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86(2)

「いつ、ダラウドさんは亡くなったのですか」

 霞美が尋ねていた。亜門はちょっと眼鏡に指をあてた。

「いわゆる、死亡推定時刻というやつですね。お聞きのとおり、遺体の損傷がひどい上、発見からまだ半日しか経っておりませんからね。おおよそのところしか、わからないのですが。二一時から二十二時の間とみて、まず間違いないようです」

 我知らず、二葉は眉をひそめた。昨夜、呼び出しを受けて駆けつけた五〇二号室のドアの前で、とっさに調べた時計の文字盤が、ありありと浮かんだ。時刻は二一時二三分……彼女の思いを察したように、亜門はうなずいた。

「ええ、生田くんが合鍵を使って、ドアを開けたのですね。その時刻は、むろん管理システムに記録されておりますよ。そのとき閣下は、非常に奇怪な言動をなさったとか」

「驢馬の剥製をかぶり、重たげな緋色のマントを、身につけていらっしゃいました」

 霞美の声は細く震えているが、それでいて芯の強さを感じさせた。やはりこの娘の声には、鎮静作用がある。そう二葉が感じている間にも、亜門は演技的に目をまるくした。

「奇怪です。どのような話をなさったのですか」

「皇帝におなりになったとか。それでわたしたちにも、さらなる忠勤を望まれました」

「じつに、奇怪です。ちなみに、閣下が薬物、及び過度のアルコールを摂取された形跡は、ございませんでした」

 シラフだったのか、と、二葉は呆れた。その表情に亜門はうなずき、薄い笑みを浮べたまま尋ねた。

「率直な感想を伺いたいのですが、八幡さんはその人物が、本当にグム・ダラウド閣下だと思われましたか」

 異様な質問である。しばらく気おされたように、返す言葉が見つからなかった。

「はあ。疑ったことすらありませんでした。たしかにダラウド氏の声でしたし、マントの下のスーツにも見覚えがありましたから」

「わたしも二葉さんと同じ意見です。あれがダラウドさんでなかった可能性が、あるということですか?」

 次に目で促され、霞美はそう答えた。そんな彼女を観察するように、やけにフレームの細い眼鏡の位置を、亜門はまた指で修正した。

「そうなりますね。顔は変えようがありませんが、声や仕草なら、ある程度真似ることができる。しかも、奇抜な仮装をしていたとなれば、なおさら」

「でも、そんなことをして、何の意味があるのですか」

「あの時点で……すなわち、あなたたちが、奇抜な仮装を凝らしたダラウド閣下と会話した時点で、閣下が死んでいたほうが、辻褄が合うのです」

 あっ、と洩れかけた声ごと、二葉は口もとを押さえた。笑みとは裏腹な、やけに鋭い目つきで、亜門はうなずいた。

「そうです。驢馬の頭の人物が、閣下本人ではなく、『犯人』だと仮定すれば、密室殺人は成り立ちません」

 冷たい沈黙のあと、やはり演技的な溜め息をついて、かれは語を継いだ。

「まあ、寝室の北向きの窓が、ほんの数センチ開いておりましたので、最初から完全な密室とは言えないのです。雨が降りこんで、絨毯に染みができておりました。ただ、ご存知のとおり、あの窓は、あれ以上は開かないのです。しかも五十センチ離れたところには、コンクリートのフェンスがせまっておりますから、ほかの建物からの狙撃も不可能」

「ですが、フェンスとホテルの壁との間に、体を割り込ませながら、よじ登ることはできますよね。その状態で、銃を撃つことも」

「最も妥当なところでしょうね。ただし、その場合『犯人』は当方の……新東亜ホテル別館の従業員に限られてしまうのですよ。フェンスの外からの侵入は不可能。泊り客もまた、あの壁と壁の間には、決して出られない仕組みになっておりますからね」

 ホテルには裏方の領域があり、うっかり泊まり客が紛れこまないよう、厳重に管理されている。とくに、例の壁の間も含めた危険な場所へは、従業員用のカードによる認証を必要とする、通路を隔てているはずだ。

 霞美が黙りこみ、二葉も返す言葉がなかった。それで、呼ばれたのだろうか。自分たちはダラウド殺しの犯人として、疑われているのだろうか。けれど、二人とも完璧な「アリバイ」があるのは、疑いの余地がないではないか。最後に驢馬の頭のダラウドと会って以降は、キャンディーこと生田累ともども、ずっと「メイド部屋」にいたのだから。

 亜門はまた、何もかも察していると言わんばかりに、手を振ってみせた。

「いえいえ、きみたちを犯人に仕立て上げるつもりなど、毛頭ありませんから。それに、当方の従業員に関しては、すでにウラをとってあります。その結果、アリバイが曖昧な人物は、二人に絞られております」

 顔を見合わせた、二葉と霞美の前に、かれは二本の指を立て、ゆっくりと折りながらその名を挙げた。

「一人は、エグゼプティブ・ハウスキーパー、五十嵐冬美。もう一人は、きみたちと相部屋のメイド、赤間恵理子」

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