表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
244/270

88(4)

「だれとも会わなかったよ。イーズラック人の親爺以外はね」

 ブラインドに一箇所、大きめの隙間ができていることに、黒竜は気づいた。何事もなかったように、彼女はベッドに腰かけているが、隙間から覗いていたのは明らか。それで気休めに、言ってみたのである。

「まるで火星の町みたいだ。ジギーが歌ってるような」

「あんた、ジギーを聴くの?」

 意外なほど、弾んだ声。これまで見せなかった輝きが、赤間恵理子の瞳に宿るのがわかった。

 ジギー・バンデル・ルーデンをかれに勧めたのは、もちろんエイジだ。最初は古くさくてつまらなく感じたが、それで放り出してしまうのは、珍しく目をきらきらさせながら、磁気テープをくれた男にも、申し訳ない気がして、我慢して何度か聴いた。五回めあたりから、すっかり虜になっている自分に気づいた。

 人間技とは思えない、ギターの超絶テクを駆使した、アップテンポの曲もよいが、黒竜は切々と歌い上げる、バラードのほうが好きだった。演奏とはうって変わって、いかにも不器用なしゃがれ声が、ハートにびしびし響くのだ。それは苦くてせつない、けれども一抹の希望を失わない、男の歌だった。

 男にしか歌えない歌だと思った。

「好きだよ。とくに、『火星の唄』は最高だ」

 極力、さりげなく言ったつもり。恵理子に示すように、紙袋の中身を小テーブルの上に並べながら、けれどかれの胸の内は、害虫屋への感謝の念でいっぱいだった。わざと最後に煙草を取り出したところで、恵理子はウインクをくれた。

「わたしも、あれが一番すごいと思う。ただちょっと完成度が高すぎてさ、聴いてて怖くなる時があるんだ。神がかり、とはあんなものを指して言うんだね。あんなものを作ってしまった人間が、無事でいられるわけがない」

 急にくだけた口調でそう言って、恵理子は煙草を二本くわえた。内心目を見張る黒竜の前で、酒場のマッチを摺って、悪戯っぽい仕草で、火のついた一本を差し出した。受け取る手が震えないよう、やっとのことで制御した。吸い口には、口紅の跡が残っていた。血をなすったように、赤い。

「無事じゃいられない?」

「だってそうじゃない。あのアルバムを出したあと、ジギーは二年間、完全に活動を停止してるでしょう。死亡説まで流れたくらい。実際、麻薬に溺れ、酒に溺れ、自殺未遂を繰り返している。そうしてようやく、スタジオに舞い戻った時には、乞食同然のぼろぼろの姿だった。ただ目ばかりが、爛々と輝いていたとか」

 強い煙草だったが、噎せそうになるのを、どうにか堪えた。椅子を引き寄せて腰かけ、天井を向いて煙を吐いた。頭がくらくらしたが、決して悪い気分ではなかった。

「そのときレコーディングされたのが、例の『ダークアルバム』だろう」

「そう。タイトルも何も書かれていない、真っ黒いジャケット。半分がアコースティックギター一本で歌われているし、バンド演奏はすべてアンプラグド。当然、いつもの超絶テクは一切ナシというわけで、それがお目当てのファンたちから、抗議が殺到したみたいね。二年半も待たせておいて、これかよ、みたいな」

 ジギーは死んだとか、前作で才能を使い果たしたとか。いろいろ言われたらしいことは、エイジから聞いている。

「おれは好きだけどね。火星から現実世界へと生還した男が、狂気すれすれのところで、懸命に踏み留まっているようなところが、さ」

 ほとんど害虫屋の受け売りだが、かれの率直な感想を代弁していた。歌詞は難解を極めているというが、どうせ英語だから気にならない。何といっても、スローな曲が多いところが気に入っていた。ただ、「火星の唄」のリピート率には、遠く及ばないが。

「狂気すれすれのところで、か。うまいこと言うわね。それでいて、どこか苦悩を超越してるというか、さっぱりしたところがあってさ。聴いてて楽になれるんだよね。ジギーに限らず、わたしは最高傑作の次が好きなんだ」

「最高傑作の、次?」

「そう。ビートルズでいうと、ホワイトアルバム。サージェント・ペパーズの結束力は、もはやなく、変な曲ばっかりなのに、ついつい聴いてしまう。あのユルさが、リラックスできるのかしら。燃え盛る夏より、滅びゆく秋のほうが好きなのかも。ま、今の時代、秋という季節自体が、ファンタジーなんだけどさ……訊かなくていいの?」

「え?」

「わたしのこと。なぜ追われていたかとか」

「知りたいことだらけで、何から訊いていいのかわからない」

 恵理子はベッドの上で少女のように膝をかかえ、くすくすと肩を揺すった。短くなった煙草を、自身の靴の上で揉み消し、それから遠くを見るような目つきで、かれを見つめた。

「教えてあげるよ、黒竜。あんたが一番知りたいこと」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ