた。なけなしの金をはたいて、情報屋に隠し撮りしてもらった一枚の写真が、そこにはさまっていた。
女学生のバストアップ。下校中をズームで狙ったのか、手前に写りこんだ友達の肩の向こうで、顔もこころなしか、うつむき加減だ。清楚なセーラー服。お下げ髪に眼鏡という、いかにも地味な組み合わせの下に、華やかな素顔が垣間見られた。間違いなく美人だ、とかれは目を細める。おっぱいは小さいが、それもまたよし。
彼女の名は八幡二葉。区立第三女子高校の二年生だ。
自宅は13市街の古物商であるらしい。両親の所在は不明。年の離れた二人の兄がおり、商売は兄たちが切り回している。学校の成績は良好だが、病弱らしく欠席が多い。男女交際の痕跡は認められず……情報屋の報告を鵜呑みにすれば、そういうことになる。おおむね正しいのかもしれないが、病弱、の二文字だけは何としても納得がいかない。
病弱な娘が、あんな殺人的な速度で走れるものか。たしかに彼女は改造ローラーシューズを履いているが、それでも中学時代、四百メートルで地区大の準優勝経験をもつイシカワと互角か、ともすればぶっちぎる娘が、病弱なわけがない。
区立第三女子と、鬼久保が待ち受ける第九男子高校とは、通りをはさんでほぼ向かい合っていた。ただし道の上には陸橋が立ちふさがり、しっかりと目隠しの役目を果たしていたが。イシカワが韋駄天のごとき三女生の存在に気づいたのは、一月ほど前。イーズラック人が立つ場所を変えたため、やむなくいつもの通学路を少し迂回した時だった。
(ごめん、遅刻しそうなの。そこどいて!)
ライターがなかなかつかず、歩道の真ん中に突っ立って、カチカチやっていた。彼女はたしかそう叫んだようだが、食パンをくわえていたため、うまく聞き取れなかった。かれの口から煙草がぽろりとこぼれ、目は驚愕に見開かれた。瞬く間に、いや瞬く間もなく、改造ローラーシューズを履いた彼女は、イシカワの面前に突っ込んできた。
「うわああああっ!」
反射的に、かれはうずくまった。それを予期していたような絶妙なタイミングで、セーラー服が宙を舞った。朝の陽光が一瞬の影を描き、頭をかかえたまま見上げたかれは、すんなりと伸びた脚と、純白のパンティーをたしかに見た。