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「非人道的な行為と仰いましたね」

 おのずと声が震えた。「幽霊船」における記憶の断片が、無秩序なまま、次から次へと、意識の表面に浮かび上がった。それは奇怪な「眼玉」の行列だった。掃討車の眼、トリベノが乗っていた「ジュリエット」の眼、そして、アリーシャが倒した、あの人型IBの。

 静まり返った部屋に、理論の吐息が、みょうに柔らかく響いた。

「ええ」

「それは人間を使った、生体実験の類いでしょうか」

「肯定も否定もできませんわ。そうでもあり、そうではない、といった表現しか。エイジさんは、キュノポリス計画をご存知ですか」

「名前だけなら。それがどんなものかと訊かれても、漠然としたイメージが浮かぶばかりで、答えられませんが」

「つまり、そういうことです」

 今にも叫び出さないのが、自分でも不思議だった。ひとつは、理論の催眠的な声のトーンが、モルヒネのように、おれの神経の一部を、麻痺させているせいかもしれない。あるいは、針葉樹の森のように散らかった部屋や、無心にペディキュアを塗る彼女の仕ぐさも、相乗効果をもたらしているのだろう。

 彼女は語を継いだ。

「どこかにキュノポリスという街がありました。そこではドアが話しかけ、窓が笑い、椅子が手をさしのべます。そんなお伽話が、主にイーズラック人たちによって、まことしやかに語られているだけです。実際にその都市は作られたのか、本当にどこかに存在するのか、だれも知りません」

「けれど、あなたたちは、その街のある場所をつきとめた。ゆえに、ツァラトゥストラ教の過激派と、やりあう結果になった。ということですか?」

 自身の足の指を見つめたまま、彼女は口の端に笑みを浮べた。感情の籠もらない、仮面のような微笑。

「それが街ではなく、ロジックだとしたら?」

「わかりませんね。何事もロジックの段階では、責めるに値しない。例えば、BN25駅前の腐りかけたベンチに座って、一日じゅう空を眺めている老人がおりますが。かれの頭に世界を崩壊させる完璧なロジックが詰まっていたとしても、だれもかれを逮捕できないのと同じように」

「例え話が、上手ですのね」

 肩を揺らして理論は笑い、おかげで親指の塗料を食み出させた。けっきょく、話をはぐらかされてしまうと、苦々しく思う反面、深く安堵している自分を認めざるを得なかった。おれは煙草に火をつけた。

「女の足の指を、舐めたことがおありになる?」

 あやうく噎せかけたおれに、悪戯っぽい眼差しが向けられていた。少し食み出した状態のまま、ペディキュアは完成していた。

「ノーコメントとさせていただきましょう。舐めてみたいような顔でも、していましたか」

「そうではありませんけど」

 彼女は塗料を仕舞い、足を横に崩した。それっきり、谷崎潤一郎なら喜んで応じたであろう、ラズベリー色の足の指は見えなくなった。

 沈黙がおとずれたが、気づまりな感じはまったくなかった。疲労した肉体が、眠気のプールに浸かっているような。それでいて、強い睡魔に襲われるわけでもなく、むしろ心地よい倦怠に身をゆだねていた。一応、これも仕事なのだと、自分に言い聞かせながら。

 はぐらかされてしまったものの、さっきの会話で、おおよその青写真は作れたと思う。旧政権時代、すなわちおれが処理班にいた頃、多くの学者が消えているという噂は、聞いたことがなかった。処理班は、政府直属の技師たちに、バックアップされていたにもかかわらず。となると、「計画」はよほど極秘裏に進められたに違いない。

 明らかに旧政府は、ツァラトゥストラ教のグループと、裏で手を結んでいた。おそらくは、かれらが所持するイズラウンのテクノロジーが目的で。

 そうして何を生み出そうとしていたのだろうか。キュノポリス? 消えた科学者? トリベノ……鳥辺野秋嗣もまた、そんな学者の一人に違いあるまい。だとすると、やはり竜門寺が絡んでいるのか?

「キュノポリス」

 理論がつぶやき、おれは目を上げた。彼女は再び「僧正」を弄びながら、チェス盤を見つめていた。

「イズラウンとともに滅びたとも言われますし、まだ存在するという噂もあります。それがなぜ、こんな極東の地で、復活を噂されているのか。ささやかな証拠なら、お見せできるかもしれません」

 駒を置く音が、やけに硬質に響いた。チェックメイト、と、理論はつぶやいた。

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