表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
237/270

86(1)

  86


 亜門のオフィスに入ると、椅子が二脚用意されていた。昨日呼ばれたときは、立ったままだったが。と、二葉はぼんやり考えた。

 昨日と異なり、エグゼプティブ・ハウスキーパー、五十嵐冬美の姿はなかった。

 第一発見者は、「メイド長」だった。なぜ「専属メイド」の二人を差し置いて、今朝、彼女がダラウドの部屋に入ったのか、その理由を二葉は知らない。ただ、自分たちが世にもおぞましい光景を見なくて済んだのは、彼女のおかげだと言えた。

「あらましは、生田くんから聞いていますね」

 同時に、二人はうなずいた。一人はあくまで生真面目に。もう一人は、いささか反感をこめて。「夜間支配人」亜門真は、死んだ男の「専属メイド」たちを、見比べるように眺めると、脚を組み替えた。キザなくらい長い脚だ。と、二葉はぼんやり考えた。

「先に申しておきますが、この件に関して、当局が介入してくることは、ございません。よってあなたたちが、武装警察による取調べを受けるような事態も、起こらないということです」

「それって……」

「もちろん、脅し文句ですよ」

 いけしゃあしゃあとそう言って、口の端を歪めてみせた。古い三流映画で、有名になる前のスターが演じた悪役のように。

 二葉は無遠慮に溜め息を洩らした。

「口外したら、ただじゃおかない、と。でも、現実にこのホテルで、人一人が亡くなっているわけでしょう。それも間違いなく、他殺なんですよね。黙っていて済む問題じゃないと、思うんですけど」

 キャンディーこと、生田累の話によると、エグゼクティブ・ハウスキーパー、五十嵐冬美が、「所用のため」グム・ダラウドの宿泊する五〇二号室を訪れたのは、今朝六時〇二分。

 以下の場面は、二葉がキャンディーの話を想像で補いながら、再構成したものだ。

 ノックをしたかどうか、わからない。五〇二号室のドアは、彼女専用の合鍵で開けられていた。電灯は消えており、異臭がたちこめていた。 冬美はとっさに、ハンカチで鼻を覆った。沈静作用があるという宣伝文句に惹かれて買った、強めの香水が染みこませてなければ、たちまち嘔吐していただろう。腐臭とも死臭ともつかない、あらゆる禁忌すべきものを、どろどろに溶かしたような、ひたすら嫌悪をさそう異臭。

 すがるように壁を探り、電灯のスイッチを入れたが、ともることはなかった。そうこうするうちにも、夜は明けはじめており、厚手のカーテン越しに洩れる外光が、部屋の中の輪郭を、徐々に闇から分離させた。

 リビングルームに人影はなかった。

 ハンカチを押し当てたまま、夢遊病者めいた足どりで、冬美はリビングを横ぎった。病的なまでに几帳面なダラウドに似ず、調度の乱れが気になった。椅子がひとつ倒れており、飾り棚の戸は開きっぱなし。ライティングビューローの中には、書籍がこれでもかと詰めこめられていた。

 言ってしまえば、それだけの乱れだ。機銃掃射を浴びたように、すべてが粉々になっていたわけではない。にもかかわらず、それは取り返しのつかない、破滅的な乱れに感じられた。踏み込んではならぬ領域への、ボーダーラインを踏み越えてしまったような。

 寝室へ通じるドアは、わずかに開いていた。隙間から濃厚な異臭が洩れていた。眉をひそめ、吐き気をこらえながら、五十嵐冬美はドアを全開にした。エグゼプティブ・ハウスキーパーとしてのプライドがなければ、とっくに逃げ出していただろう。

 牡牛を一頭、まるごと解体し、部屋じゅうにぶちまけたようだった。

 グム・ダラウドの屍骸は、ワームに食い荒らされていた。切断された頭部は、黄金の月桂冠を戴いていた。狂気のように張り上げる自身の悲鳴を、彼女は遠くで聞く思いがした。

(それが、どうして他殺だと?)

(弾痕があったそうよ。そっちが、致命傷。ワームに切り刻まれたのは、撃たれた後ね)

 検視の真似事でもしたのかと尋ねると、生田累は意味ありげに、うなずいてみせた。

(つまり、そのての医師が、四六時中、駆けつけることができる環境にあるのが、このホテルというわけ)

 ここまで話を聞いて、二葉は、強烈な違和感を覚えずにはいられなかった。もとより、最初から最後まで奇怪至極なのだが。キャンディーの暗示的な視線も、おそらくこの違和感について、示唆しているのだろう。そう、「メイド長」は合鍵を使って、五〇二号室に入ったのだ。

 これはいわゆる、密室殺人ではないのか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ